アカウント名:
パスワード:
元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YSの出力不足は、沼口に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹はその著書『機長からアナウンス』で「最初はあまりのパワーのなさに驚いた」、「そのうえコクピットの居住環境も、寒すぎたり暑すぎたりとほんとうに最悪だった」、「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」、「クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」、「パイロット仲間でもYS-11に愛着のある人をほとんど知らない」と酷評している[23]。
暇人のプライドをくすぐる以外にいいとこないんかい
> クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機 どこがクラウンやねん。おいちゃん地方に住んでたとき年2回乗ってたけど、上の棚もトレイもない狭い機体で、コップ置きはワイヤーの輪っかだったよ。飛んでるときはブンブンうるさいし。
松本空港のジェット機対応敷地拡大に反対する声が「ジェット機はYS-11より騒音が大きくなる」だったような曖昧な記憶が。いや小さくなるだろとしか思いませんでしたが。
ミゼット三輪軽トラに富士重工ラビットのエンジンを積んでみました的な表現の方が合ってそう。
>松本空港当時のジェットエンジンはバイパス比が低いこともあって、騒音が現在のものとは比較にならない。旅客機のエンジン設計について、ここまで騒音や燃費を考慮するようになるとは、当時は想像もできなかった。
松本空港の拡張の反対運動とは、ざっと40年前のこと。現在の知見を元に当時のことをあれこれ言うのは良くない。
ウィキペディア [wikipedia.org]によりますと1991年6月15日に長野オリンピックの開催が決定 [wikipedia.org]されたのちにジェット化空港拡張が決まり1992年1月に起工式が行われたということです。
1980年代後半になって運輸省(当時)による地方空港整備計画に基づき滑走路の延長計画が表面化」とのことですが、多分その後も反対の声があっただろうから長野オリンピックの後押しがなければ拡張されてたかどうか微妙な空港だと思いますけどね。30年ほど前だともうジェット機の方が静かになっていて根拠が無くなっても反対してた人がいるってことです。
大阪への2便が1982年からとのことなので、40年も前だとYS-11の運行も始まっていなかったようですよ。YS-11が飛んでもいないのにジェット機はさらにうるさいなんて運動は起きていなかったんじゃないでしょうか。
3685150のACです。
すべて曖昧な記憶になることご容赦。'84年の半ばのころ、松本空港拡張に反対する運動に加わっていた後輩から、拡張差し止め要求の訴訟資料を見せてもらった経験がある。それとは別に、やはり'84年ころ、中信地区のローカル雑誌でタイトルは『稜』だったかと思うが、松本空港拡張計画に反対する特集を組んだものが発刊されていた。
というわけで、反対運動の年代を「ざっと40年前」と書いたのは、少なくとも私の記憶では故なきことではない。もとより、訴訟資料なりその雑誌なりを今手元に置いているわけでもないので、Wikipedia当該記事を私が修正することはない。
横からですが,第4次空港整備五箇年計画(1986〜)で滑走路の延長が計画に上がり,その前から調整していたことを考えれば,運動は1980年代ですね.
なお,差止訴訟の判決は1990年にでています.「ジェット機の飛行は4年後という遠い将来のことであり,ジェット機の運行計画も未定だから,ジェット機の被害を理由とした差し止め訴訟は原告不適格」と言うよくある行政訴訟の結果になっています.
えーとですね、「ジェット機の方がうるさい」が根拠にならなくなってもそれを根拠にした反対運動があったってことですよね。それと反対運動の根拠が運動が始まった頃に騒音が正しく評価されてたかどうかという疑問も残ります。
反対運動は、騒音のみを根拠にしたのではない。また、東亜国内航空(当時)が就航会社であるところ、想定使用機種はDC-9であり、当然のこと騒音想定もDC-9による。
ああ、P-3Cを更新しようとするP-1に対する反対運動みたいなものか。←実際あるんだぜ(笑)
その反対運動の当時、想定されていた機種はDC9。繰り返しになるが、21世紀の現用機種での騒音を元に当時の反対運動を腐すのは間違っている
追記。'82年とあるのは、大阪便の通年運行が始まった年のことだろう。https://www.pref.nagano.lg.jp/... [nagano.lg.jp]
この記事の通り、季節便としての運行は'68年に始まっていて、それなりに歴史のあることだ。
ウィキペディアを参照して>思いますけど>あっただろう妄想を垂れ流し
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
※ただしPHPを除く -- あるAdmin
https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:5, 興味深い)
元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YSの出力不足は、沼口に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹はその著書『機長からアナウンス』で「最初はあまりのパワーのなさに驚いた」、「そのうえコクピットの居住環境も、寒すぎたり暑すぎたりとほんとうに最悪だった」、「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」、「クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」、「パイロット仲間でもYS-11に愛着のある人をほとんど知らない」と酷評している[23]。
暇人のプライドをくすぐる以外にいいとこないんかい
Re: (スコア:0)
> クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機
どこがクラウンやねん。
おいちゃん地方に住んでたとき年2回乗ってたけど、上の棚もトレイもない狭い機体で、コップ置きはワイヤーの輪っかだったよ。
飛んでるときはブンブンうるさいし。
Re:https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:2)
松本空港のジェット機対応敷地拡大に反対する声が「ジェット機はYS-11より騒音が大きくなる」だったような曖昧な記憶が。いや小さくなるだろとしか思いませんでしたが。
ミゼット三輪軽トラに富士重工ラビットのエンジンを積んでみました的な表現の方が合ってそう。
Re: (スコア:0)
>松本空港
当時のジェットエンジンはバイパス比が低いこともあって、騒音が現在のものとは比較にならない。旅客機のエンジン設計について、ここまで騒音や燃費を考慮するようになるとは、当時は想像もできなかった。
松本空港の拡張の反対運動とは、ざっと40年前のこと。現在の知見を元に当時のことをあれこれ言うのは良くない。
Re:https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:1)
ウィキペディア [wikipedia.org]によりますと1991年6月15日に長野オリンピックの開催が決定 [wikipedia.org]されたのちにジェット化空港拡張が決まり1992年1月に起工式が行われたということです。
1980年代後半になって運輸省(当時)による地方空港整備計画に基づき滑走路の延長計画が表面化」とのことですが、多分その後も反対の声があっただろうから長野オリンピックの後押しがなければ拡張されてたかどうか微妙な空港だと思いますけどね。30年ほど前だともうジェット機の方が静かになっていて根拠が無くなっても反対してた人がいるってことです。
大阪への2便が1982年からとのことなので、40年も前だとYS-11の運行も始まっていなかったようですよ。YS-11が飛んでもいないのにジェット機はさらにうるさいなんて運動は起きていなかったんじゃないでしょうか。
Re:https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:1)
3685150のACです。
すべて曖昧な記憶になることご容赦。
'84年の半ばのころ、松本空港拡張に反対する運動に加わっていた後輩から、拡張差し止め要求の訴訟資料を見せてもらった経験がある。
それとは別に、やはり'84年ころ、中信地区のローカル雑誌でタイトルは『稜』だったかと思うが、松本空港拡張計画に反対する特集を組んだものが発刊されていた。
というわけで、反対運動の年代を「ざっと40年前」と書いたのは、少なくとも私の記憶では故なきことではない。もとより、訴訟資料なりその雑誌なりを今手元に置いているわけでもないので、Wikipedia当該記事を私が修正することはない。
Re: (スコア:0)
横からですが,第4次空港整備五箇年計画(1986〜)で滑走路の延長が計画に上がり,その前から調整していたことを考えれば,運動は1980年代ですね.
なお,差止訴訟の判決は1990年にでています.
「ジェット機の飛行は4年後という遠い将来のことであり,ジェット機の運行計画も未定だから,ジェット機の被害を理由とした差し止め訴訟は原告不適格」と言うよくある行政訴訟の結果になっています.
Re:https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:1)
えーとですね、「ジェット機の方がうるさい」が根拠にならなくなってもそれを根拠にした反対運動があったってことですよね。それと反対運動の根拠が運動が始まった頃に騒音が正しく評価されてたかどうかという疑問も残ります。
Re: (スコア:0)
反対運動は、騒音のみを根拠にしたのではない。
また、東亜国内航空(当時)が就航会社であるところ、想定使用機種はDC-9であり、当然のこと騒音想定もDC-9による。
Re: (スコア:0)
ああ、P-3Cを更新しようとするP-1に対する反対運動みたいなものか。←実際あるんだぜ(笑)
Re: (スコア:0)
その反対運動の当時、想定されていた機種はDC9。繰り返しになるが、21世紀の現用機種での騒音を元に当時の反対運動を腐すのは間違っている
Re:https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 (スコア:1)
追記。
'82年とあるのは、大阪便の通年運行が始まった年のことだろう。
https://www.pref.nagano.lg.jp/... [nagano.lg.jp]
この記事の通り、季節便としての運行は'68年に始まっていて、それなりに歴史のあることだ。
Re: (スコア:0)
ウィキペディアを参照して
>思いますけど
>あっただろう
妄想を垂れ流し