アカウント名:
パスワード:
うっすらとインデックスのみを覚えておけばいい、という程度の記憶なら人間はもっとたくさんのことを知れますし、覚えられます。
新たな体系を生み出すような人は、昔も今も極一部ではないでしょうかね
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
Scientia est potentia. (スコア:5, 興味深い)
たとえば、昔の知識人というものは、古典をそらんじているのが当然でした。
四書五経から何かを引用しながら自説を説いたり、ラテン語の警句を混ぜてみたり、
聖書の言葉に沿って何かを言ってみたり。
印刷術の普及によって古典の丸暗記というものが必ずしも必須の条件ではなくなり、
そしてさらにインターネットの普及によってこの書き込みの表題のようなラテン語の警句を
三分前にググって知ったくせに「私前から知ってましたけど何か?」というような顔で
コピペすることが可能になりました。
果たして、それは知的能力の衰退を意味するのでしょうか?
私はそうは思いません。
Re: (スコア:3, 興味深い)
「うっすらとインデックスを覚えて」いれば十分、という知的活動もあると思いますが、ある分野に特化した深い知識の集積の上に成り立つ知的活動もあるとおもいます。
例えば、simonさんも挙げられていた論語。朱熹や王陽明は論語の解釈を深化させ、独自の体系である朱子学や陽明学を起こしました。これは、インデックスのうっすらとした記憶と外部記憶では成し得なかったでしょう。おそらく、彼らは丸暗記するほど論語を読み込んだはずです。
また、孔子を題材とした小説は多数存在しますが、その中の優れた作品は、論語はもちろん、大量の研究書を読み込んだ上で書かれた筈です。
もちろん、そうやって生み出された体系・小説に対して「うっすらとインデックスを覚えて」いれば、それなりに偉そうな顔はできますが、自分で新たな体系・小説を生み出すことはできないでしょう。
Re: (スコア:0)
文化レベルは最高点ではなく、平均で判断するべきという話がありますが
平均の底上げには役立ってますよ、きっと
庶民は読み書きの出来なかった時代
読み書きは出来るが本を買えなかった時代
本は買えるが膨大な知識の整理が容易ではなかった時代
なんかと比べると、今は全体としては賢い人が増えたんじゃないですかね
これを、例えば大学生のような(以前から知識を吸収していた)母集団を取り上げて考えると
そのレベルが下がっているとは思いますが
Re:Scientia est potentia. (スコア:1)
ただ、今までは、新たな体系を打ち立てない程度の知的活動でも十分知的と言えたけど、調べることのコストが低くなったために、調べれば解る程度のことを言うだけでは、ちっとも知的とは言えなくなったんじゃないかな。知的活動のインフレと言うかなんと言うか。
Re:Scientia est potentia. (スコア:1, 興味深い)
しかしまた、知識の価値はインターネットによって低下している
知識価値の低下は、知的能力の上昇よりも激しく起こっている
故に、我々の知的能力は"相対的"に低下している
こんな感じかな?
Re: (スコア:0)
#無自覚を装ってるようにみえて、じつはやっぱり自覚が無いだけ?