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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
思考の外部化 (スコア:4, 参考になる)
以前なら図書館などで資料となる数字や記述を見つけると、再びアクセスするのが面倒なので、自分のノートに書き留めたものです。そこで、読むという行為に加え、書くという行為が加わり、記憶がある程度強化されていました。
ところがネットの時代になり、データへのアクセスが便利になったため、書き留めるという行為が少なくなっていったように思います。そのためか、自分を振り返っても、細かい数字や年代などを以前より記憶していないように感じます。
しかし、これは半面、(それが信頼できるデータであるという前提ですが)正確な数字を引用するたびに、調べ直すのですから正確を期せますし、データを覚える時間をそのデータを吟味する時間に回せるというメリットも生じます。ネット時代に進んだ「記憶の外部化」とはこういうことではないでしょうか。
問題は「思考の外部化」も起きていることです。
僕はライターの傍ら、編集者の仕事もしていますが、原稿をもらうと、その一部を検索窓にコピペしてググることにしています。以前に僕が担当しているのと別の媒体ですが、ネットからの引用ではなく、引き写しとしか言いようのない記事があったからです。文章構成は思考そのもの。どう考えても倫理的に(下手すりゃ法的にも)問題があります。
思考の外部化はプロがそれを行うと、自分の仕事を失いかねない自殺行為となります。
でも、それが致命的な行為にならない人、例えばブロガーやBBSの投稿者には、思考の外部化をしている人が少なくないように思えます。とくに「自分が信じたいような内容」については、その傾向が強いように感じます。
本来なら、記憶を外部化して余裕ができた分、思考に回せば、深い思考ができるはずが、その思考までも外部に頼ってしまう傾向が出てきているように感じます。そういう意味では知的能力が低下しているのかもしれません。