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表作成ソフトじゃないの?
本来は表計算ソフトなのに、文章作成ソフトになってるのがおかしいんだよねこれも全てWordの出来が悪いって事が起因Wordが使えないから、Excelを使って文章位置を細かく調整し始めたのが悪習の根源
Wordが使えないから、Excelを使って文章位置を細かく調整し始めたのが悪習の根源
それが大きな原因であることは確か。それは認めるとして。
まず、Wordの出来の悪さは、日本固有の問題ではないですよね。なのに、Excel偏重問題が海外からあまり聞こえてこないのは何故なのか?日本は必要以上に見た目に拘り過ぎてるんじゃないでしょうか。無くても良い罫線に拘り過ぎるとか。
次に、Wordが使えないのは、一つには文書作成技法を学ばないから、というのもあるんじゃないですかね?章立てのある文書の作成方法って、少なくとも日本では、高校以前には習わないよね。文書作成技法を知ってて、それに従って作成しようとするなら、Excelを選ぶってことは無いと思います。生産性が低すぎる。これも、見た目に拘り過ぎた結果かも。
まず、Wordの歴史的な経緯を共有する必要があります。MS officeシリーズがリリースされたのですが、当時は一太郎や松がシェアが圧倒的でした。その時にWordを使わない理由として挙げられたのが罫線等の装飾の弱さでした。これには時代的な背景があって、今ほどカラー印刷が一般的では無く、しかも画像が全く無い状態で文字だけで文章の見栄えを良くする時代があったのです。そこで活躍したのが色々なパターンの罫線でした。このバリエーション豊かな罫線によって、文字だけの文章を綺麗に”印字”する事が出来ました。Wordが普及しない理由として指摘されたのが罫線のバリエーションの
注文表(票?)云々はともかく、だいたいの流れはその通りだと思います。で、
日本人が求めていたのは文章を段落毎に自由に配置が出来る自由な配置と、罫線で文章を囲うのが大好きって人が多いって事が挙げられます。
これは何故なんでしょう?日本以外でそうならなかったのは何故なんでしょう?書いてもらった流れは、それを全く説明してませんよね。
では、何故日本では文章を囲う必要があったのかの補足です。日本語と英語を比べてみると、文字数に対しての情報量に圧倒的な差があります。印字を前提にした文章だと、1枚の紙に対して何個もの違った情報を記載する事ができます。分かりやすいベタな例として町内会の会報 [sakura.ne.jp]があります。このように1枚の紙に対して複数の情報をレイアウトしようとした際に罫線で囲ったり、漫画のコマ割りみたいに自由に配置したいと望む人が多いのです
なんか理屈がおかしい気がしますね。言語の持つ情報密度が高い、と言うのなら、罫線以外に余白を大きくとる、という方法でも区切ることが容易になるのでは?逆に、情報密度が低ければ、同じ情報量でもたくさんの文字を配置せねばならず、余白を取りにくくなり、より罫線に頼りがちになりそうです。
仮に情報密度が原因だとしても、言語の持つ情報密度、と言うよりも、単に情報密度が高いのを好むか否かによるんじゃないでしょうか?
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そもそもエクセルって (スコア:0)
Re: (スコア:0)
表作成ソフトじゃないの?
Re: (スコア:0)
本来は表計算ソフトなのに、文章作成ソフトになってるのがおかしいんだよね
これも全てWordの出来が悪いって事が起因
Wordが使えないから、Excelを使って文章位置を細かく調整し始めたのが悪習の根源
Re: (スコア:1)
Wordが使えないから、Excelを使って文章位置を細かく調整し始めたのが悪習の根源
それが大きな原因であることは確か。それは認めるとして。
まず、Wordの出来の悪さは、日本固有の問題ではないですよね。
なのに、Excel偏重問題が海外からあまり聞こえてこないのは何故なのか?
日本は必要以上に見た目に拘り過ぎてるんじゃないでしょうか。
無くても良い罫線に拘り過ぎるとか。
次に、Wordが使えないのは、一つには文書作成技法を学ばないから、というのもあるんじゃないですかね?
章立てのある文書の作成方法って、少なくとも日本では、高校以前には習わないよね。
文書作成技法を知ってて、それに従って作成しようとするなら、Excelを選ぶってことは無いと思います。生産性が低すぎる。
これも、見た目に拘り過ぎた結果かも。
Re: (スコア:1)
まず、Wordの歴史的な経緯を共有する必要があります。
MS officeシリーズがリリースされたのですが、当時は一太郎や松がシェアが圧倒的でした。
その時にWordを使わない理由として挙げられたのが罫線等の装飾の弱さでした。
これには時代的な背景があって、今ほどカラー印刷が一般的では無く、しかも画像が全く無い状態で文字だけで文章の見栄えを良くする時代があったのです。
そこで活躍したのが色々なパターンの罫線でした。
このバリエーション豊かな罫線によって、文字だけの文章を綺麗に”印字”する事が出来ました。
Wordが普及しない理由として指摘されたのが罫線のバリエーションの
Re: (スコア:1)
注文表(票?)云々はともかく、だいたいの流れはその通りだと思います。
で、
日本人が求めていたのは文章を段落毎に自由に配置が出来る自由な配置と、罫線で文章を囲うのが大好きって人が多いって事が挙げられます。
これは何故なんでしょう?
日本以外でそうならなかったのは何故なんでしょう?
書いてもらった流れは、それを全く説明してませんよね。
Re: (スコア:0)
では、何故日本では文章を囲う必要があったのかの補足です。
日本語と英語を比べてみると、文字数に対しての情報量に圧倒的な差があります。
印字を前提にした文章だと、1枚の紙に対して何個もの違った情報を記載する事ができます。
分かりやすいベタな例として町内会の会報 [sakura.ne.jp]があります。
このように1枚の紙に対して複数の情報をレイアウトしようとした際に罫線で囲ったり、漫画のコマ割りみたいに自由に配置したいと望む人が多いのです
Re:そもそもエクセルって (スコア:1)
なんか理屈がおかしい気がしますね。
言語の持つ情報密度が高い、と言うのなら、罫線以外に余白を大きくとる、という方法でも区切ることが容易になるのでは?
逆に、情報密度が低ければ、同じ情報量でもたくさんの文字を配置せねばならず、余白を取りにくくなり、より罫線に頼りがちになりそうです。
仮に情報密度が原因だとしても、言語の持つ情報密度、と言うよりも、単に情報密度が高いのを好むか否かによるんじゃないでしょうか?