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寺の漢字じゃ記号化簡略化され過ぎてるんじゃないの。たぶん寺の漢字の元の絵って仏塔みたいなもんだろ、そこに戻ったってことで三重の塔でよろしいんでは?
卍が駄目な理由もナチス云々よりも、日本人なら寺院と連想出来るが外国人は出来ない、と単純に考えた方がいいだろうね。
INTERNET Watchの記事にある一例の温泉マークも、記号化簡略化され過ぎてるから外国人には、温かい飲み物・ラーメン・うどんに見える、となってしまう。
>たぶん寺の漢字の元の絵って仏塔みたいなもんだろ、これが全然違う。その漢字が出来た後に中国に仏教が入ってきた。
>卍が駄目な理由もナチス云々よりも、
いや新聞報道で「ナチス・ドイツのマークを連想させるという意見が多数寄せられたため」と書いてありますよ。
温泉マークはイキ(そのまま)ですね。あと神社で鳥居はオッケーというのは、卍をオッケーにしないのと不整合ですね。
多数寄せられた”ナチスを連想してしまう”という意見はそれとして、そもそも”寺を連想出来ない”という根本的な問題点があるという話。
だから、他もそういった目線で見ようという事。
> あと神社で鳥居はオッケーというのは、卍をオッケーにしないのと不整合ですね。
そうか?鳥居は神社の入り口に立っていて非常に目立つシンボルだし、実際にそういう物理的な形状を持っているものが存在する。でも卍は、べつにお寺の境内に卍型の建築物が立ってるわけでもなんでもない。せいぜい垂れ幕に描かれていたり、灯籠に掘られている程度。実際にその施設に行った時に目につくシンボルとしての印象度はかなり異なると思うけど。それに「ナチスを連想させる」というクレームに応じるべきかどうかはともかくとして、そういう背景があることは事実として考慮しなくてはならない。また、鳥居は明らかに神社を示すシンボルだけど、卍は仏教の印というより吉祥の印であって、それ自体が直接寺を示すわけじゃない。現在は仏教周辺でしか使われていないので、仏教の印だという印象になっているだけだ。こういう明らかな違いがあるのに「鳥居も卍も宗教的シンボル、公平に扱わなくてはならない」などというのは、短絡的にしか見えない
一般的な理解は下記のような事だろう。寺院について [kongokaku.org]
日本の寺院や仏教会のしるしに、よく卍(まんじ)が使われます。一般の人々には、卍は法輪とともに、仏教会や寺院などの紋章・標識というイメージで受け止められていることでしょう。法輪は仏のこころが説かれているという意味で、卍も同様に仏心を表すしるしです。
ちなみに卍が地図記号に採用さたのは明治13年(1880)らしい。
神社で鳥居はオッケーというのは、卍をオッケーにしないのと不整合ですね。
神社には記号そのままの形の鳥居があるけど、寺のどこに卍形のオブジェクトがあるっていうの? 不整合でも何でもないよ。
寺の上の土は止と同じ足の形、下の寸は手の形で、何かが進んだりとどまったりしている様を表す場合が多いそうですよ。もと僧侶を泊めた場所のことを指していて、待、侍、持、時などは皆この意味から派生したものとか。多分元の意味に近いのが「待」とか「持」で、寺を「てら」の意味に使うようになってしまったので、区別のため扁を追加したんじゃない?
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
漢字 (スコア:0)
#有名な地図記号以外もう忘れてるしなぁ
寺にはぼらぎのーる (スコア:0, おもしろおかしい)
寺の漢字じゃ記号化簡略化され過ぎてるんじゃないの。
たぶん寺の漢字の元の絵って仏塔みたいなもんだろ、
そこに戻ったってことで三重の塔でよろしいんでは?
卍が駄目な理由もナチス云々よりも、
日本人なら寺院と連想出来るが外国人は出来ない、
と単純に考えた方がいいだろうね。
INTERNET Watchの記事にある一例の温泉マークも、
記号化簡略化され過ぎてるから外国人には、
温かい飲み物・ラーメン・うどんに見える、となってしまう。
Re: (スコア:0)
>たぶん寺の漢字の元の絵って仏塔みたいなもんだろ、
これが全然違う。その漢字が出来た後に中国に仏教が入ってきた。
Re: (スコア:0)
>卍が駄目な理由もナチス云々よりも、
いや新聞報道で「ナチス・ドイツのマークを連想させるという意見が多数寄せられたため」と書いてありますよ。
温泉マークはイキ(そのまま)ですね。あと神社で鳥居はオッケーというのは、卍をオッケーにしないのと不整合ですね。
Re: (スコア:0)
多数寄せられた”ナチスを連想してしまう”という意見はそれとして、
そもそも”寺を連想出来ない”という根本的な問題点があるという話。
だから、他もそういった目線で見ようという事。
Re: (スコア:0)
> あと神社で鳥居はオッケーというのは、卍をオッケーにしないのと不整合ですね。
そうか?鳥居は神社の入り口に立っていて非常に目立つシンボルだし、実際にそういう物理的な形状を持っているものが存在する。
でも卍は、べつにお寺の境内に卍型の建築物が立ってるわけでもなんでもない。せいぜい垂れ幕に描かれていたり、灯籠に掘られている程度。
実際にその施設に行った時に目につくシンボルとしての印象度はかなり異なると思うけど。
それに「ナチスを連想させる」というクレームに応じるべきかどうかはともかくとして、そういう背景があることは事実として考慮しなくてはならない。
また、鳥居は明らかに神社を示すシンボルだけど、卍は仏教の印というより吉祥の印であって、それ自体が直接寺を示すわけじゃない。
現在は仏教周辺でしか使われていないので、仏教の印だという印象になっているだけだ。
こういう明らかな違いがあるのに「鳥居も卍も宗教的シンボル、公平に扱わなくてはならない」などというのは、短絡的にしか見えない
卍と法輪(輪宝)は仏教や寺院のシンボル (スコア:0)
一般的な理解は下記のような事だろう。
寺院について [kongokaku.org]
ちなみに卍が地図記号に採用さたのは明治13年(1880)らしい。
Re: (スコア:0)
神社には記号そのままの形の鳥居があるけど、寺のどこに卍形のオブジェクトがあるっていうの? 不整合でも何でもないよ。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
寺の上の土は止と同じ足の形、下の寸は手の形で、何かが進んだりとどまったりしている様を表す場合が多いそうですよ。もと僧侶を泊めた場所のことを指していて、待、侍、持、時などは皆この意味から派生したものとか。多分元の意味に近いのが「待」とか「持」で、寺を「てら」の意味に使うようになってしまったので、区別のため扁を追加したんじゃない?