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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
非のない所に煙は立たぬ (スコア:1, 興味深い)
炎上の原因は、ほぼ100%書き手にあるように思われます。
まったく非がないのに炎上したことがあるのだろうか?
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:1)
(とりあえず数学は除いて -- 入れてもいいけど公理系の話とか出てくると議論が発散しすぎる。)
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0)
非の有無が、一部の特殊な人の特殊な道理で非礼だと一方的に受け止めるケースは無視できるならば
言論の自由がある限り、言及した時点で行為自体いきなり非があるとされる言説は無いはずです。
因縁が実際につけられるまでは、それはすでに非の無い言説といえるでしょう。
(たとえ言いたい事はあるが、多すぎてスルーされたものであっても)
抽象的なレベルで定義すると、数学というか論理学の領域でしょうか。
発散というより実践的ではないですが、非の有無は言及した時点では「未定」
という前提を宣言しないと具体例を考えても、それこそ発散しすぎるので一応。
まず、非があると因縁つけるためには、相応に利害衝突があって、
損害を受けた事を申告する必要がありますが、言及している人が最大の決定権と
責任を有している身近な話題になるほど、他者は非を責める根拠が乏しくなる。
根拠が無くても、とりあえず騒ぎ立てる特殊な人(いわば放火犯)につかまるまで、
その言説には非がない、というより非を与えていないといっていいでしょう。
具体的には、ごく身近な話題に対する「ありがとう」という感謝の話題や、
負け惜しみや皮肉なく既に反省している話題などは非難するのが難しいでしょうね。
*くだらないものを読んだ時間を返せ、という因縁は特殊な人の道理という事で無視。
#身近というのは、その人にコントロール権が与えられている事象のこと