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まえに誰か言ってたが。この世に人を傷つけない表現などないと。ならば、大事なのは悪意が込められているかどうかじゃないのか?アカウント停止とかする側は、苦情を単純に受け入れるのではなく。そういう部分を審査する必要があるんじゃないの?
差別においては悪意の有無を中心的な基準とするのは悪手です。
「差別=悪意」との図式があると「悪意はなかったが、差別的ではあった。撤回して今後は改める」という対応が取りにくくなるのです。「悪意のない差別」に対して申し立てがされたときに「差別を認めると悪意を認めたことになる」という図式にとらわれて、「悪意を否定するために差別を否定する」強い欲求が生じるからです。
また、悪意の認定の有無は困難ですので、悪意がある差別についても「悪意がなかった」とのクソな言い訳で見過ごされることになりますし、「悪意があると指摘した人のほうが悪い」となどと差別の申立者を批判する道具を差別擁護者に与え、差別の告発はますます萎縮することになります。
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悪意があるのかないのか (スコア:0)
まえに誰か言ってたが。この世に人を傷つけない表現などないと。
ならば、大事なのは悪意が込められているかどうかじゃないのか?
アカウント停止とかする側は、苦情を単純に受け入れるのではなく。
そういう部分を審査する必要があるんじゃないの?
Re:悪意があるのかないのか (スコア:0)
差別においては悪意の有無を中心的な基準とするのは悪手です。
「差別=悪意」との図式があると「悪意はなかったが、差別的ではあった。撤回して今後は改める」という対応が取りにくくなるのです。「悪意のない差別」に対して申し立てがされたときに「差別を認めると悪意を認めたことになる」という図式にとらわれて、「悪意を否定するために差別を否定する」強い欲求が生じるからです。
また、悪意の認定の有無は困難ですので、悪意がある差別についても「悪意がなかった」とのクソな言い訳で見過ごされることになりますし、「悪意があると指摘した人のほうが悪い」となどと差別の申立者を批判する道具を差別擁護者に与え、差別の告発はますます萎縮することになります。