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猥褻物陳列の罪には問われないのか彼の国は
日本であれば間違いなく優位性はないですね。
憲法にも権利とはあくまで公共の福祉に反しない範囲において保証される物であることが明記されていますから。
日本国憲法の作成にアメリカも関与しているのでアメリカでも同じ考え方のはずなんですけどね。
権利と権利の衝突にしろ、権利と公共の福祉の衝突にしろ、単純に「AがBに優先する」というものではありません。それぞれの妥当性を勘案して判断されるものです。
憲法に表現の自由とあっても、公共の福祉の観点からあまりにもマズいと判断されればその自由は制限され得ます。しかし公共の福祉を看板に、ありとあらゆる表現に口を出そうとすれば表現の自由を盾に抵抗できます。人権ですら、公共の福祉によって制限され得ます。しかし、公共の福祉のお題目があればいついかなる場合でも人権を制限できるわけではありません。
なにか「公共の福祉」という物を権力か何かと勘違いしていませんか?
「公共の福祉」とは社会をよりよい方向に持っていく為の手段です。だから「公共の福祉」のお題目で人権を制限したいならそうしようとする側が制限をすることで社会がどう良くなるか説明する必要があります。ですから「公共の福祉」のお題目でいかなる場合でも権利を制限できるわけではありませんが逆に言えば権利を主張する側も当然ですがその権利があることで社会をどう良くできるのか説明する必要があると思いますけど。(でなければその主張はただのわがままとしてしか認識されないかと)そしてこれは結局の所「公共の福祉」の概念に従うことになります。
だから「公共の福祉」は個人の権利より優先される物ですよ。
今回のストーリーに関連して逆に質問させてもらえばある男性(でなくても良いですけど)が公共の場で誰にでも見られる形でポルノ動画に代表される年齢制限が必要とされた物を見ることでどう社会が良くなるのですか?(制限する側には元々制限が必要な物を公共の場で誰でも見られるような形で見ることで年齢制限を無視する事になるからという確固たる言い分がありますけど)
>逆に言えば権利を主張する側も当然ですがその権利があることで社会をどう良くできるのか説明する必要があると思いますけど。(でなければその主張はただのわがままとしてしか認識されないかと)。
それは明治憲法下の権利保障の考え方に近い。日本国憲法での権利保障=自然権思想の承認だという基本を押さえて欲しい。
「公共の福祉」による人権の制限は、その権利の性質によって決定すると考えられている。例えば、刑事被告人が公正な裁判を求める権利は例外のない絶対的な保障と解釈されているし、経済活動の自由には広範な制約が許されると解されているし、言論の自由の場合は「明白かつ現在の危険」の場合に限られるとされる。
今回の場合は3番目に近いかな。
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
検閲はできなくても (スコア:0)
猥褻物陳列の罪には問われないのか彼の国は
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
日本であれば間違いなく優位性はないですね。
憲法にも権利とはあくまで公共の福祉に反しない範囲において保証される物であることが明記されていますから。
日本国憲法の作成にアメリカも関与しているのでアメリカでも同じ考え方のはずなんですけどね。
Re: (スコア:0)
権利と権利の衝突にしろ、権利と公共の福祉の衝突にしろ、単純に「AがBに優先する」というものではありません。
それぞれの妥当性を勘案して判断されるものです。
憲法に表現の自由とあっても、公共の福祉の観点からあまりにもマズいと判断されればその自由は制限され得ます。
しかし公共の福祉を看板に、ありとあらゆる表現に口を出そうとすれば表現の自由を盾に抵抗できます。
人権ですら、公共の福祉によって制限され得ます。しかし、公共の福祉のお題目があればいついかなる場合でも人権を制限できるわけではありません。
Re:検閲はできなくても (スコア:0)
なにか「公共の福祉」という物を権力か何かと勘違いしていませんか?
「公共の福祉」とは社会をよりよい方向に持っていく為の手段です。
だから「公共の福祉」のお題目で人権を制限したいならそうしようとする側が制限をすることで社会がどう良くなるか説明する必要があります。
ですから「公共の福祉」のお題目でいかなる場合でも権利を制限できるわけではありませんが逆に言えば権利を主張する側も当然ですがその権利があることで社会をどう良くできるのか説明する必要があると思いますけど。(でなければその主張はただのわがままとしてしか認識されないかと)
そしてこれは結局の所「公共の福祉」の概念に従うことになります。
だから「公共の福祉」は個人の権利より優先される物ですよ。
今回のストーリーに関連して逆に質問させてもらえばある男性(でなくても良いですけど)が公共の場で誰にでも見られる形でポルノ動画に代表される年齢制限が必要とされた物を見ることでどう社会が良くなるのですか?(制限する側には元々制限が必要な物を公共の場で誰でも見られるような形で見ることで年齢制限を無視する事になるからという確固たる言い分がありますけど)
Re: (スコア:0)
>逆に言えば権利を主張する側も当然ですがその権利があることで社会をどう良くできるのか説明する必要があると思いますけど。(でなければその主張はただのわがままとしてしか認識されないかと)。
それは明治憲法下の権利保障の考え方に近い。
日本国憲法での権利保障=自然権思想の承認だという基本を押さえて欲しい。
「公共の福祉」による人権の制限は、その権利の性質によって決定すると考えられている。
例えば、刑事被告人が公正な裁判を求める権利は例外のない絶対的な保障と解釈されているし、経済活動の自由には広範な制約が許されると解されているし、言論の自由の場合は「明白かつ現在の危険」の場合に限られるとされる。
今回の場合は3番目に近いかな。