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というのは 教育の放棄にも繋がる危険な対応でしょう。 諸般の事情で、当座禁止するのだとしても、「今後どうしていくのか」というビジョンと きちんとセットで考えるようにしてほしいですね
三ナイ運動よりも性質が悪いと思います。三ナイ運動は反対だったので擁護するわけではありませんが事故による死者がそこそこ出ていた状況では禁止に対して理解できなくもありません。(それでも納得は出来なかったのでバイク禁止でない高校に行きましたが。)
しかし件の禁止内容は全く理解できませんね。SNSにしてもBlogにしてもTwitterにしても元をたどれば太古からあるBBSですよ。ネット上でコミュニケーションする手段としてはかなりポピュラーなものです。つまり件の禁止と言うのは極論で言えばコミュニケーションの禁止なんですね。殺人事件の原因が人間関係のトラブルなんてのは良く
SNSにしてもBlogにしてもTwitterにしても元をたどれば太古からあるBBSですよ。
由来はそうだったとしても、ちょっと違う認識を持っていたほうがいいんじゃないですかね。簡単に言えば、(インターネット時代の)BBSは「場」そのものであるのに対して、Blog、Twitterなどは「個人からの情報発信ツール」的な位置づけもあると思うわけですよ。また、SNSはBBS的な「場」であるという認識もできますが、より個人を強く意識付ける方法論を持った、謂わば「パソコン通信時代のBBS」的な認識でいたほうがいいのではないかと思います。
で。実名を書くとか書かないとかそういう表面的なことは置いておいたとしても、ネットを利用したコミュニケーションには大きく三つのパターンがあると思うわけです。
・ひとつは、リアルで知っている人同士をつなぐコミュニケーション(要は手紙・黒電話の延長としてのケータイ・メールの使用など、双方向)・ふたつめは、著名・有名人とかとのコミュニケーション(ファンクラブ・ファンレターとかの延長としてのWebサイト・ツィッターのフォローなど、一方通行×2)・さいごは、全く不特定多数(相手がリアル世界の誰であるかも意識しない)とのコミュニケーション(ネットから始まる出会い。双方向)
で、上ふたつとさいごのコミュニケーションには大きな違いがあるわけです。上ふたつのコミュニケーションには「個人/通信相手の認証はリアル世界で完了して、リアル世界の補完ツールとしてネットを使う」ものであるのに対して、さいごのパターンでは「個人/通信相手の認証は行わない場合がある」ということです。そして、子を持つ親の一番の危惧は、上ふたつのコミュニケーションのように見える中に混じってくる、最後のパターンのコミュニケーションなのだと思います。
例えばふたつめのパターンの例のように「有名人のWebサイトにアクセスして、彼/彼女のツィッターをフォローして」などの使い方は別に問題ないでしょう。相手は有名人本人やその所属会社であり、こちらに悪意を持っている可能性は少ないわけです。そこのサービスを受けるために個人情報を相手に差し出すこともあるでしょう。でも、そこのWebサイトには公式BBSがあるかもしれない(未熟な人からの書き込みや悪意のある書き込みをフィルタしてくれるようなサービスなら良いですが)。ツィッターのつぶやきにリツィートしたくなるかもしれない。ふたつ目のパターンの延長線上に、簡単に第三のパターンの「不特定多数相手の/ネットを介して始まる」コミュニケーションが口を開けて待っているわけです。そして、このパターンのコミュニケーションの相手は、どこの誰かも分からない(リアル世界での相互認証も難しい)、もしかしたらこちらに悪意を持っている人かもしれないわけです(可能性の問題ですが、避けられるものなら避けたいものです)。
現状のネット社会がこれらの違いを認識させない、或いは峻別できない状況にある以上(実名登録のみを目指したミクシィはこれを目指していたのかもしれませんが...)、ある程度の制限は掛けられても仕方がないのではないかと個人的には思います。
# こういう事を書くと「ネットの自由さが損なわれる」からそこは区別するべきではない、などと言われる方がいらっしゃいますが、# それはちょっと乱暴であって、弱者(今回の件で言えば子供)を守る術をきちんと整えた上で自由を謳歌していただければ、と考えます。
勿論、臭いものに蓋をするというのは最悪の手段でしょう。「改善/教育する気がない → だから禁止」みたいなのは勿論論外。だから教育をせよ、という意見には大いに賛同します。ですが、インフラ側(ネット社会側)の対応もまだまだな現状、及び教育が行き届いていない現状を鑑みると、「インフラ側での対応+教育が行き届くまで」という条件付きではありますが、今回のような禁止措置というものも過渡的な対応としてはアリなのではないかと思います。それこそバイクとは違ってそれ自身が危険を伴うものではないわけですから、倫理観も危険回避能力も持ち合わせない子供にも「安全に」大きなメリットを与えられるネット社会を築くことができれば、この問題は円満に解決できるわけです。
# まぁ、保守的であると思われている地域での保守的な動きなんで、「危ないから禁止! 何が何でも禁止! わけがわからないから禁止!」# みたいな後ろ向きな動きに見えちゃうのが痛いところですよね。# そうでないことを祈りましょう(笑)。
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バイクの「3ない運動」を想起させますね (スコア:2, 興味深い)
結果として、有効活用できる側面は使えずに時代に取り残されるという デメリットが生じるとともに、 「不適切な使い方」など本当に問題視して対策等取り組まなければいけないものは、 「禁止しているので指導の必要なし」と却ってアングラ化・野放しになって しまうという危険があります。 タレコミにもありますが、
というのは 教育の放棄にも繋がる危険な対応でしょう。
諸般の事情で、当座禁止するのだとしても、「今後どうしていくのか」というビジョンと きちんとセットで考えるようにしてほしいですね
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
三ナイ運動よりも性質が悪いと思います。
三ナイ運動は反対だったので擁護するわけではありませんが
事故による死者がそこそこ出ていた状況では禁止に対して理解できなくもありません。
(それでも納得は出来なかったのでバイク禁止でない高校に行きましたが。)
しかし件の禁止内容は全く理解できませんね。
SNSにしてもBlogにしてもTwitterにしても元をたどれば太古からあるBBSですよ。
ネット上でコミュニケーションする手段としてはかなりポピュラーなものです。
つまり件の禁止と言うのは極論で言えばコミュニケーションの禁止なんですね。
殺人事件の原因が人間関係のトラブルなんてのは良く
Re:バイクの「3ない運動」を想起させますね (スコア:0)
由来はそうだったとしても、ちょっと違う認識を持っていたほうがいいんじゃないですかね。
簡単に言えば、(インターネット時代の)BBSは「場」そのものであるのに対して、Blog、Twitterなどは「個人からの情報発信ツール」的な位置づけもあると思うわけですよ。
また、SNSはBBS的な「場」であるという認識もできますが、より個人を強く意識付ける方法論を持った、謂わば「パソコン通信時代のBBS」的な認識でいたほうがいいのではないかと思います。
で。
実名を書くとか書かないとかそういう表面的なことは置いておいたとしても、ネットを利用したコミュニケーションには大きく三つのパターンがあると思うわけです。
・ひとつは、リアルで知っている人同士をつなぐコミュニケーション(要は手紙・黒電話の延長としてのケータイ・メールの使用など、双方向)
・ふたつめは、著名・有名人とかとのコミュニケーション(ファンクラブ・ファンレターとかの延長としてのWebサイト・ツィッターのフォローなど、一方通行×2)
・さいごは、全く不特定多数(相手がリアル世界の誰であるかも意識しない)とのコミュニケーション(ネットから始まる出会い。双方向)
で、上ふたつとさいごのコミュニケーションには大きな違いがあるわけです。
上ふたつのコミュニケーションには「個人/通信相手の認証はリアル世界で完了して、リアル世界の補完ツールとしてネットを使う」ものであるのに対して、さいごのパターンでは「個人/通信相手の認証は行わない場合がある」ということです。
そして、子を持つ親の一番の危惧は、上ふたつのコミュニケーションのように見える中に混じってくる、最後のパターンのコミュニケーションなのだと思います。
例えばふたつめのパターンの例のように「有名人のWebサイトにアクセスして、彼/彼女のツィッターをフォローして」などの使い方は別に問題ないでしょう。
相手は有名人本人やその所属会社であり、こちらに悪意を持っている可能性は少ないわけです。
そこのサービスを受けるために個人情報を相手に差し出すこともあるでしょう。
でも、そこのWebサイトには公式BBSがあるかもしれない(未熟な人からの書き込みや悪意のある書き込みをフィルタしてくれるようなサービスなら良いですが)。
ツィッターのつぶやきにリツィートしたくなるかもしれない。
ふたつ目のパターンの延長線上に、簡単に第三のパターンの「不特定多数相手の/ネットを介して始まる」コミュニケーションが口を開けて待っているわけです。
そして、このパターンのコミュニケーションの相手は、どこの誰かも分からない(リアル世界での相互認証も難しい)、もしかしたらこちらに悪意を持っている人かもしれないわけです(可能性の問題ですが、避けられるものなら避けたいものです)。
現状のネット社会がこれらの違いを認識させない、或いは峻別できない状況にある以上(実名登録のみを目指したミクシィはこれを目指していたのかもしれませんが...)、ある程度の制限は掛けられても仕方がないのではないかと個人的には思います。
# こういう事を書くと「ネットの自由さが損なわれる」からそこは区別するべきではない、などと言われる方がいらっしゃいますが、
# それはちょっと乱暴であって、弱者(今回の件で言えば子供)を守る術をきちんと整えた上で自由を謳歌していただければ、と考えます。
勿論、臭いものに蓋をするというのは最悪の手段でしょう。
「改善/教育する気がない → だから禁止」みたいなのは勿論論外。
だから教育をせよ、という意見には大いに賛同します。
ですが、インフラ側(ネット社会側)の対応もまだまだな現状、及び教育が行き届いていない現状を鑑みると、「インフラ側での対応+教育が行き届くまで」という条件付きではありますが、今回のような禁止措置というものも過渡的な対応としてはアリなのではないかと思います。
それこそバイクとは違ってそれ自身が危険を伴うものではないわけですから、倫理観も危険回避能力も持ち合わせない子供にも「安全に」大きなメリットを与えられるネット社会を築くことができれば、この問題は円満に解決できるわけです。
# まぁ、保守的であると思われている地域での保守的な動きなんで、「危ないから禁止! 何が何でも禁止! わけがわからないから禁止!」
# みたいな後ろ向きな動きに見えちゃうのが痛いところですよね。
# そうでないことを祈りましょう(笑)。