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大型計算機センター法制化50周年記念シンポジウム、7月10日に開催 24

ストーリー by hylom
時代は変わった 部門より

全国の大学に向け大型計算機による計算能力を提供するための施設としての大型計算機センターの法制化・設置から50年が経過した。これを踏まえ、大型計算機センター法制化50周年記念シンポジウムが開催される(大阪大学サイバーメディアセンターの発表)。

大型計算機センターは東京大学など全国7大学に設置され、大学教員や大学院生などに開放されていた。かつてはこの大型計算機センターが数値計算が必要となる研究の支えになったり、知識を集積する役割を果たしていたという(昔、大型計算機センターというものがあった)。

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  • by Anonymous Coward on 2019年06月20日 7時42分 (#3636866)

    大型計算機センターが無くなっても、スーパーコンピューター・センターがあればいい

    • by Anonymous Coward

      クラウドコンピューティングセンターがあれば

  • by Anonymous Coward on 2019年06月20日 14時38分 (#3637100)

    駆け出しの大学教員の頃、某大型計算機センターに転勤して、5年間ほど在籍していたことがあります。

    あのFNHが元気だったので、当時としてはほぼ最先端の技術を学ぶことができました。特にIBMの優れたソフトウェア(オペラーティング・システムやコンパイラ)やN1ネットワーク(大型計算機センターや各大学内センターを結ぶパケット交換風回線)などです。

    のちにN1ネットワークを経由してセンター相互利用機能やメール機能が実装されました。

    当時は基本的にIBMのTSO風操作を3270型文字表示端末を経由する利用形態でしたが、リモートバッチ端末を用意する大学もありました。

    新システムの納品検査で2GFlops出せることを確認したことがあります。水冷トランジスタ論理回路構成にしてはかなりの性能ですが、これはベクター演算の賜物だと思われます。

    今から思えば計算機が無条件でいくらでも利用できる環境に感謝しています。

  • by maruken (2801) on 2019年06月20日 16時49分 (#3637195) ホームページ

    大型計算機センターの記憶

    1 学部の講義でFACOMの1000円分のバジェットをもらったのでπなんかを計算してみた。
      周りの興味がなさそうな友達から余りの予算を分けてもらった。
      この時、1枚の印刷代1円とられた。
      ついでに、JCLとかプロッターの使い方を覚えましたよ。
      工学部の友達はアセンブラーのマニュアルを持っていた。汎用機てほとんど電卓なんだなと思った。

    2 スクリーンエディタにすごく感激した。それから、APL用のキーボード(ドミノつき)などが使えた。

    3 いわゆるチャネルの威力:ページプリンターだと100ページ数分で印刷出来ました。
      ところが、印刷起動のコマンドはパンチカードで入力。

    4 今はどうかわからないけど、地方から使うときには旅費も出ました。

    以上

    --
    maruken
  • by Anonymous Coward on 2019年06月20日 8時25分 (#3636877)

    十分です。

    • by Anonymous Coward

      当時の大型コンピューターの計算速度って今時の底辺クラスのCPUに対して
      内蔵GPUの1コアよりは速いのかなあ? 感覚的には遅いような気がするんだけど。

      • by Anonymous Coward on 2019年06月20日 14時15分 (#3637080)

        50年前じゃなく43年前(1976年)に一号機納品の Cray-1 でもクロック周波数80MHzでピーク性能160MFLOPSです、今時のGPUの中のプロセッシングユニット1個にも劣るでしょう。当然、今時の計算機センターには今時のシステムが置かれている訳ですが、小型のシステムで十分な人に計算機センターが不要だと思われるのは今も昔も同じです。

        親コメント
      • by Anonymous Coward

        GPUって1コアでもけっこうな並列演算ユニットだからなぁ

        それに計算速度だけ向上させてもI/O周りがボトルネックになるので、キャッシュなどである程度緩和できるとはいえI/Oに比べて極端に高速化するのはコストパフォーマンスが悪いので投資インセンティブが働かないだろうな

      • by Anonymous Coward

        相手がもっと後のETA10(理論値1.25GFLOPSのユニットが8個あるから10GFLOPSというセガサターン理論)だと、GPUの1コアの定義にもよりそう。
        今は複数演算ユニットをさらにまとめた実行ユニットが複数集まって物理コアになってたりしますし。

        Intel HDGraphics 610辺りで実行ユニット12で単精度200GFLOPS弱らしいので、実行ユニット一つならいい勝負?

        • by Anonymous Coward

          そういえば1980年代前半(ETA10より数年前)、某大型計算機センターには、緑のモノクロですが4096x4096ドット表示可能なCRTディスプレイ付きのCAD用端末がありました。CRTは電源が切れていてもコガネムシような緑色の金属光沢で、ライトペンも多分付属していました。画面に直接ポインティング可能で4096x4096ドットを超えるディスプレイというのはパソコンやワークステーション用だと今でもまだあまりないように思います。

          • by Anonymous Coward

            surface studioが4500の3000だから、まだ足りないね

  • 汎用大型計算機がアドバンテージを発揮できなくなった90年代後半以降
    センターの名前がどんどん変わっていたけど、一番ウケるのおしえて!エロい人!

  • by Anonymous Coward on 2019年06月20日 13時32分 (#3637052)
    所属大学のNECの弱体コンピューターでは手に負えなくて
    東大に行って拡散の計算をしました
    東大の入試があればここで勉強していたのになどと思いながら
    計算が終わるまで学内をうろうろしていました
    Fortranで書いたパンチカードを蹴飛ばしてしまい
    元通りに戻すのに丸一日かかったのも懐かしい思い出

    今ならケータイでもあっという間に計算できてしまうんでしょうね
    • by Anonymous Coward

      >東大の入試があれば
      学生運動で入試が中止になったという昭和44年受験の方ですか?
      自分はその年に生まれましたが、学部卒業のときくらいにようやく安田講堂の大講堂を
      修理したとかで卒業式はそこで行いました。
      (それまでも講堂以外の周囲の部屋は使っていました。保健室とかあったような気がする)
      大学の真ん中の施設を20年以上直せなかったってのは、当時の国立大学の金のなさですかね?
      しかしすでに閉鎖されていた期間より復活してからの期間が長いんですねえ……

      • by Anonymous Coward

        句読点さんがそんなお年だったとはちょっと驚き...

        • by Anonymous Coward

          句読点使わないのにあだ名が「句読点さん」なのかよ

          • by Anonymous Coward

            句読点さん!

            って後ろにつけても否定にはならんか…

            • by Anonymous Coward

              句読点 要さんなのかも
              # 工藤 天洋さんならいそう

            • by Anonymous Coward

              !句読点さん
               
              これでOK!

  • by Anonymous Coward on 2019年06月22日 22時36分 (#3638609)

    コンピュータにお札が貼り付けてあるのを初めて見たのは某計算機センタだったなあ。

    • by Anonymous Coward

      羽振りがいいですね。
      うちは水平をとるために100円玉が数枚使われているだけです。

    • by Anonymous Coward

      慶應大学で福澤諭吉さんのブロマイド貼ってたのかな

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