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それは「萌えフィギュアがどんどん増えて保管場所に困る」という人に「買わなきゃいいじゃないか」と言うのと同じで、一見妥当だけど当事者にとってはありえない選択肢ですよ。
えーと、そのつっこみはなんか的外れというか…そもそもこのたとえは「管理/整理の方法を聞いてるのにそれ以前の『写真を撮る』という行為を見直せというのは根本的すぎて解決策になってない」という意味なので保管や管理の違いをつっこまれてもなぁ。
それに、
写真家が発表している様々な写真も「数百枚から厳選した数枚」だからこその感動だったりするのですから。
と、さらに次元の違うことを根拠にするのもどうかと。写真家は発表したものしか管理していないわけではありません。今後も公表するつもりのないものも含めて、撮った写真はほぼすべて保存しておくというのはプロでも珍しくないでしょう。特に銀塩写真の時代は「フィルムから不要なカットを取り除く」だけでもけっこうな手間だったので、そのころを引きずってデジタルになっても「撮ったものは公表しなくても全部残しておく」というプロも相当数いるのではないかと思います。
私自身、一部の写真はwebで公開していますが、公開どころか自分が見ることもまずなさそうな写真もほとんどそのまま残していますよ。手ブレがひどくて何が写ってるのかわからないくらいひどいのだけは削除して。
その中でも「最も大切な瞬間」すらも探し出せないのではあまりにも無駄です。大切な節目の行事や、日常でも「この1枚だけは」と思えるものだけにしておいて後は消去してしまうことをおすすめします。
私はまったく正反対の主張をしておきます。何が「最も大切な瞬間」や「印象深い一枚」なのかは時間とともに変化することも珍しくありません。「厳選された一枚」だけを後から見ると、前後のつながりが抜け落ちているため「なんでこの写真が大切な瞬間だと思ったんだろう?」となることもよくありますよ。そうならないためにも、冗長性を持たせることはけっこう意味があります。
大切な節目の行事や、日常でも「この1枚だけは」と思えるものだけにしておいて後は消去してしまうことをおすすめします。
加えて、気合を入れて撮る、というのをお勧めします。撮影した枚数が多いと、「この1枚」を選ぶのすら大変になりますから。
個人的な乾燥ですが、銀塩から写真に入った人は、一枚を狙うのに気合が入ってます。従って、撮影枚数もそれほど多くない。一方、デジカメからの人は、常に連写モードにしていたりして、撮影枚数が多い。デジカメからの人は、無駄な連写も含めて全データを送ってくれたりするんですが、見るのが大変。銀塩からの人は、厳選した上にそれなりの補整もしてくれたデータと、更に厳選されたもののプリントをくれたり。まあ、例外はありますけどね。
コミックスなどと違い、見るのではなく眺めるのができるのが写真だと思う。だから一覧性が確保できれば、整理はそれほど気にしなくてもいい。厳選された一枚が大事なのはそのとおりだけど、何気ない写真でも後で見返すと大事だったり(風景の移り変わりや家族の若いときなど)するので、消すのはもったいないね。
フィギュアの保管場所は必ずなんとかできるけど、写真の整理はどうしようもない。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
写真を撮らないという選択肢は? (スコア:0, すばらしい洞察)
一週間に1枚、イベントごとに10枚程度におさえれば、整理も簡単ですし、
大きくなった子供が見直すときにも充分なボリュームが確保できると思います
自分のアルバムを見直したことがないACより
Re:写真を撮らないという選択肢は? (スコア:2, おもしろおかしい)
それは「萌えフィギュアがどんどん増えて保管場所に困る」という人に「買わなきゃいいじゃないか」と言うのと同じで、一見妥当だけど当事者にとってはありえない選択肢ですよ。
うじゃうじゃ
Re:写真を撮らないという選択肢は? (スコア:2)
金銭面の圧迫度合い(ギガバイト単位のSDが1000円程度で買える)や圧倒的な数量の違い(今なら1枚に数百枚だろうけどちょっと前の解像度なら1000枚以上)やそれの管理にかかる空間的な要因(フィギュアだと100個もあると部屋に山積みだが写真データは数万枚でもHDD1個)や、「限定版・通常版」なんて区別もないとか。
それはさておき、そのせっかく撮り溜めた数万枚の写真データも”整理する暇もない”数だと当然”見る暇もない”わけで、結局は本人でさえ「何時どういう場面で撮影していたか覚えていない」ものとか「撮っていたはずなのにどこにあるやらわからない」状態になるわけです。
過ぎた日々は戻らないからその瞬間が大事なのはわかりますが、その中でも「最も大切な瞬間」すらも探し出せないのではあまりにも無駄です。
大切な節目の行事や、日常でも「この1枚だけは」と思えるものだけにしておいて後は消去してしまうことをおすすめします。
写真家が発表している様々な写真も「数百枚から厳選した数枚」だからこその感動だったりするのですから。
#引っ越し時に親に数千冊のコミックを一掃されたときに無秩序にストックすることの意味のなさと無駄の多さに気づきました・・・。
Re:写真を撮らないという選択肢は? (スコア:2, 興味深い)
えーと、そのつっこみはなんか的外れというか…
そもそもこのたとえは「管理/整理の方法を聞いてるのにそれ以前の『写真を撮る』という行為を見直せというのは根本的すぎて解決策になってない」という意味なので保管や管理の違いをつっこまれてもなぁ。
それに、
写真家が発表している様々な写真も「数百枚から厳選した数枚」だからこその感動だったりするのですから。
と、さらに次元の違うことを根拠にするのもどうかと。
写真家は発表したものしか管理していないわけではありません。今後も公表するつもりのないものも含めて、撮った写真はほぼすべて保存しておくというのはプロでも珍しくないでしょう。
特に銀塩写真の時代は「フィルムから不要なカットを取り除く」だけでもけっこうな手間だったので、そのころを引きずってデジタルになっても「撮ったものは公表しなくても全部残しておく」というプロも相当数いるのではないかと思います。
私自身、一部の写真はwebで公開していますが、公開どころか自分が見ることもまずなさそうな写真もほとんどそのまま残していますよ。手ブレがひどくて何が写ってるのかわからないくらいひどいのだけは削除して。
私はまったく正反対の主張をしておきます。
何が「最も大切な瞬間」や「印象深い一枚」なのかは時間とともに変化することも珍しくありません。
「厳選された一枚」だけを後から見ると、前後のつながりが抜け落ちているため「なんでこの写真が大切な瞬間だと思ったんだろう?」となることもよくありますよ。
そうならないためにも、冗長性を持たせることはけっこう意味があります。
うじゃうじゃ
Re: (スコア:0)
写真だって同じ。どうでもいいものが多いから管理も大変になる。
Re:写真を撮らないという選択肢は? (スコア:1)
大切な節目の行事や、日常でも「この1枚だけは」と思えるものだけにしておいて後は消去してしまうことをおすすめします。
加えて、気合を入れて撮る、というのをお勧めします。撮影した枚数が多いと、「この1枚」を選ぶのすら大変になりますから。
個人的な乾燥ですが、銀塩から写真に入った人は、一枚を狙うのに気合が入ってます。従って、撮影枚数もそれほど多くない。一方、デジカメからの人は、常に連写モードにしていたりして、撮影枚数が多い。
デジカメからの人は、無駄な連写も含めて全データを送ってくれたりするんですが、見るのが大変。銀塩からの人は、厳選した上にそれなりの補整もしてくれたデータと、更に厳選されたもののプリントをくれたり。
まあ、例外はありますけどね。
Re:写真を撮らないという選択肢は? (スコア:1)
コミックスなどと違い、見るのではなく眺めるのができるのが写真だと思う。
だから一覧性が確保できれば、整理はそれほど気にしなくてもいい。
厳選された一枚が大事なのはそのとおりだけど、何気ない写真でも後で見返すと大事だったり(風景の移り変わりや家族の若いときなど)するので、消すのはもったいないね。
Re: (スコア:0)
フィギュアの保管場所は必ずなんとかできるけど、
写真の整理はどうしようもない。