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352004 story
インターネット

World Wide Web、20周年(2回目) 26

ストーリー by hylom
2回目の20周年 部門より

あるAnonymous Coward 曰く、

CERNの研究者であったティム・バーナーズ=リーが1991年8月6日に最初のウェブページをWorld Wide Webに公開してから20年が経った(本家/.記事)。

ティム・バーナーズ=リーは1年以上かけてWWWを考案、開発しており、1991年8月6日は彼がプロジェクトの要約をalt.hypertextニュースグループを投稿した日にちとなる。

「WWW」と「インターネット」が今日ほど同義語ではなかったこの頃、/.J諸兄方はどのように過ごしていただろうか?また、最初のウェブ体験などもぜひお聞かせ願いたい。

2009年にも「World Wide Web 20周年」というストーリーが掲載されていたので不思議に思ったのだが、1989年3月にティム・バーナーズ=リーがWWWを考案、そして1991年8月7日にWWWに関すサマリーを一般に公開した、ということらしい。

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  • それを支えるインフラや技術、構造が異なりますが、フランスのミニテル(予約、ショッピングからエロまで!)や日本のキャプテンシステム(元になったレンダリングの国際規格?のNAPLPSはniftyでも使われましたね。)などなど、世界各国のビデオテックス(デジタル技術による絵や文字の多彩な表現の通信端末)の完成形となりましたね。

    やはり、技術の進歩具合とインターネットと汎用のPCの普及のタイミングが良かったのでしょうか。

    JUNETの頃はパソ通やってた私からはインターネットは学者さん用のパソコン通信って感じで、草の根BBSも電話回線で掲示板の書き込みをBBSシステムが自動で遠距離へバケツリレーとかしているのと同じようなもんだって思ってました。タイムパスとか遠距離通信の契約とかあったよね?

    Wideの頃だっけ?友人の企業でこっそりインターネットのメールやニュースに入れるようにしてもらったけど、中身が面白くなくて(くだけてない・遊び的意味で)殆ど使ってなかったですね。

    その後のWWWもAAのESCスクリプトのアニメーション(当時はAAのESCスクリプトの職人さんをしていました。)やNAPLPSのパワーアップ版だね!って印象でしたね。

    ESCスクリプトのアニメーションは、ASCIIの文字コードの制御コードや、それらを組み合わせたテキスト文字の色変更、点滅、テキストの位置などのテキスト端末への指示コードを使ってAAに色と点滅を動きを入れたアニメーションです。AAのFlashみたいな感じかな?

    クリスマスには、草の根BBSにLoginしたときに、「☆」が降ってきて地面に付いたらAAのクリスマスツリーが生えてサンタさんが出てくるとかのアニメーションを作っていました。

    95年にIIJに入会金3万円、月額1万円+1分10円で契約して、ブラウザはネットスケープ1.1あたりでWebを使い始めました。 NCSA Mosaicはうまいこと動かなかった。

    日本語のページは行き尽くしてしまったかな?と思えるくらい狭い世界だったようなイメージがあります。
    暫くは、パソコン通信の方が圧倒的に使えるインフラでした。

    この話、一パソ通ユーザーの視点であり当時のビデオテックスやインターネット等を知る人とは多少の不一致がありそうですが参考までに^^

    • by Anonymous Coward
      なんか読みにくすぎる文章だなw
    • by Anonymous Coward
      彼がリリースしたNeXT用はテキストベースでした。

      IEの今は亡きライバルNetscapeの原点となったモザイクのリリース順序は、
      (1)SUN OS 4.x
      (2)Mac ?ver6より前だっけ
      (3)英語版Windows3.1のなんだっけ32ビットのモジュール対応
      だったので、SUNの弁当箱を購入しました。
      やっぱり画像があるのとないのでは全く違う。
      シュタインゲート(アニメです)ではセルンは悪の組織に成り果てているが、研究機関では画像や音は二の次だったに違いない。南かるふぉるにあ大学の学生にはもっとも重要だったと想像できるが。
  • by JULY (38066) on 2011年08月08日 17時48分 (#1999557)

    モザイク [wikipedia.org]を使うと、モザイクの無い写真が見られるんだって、デヘヘへ...」という中年オヤジは多かったなぁ。

    ...そんな自分も中年オヤジに....

    • by SteppingWind (2654) on 2011年08月08日 20時55分 (#1999654)

      モザイクの日本語化(ちなみにOSは分子構造解析のために購入したIRIXとEWS-UX/V4.0)をしていた隣で, 他のプラットホーム上の日本語対応ってどんなもんなんだろうってことで, muleでw3.elを動かしていました.

      起動したとたん開発元(テキサス州立大だったかな?)につながっちゃって, 貴重な海外専用線の帯域を消費してしまったと, 非常にあせったのを覚えています.

      親コメント
  • by manmos (29892) on 2011年08月08日 20時30分 (#1999641) 日記

    NeXT stationのローンがたっぷり残っているころでした。

    #そのころだとVT100のエミュレータのクラス作ってたかなぁ。OSは2.1のころかぁ。

  • 1991年頃は、『えむえすでぃーおーえすって何?』とか言っていたなー。
    コンピュータ通信だと、パソ通は知らなく、キャプテンシステムは知っていた。
    端末がお粗末、回線がしょぼくて、ぶちぎれ。

    WWWの方は1996年の7月くらいに初めて利用、Windows 95も。
    NTTビルにインタネット体験コーナーがあって、そこで。
    とりあえず某パソゲのデモを落として、何故か都合よく持っていたFDに保存してお持ち帰り。
    INS64だったけど遅いと感じ、5[MB/s](当時のHDDの転送レート)くらい欲しいと思っていた。
    当時の検索サイトはyahooが一般的で、千里眼なんていうのもあった。

  • 1994,5年当時はMS-DOSを、PC-9801互換i486SX/3.6MBの環境で使っていました。
    パソコン通信のマニュアルを書くために、リンク機能のあるテキストツールを
    使っていたこともあって、ウェブの仕組みの理解は難しくありませんでしたが…
    実際にそれを利用する環境はあまりにも遠かったのを覚えています。

    PC-DOSで動くlynxの噂を聞いても、IBM PC/AT互換機が手に入る見込みも無し
    テキストブラウザーがあるFreeBSD(98)を動かすにも厳しかった。
    ともかく、当時の私はXFree86の設定すらできなかった。EGCも無い98互換機で。

    結局、初めてウェブを利用したのは、ネットカフェかな。
    HTMLの勉強はPC-9801環境時代からやってたけど
    実践がはじまったのは、1999年になってからだった。

    OS/2を購入してからNetScapeだけで検証しつつVzで書いてた。

    今は、LinuxでChromium BrowserやFirefoxを使うけど
    HTMLを書く機会はほとんど無くなった。
    掲示板とかWikiで充分じゃないかと思ってる。

    2000年前後当時から、HTML書くにしろ専用ソフトを使うにしろ
    ウェブサイトを作る作業って、コンテンツ自体を作る人が
    自分でやるものじゃ無いと思うのよね。

    ウェブサイトを作ることだけが趣味とか、得意だとか、職人だとか
    そういう人も多いだろうけど、中身が伴わないことも多くて…
    テッキーほど、逆にサイトの作りはシンプルというか手抜きってこと多いし。

    ニコニコ動画を中心にした創作活動の盛り上がりは
    そういう意味では、ウェブの理想形に近いんじゃないかと思ってる。

    あと20年くらい遅く生まれたかった気がしてならない。
    高校でウェブが使える時代に生まれていればなぁ…
    田舎のマイノリティは、ことさらに孤立するものだったしね。

    Z80ハンドアセンブルした時を頂点に、移行プログラマ的なことはほぼやっていないし
    どちらかというと、ヲレはITじゃ無いほうのモノづくり属性なんだよ。
    最近は何も作っていないけど。
  • by dorifer (514) on 2011年08月08日 18時17分 (#1999576) 日記
    固定アドレスの時代、研究室のマシンでhtmlサーバを走らせて、そして、「公開したいテキストがある人は、自分のホームディレクトリにpublic_htmlというディレクトリ作ってそこに置いておいて」とアナウンスして運営されていました。
    --
    IN EARTH AND SKIE AND SEA STRANGE THYNGES THER BE.
  • インターネット上のハイパーテキストシステムといえば、同じく1991年生まれのGopherも忘れないで欲しいですね。 [impress.co.jp]
    手軽だったせいか、当初の普及度ではWWWより上でした。

    WWWが流行ったのは1993年の Mosaic 登場後ですね。「画像のインライン表示」が最大の武器だったんだと思います。Gopherなんかより格段に表現力が上がったおかげで、あっという間にGopherを絶滅に追い込んだったって感じ。

    結果からするとGopherは一瞬で消えていったみごとな時代のあだ花ですけど、
    Mosaicが現れなければ、Gopherの天下はもっと続いて、WWWの天下なんてものは来なかったでしょうね…

  • by masaki-s (19529) on 2011年08月08日 23時14分 (#1999739)
    「ティム・バーナーズ=リーは1年以上かけてWWWを考案、開発しており・・・・」

    「ティム・バーナーズ=リーは1年以上かけて(笑)を考案、開発しており・・・」に見えたのは僕だけじゃないはず・・・w
  • > 「WWW」と「インターネット」が今日ほど同義語ではなかったこの頃

    InternetExplorerのアイコンにインターネットと名前がつけられて以来
    インターネットの同義語はwwwではなくIEになってしまったのです。
  • by Anonymous Coward on 2011年08月08日 17時05分 (#1999535)
    「ホームページをWWWで公開した」と言った場合の「ホームページ」は必ずしも誤用ではない。誤用したのはこの文を読んで、WWWで公開したページは何でも「ホームページ」と言うのだと思ってしまった人たち。
    • by Anonymous Coward
      その昔ICQで外人さんに正されました。
      Home PageはTOPページでWeb Site全体ではないと。

      # HPといったらHewlett Packard
      # いやまぁ土地土地にあった言い回しでもいいじゃないとは思いますが
      • by Anonymous Coward
        ホームページはグーグルです
      • by Anonymous Coward
        HPといったらヒットポイント。
  • by Anonymous Coward on 2011年08月08日 17時51分 (#1999560)
    その当時は、日本国内では、UUCPによるメーリングリストやNEWSが一般的だったはずです。
    他の組織のサーバだと、FTP/TELNETで直接アクセスすることすら、贅沢でした。
    • by nyagy (17036) on 2011年08月09日 0時14分 (#1999764)

      ftpmailとかテープ回覧とか、どうでもいいことを思い出してしまいました。

      親コメント
    • by Anonymous Coward
      > メーリングリストやNEWSが一般的だったはずです。

      全然関係ないけど、何故かSONY製のワークステーションを思い出しました。;;
      時代とNEWSの文字が大文字表記だからかな?
  • by Anonymous Coward on 2011年08月08日 18時02分 (#1999568)
    T/O
  • by Anonymous Coward on 2011年08月08日 19時16分 (#1999611)

    もたまには思い出してあげてください、HyperText絡みで

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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー

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