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大人が書いた文章で「お父さんが」って…普通「父が」だろ。
「いい大人が電車の中で漫画週刊誌を読んでいる。情けない話だ。」という投書があったコトを思い出しました。
何故、大人が漫画を読んじゃイケナイの? 誰がそんなコトを決められるの? 法律で決められてるワケじゃないよね? 何で何で?
まだ幼かったこともあって、鮮烈な記憶として残っているのですが、当時そんなコトを言っていた「大人たち」は、今、漫画原作の映画やドラマを何の疑いも無く、嬉々として観たりしているワケで、私は苦笑混じりに「そういうモンなんだなぁ…」と思わざるを得ません。
漫画を人前で読むことを恥とするかは価値観の問題で何が正解ってことはないし時代と共に変わるけど、敬語・謙譲語・丁寧語の使い分け(現在でも義務教育範囲内)ができていないのは単に学がないだけじゃないか?
何故ここで敬語の話が出てくるのかなー、と思ったのですが、タレ主さまは
>確か、小学校3年くらいから5年まで小学生新聞購読させてもらってた。>その後はお父さんが読んだ後の新聞読んでたっけ。
って書いてあるんだよね。最後は「たっけ。」という過去形になっています。
つまりタレ主さまは、当時の自分を今の自分が俯瞰して表現しているんですよ。
だから、ただ単に今の自分が「今日、お父さんが読んだ後の新聞読んだよ。」と言うのとは、少々ニュアンスが違うと思うんですよね。
ビジネス的に例えれば、「あと一時間くらいで
顧客が怒るほどアウトとまでは言わないけど、用法としては間違ってる
「あの時私は『お父さんのこと好きだよ』と言った」なら、幼少期の自分が事実として発した台詞を引用しているだけだから正しいけど、どれだけ過去だろうが何だろうが、身内のことを言うなら「あの時は私は父のことが好きだった」が正しい
そうでしょうか?貴方は三番目の例である、「あの時、(社長の)○○が列車事故に遭って一時間遅刻したのは、大変でしたね~。」には触れられませんでしたが、顧客側としては、「この人、社長を呼び捨てなのかな?」「エ! どんな会社なんだろう?」といった、違和感が出て来るのですよ。
つまり、顧客に対する謙譲の念と、身内の目上の人に対する尊敬の念のバランスは、「時」と「場合」と「立場」により変化すると私は考えています。
で、そこまで用法に拘って「正しいかどうか」を正当化するべき問題なのでしょうか?まぁ、私はタレ主さま当人でもない第三者だけど、そもそもタレ主さんの
>その後はお父さんが読んだ後の新聞読んでたっけ。
は「引用」なんですよね。(タレ主さまが直接が書いてるワケではありませんよ。)なのに、そこまで糾弾される必要のある問題なのか、って話です。
で、コトここまで至ると、以前ここで私が書いた話を持ち出すしか無いのですが、そもそも私も貴方もタレ主さまも「ビジネス」として活動しているのではない、と私は「推測」しています。
そのようなコミュニティにおいて、そこまで重箱の隅を突く必要が有るのかという点は、甚だ「疑問」に思わざるを得ません。
例えば、貴方は今回のコメントの文末に「。」が付いていません(2個所)が、現代的な日本語表記においては「。」を付けるのが「正しい」と思います。
私の目からすれば「お父さん」の表記は、そのレベルの話でしかないという認識です。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
お父さん (スコア:0)
大人が書いた文章で「お父さんが」って…
普通「父が」だろ。
50年位前の新聞投書欄で (スコア:1)
「いい大人が電車の中で漫画週刊誌を読んでいる。情けない話だ。」
という投書があったコトを思い出しました。
何故、大人が漫画を読んじゃイケナイの?
誰がそんなコトを決められるの?
法律で決められてるワケじゃないよね?
何で何で?
まだ幼かったこともあって、鮮烈な記憶として残っているのですが、
当時そんなコトを言っていた「大人たち」は、今、漫画原作の映画やドラマを
何の疑いも無く、嬉々として観たりしているワケで、
私は苦笑混じりに「そういうモンなんだなぁ…」と思わざるを得ません。
ヒトよりコト・モノに関心を持ち、反応するように心掛けています♪(^^)v
Re: (スコア:1)
漫画を人前で読むことを恥とするかは価値観の問題で何が正解ってことはないし時代と共に変わるけど、敬語・謙譲語・丁寧語の使い分け(現在でも義務教育範囲内)ができていないのは単に学がないだけじゃないか?
Re: (スコア:1)
何故ここで敬語の話が出てくるのかなー、と思ったのですが、タレ主さまは
>確か、小学校3年くらいから5年まで小学生新聞購読させてもらってた。
>その後はお父さんが読んだ後の新聞読んでたっけ。
って書いてあるんだよね。
最後は「たっけ。」という過去形になっています。
つまりタレ主さまは、当時の自分を今の自分が俯瞰して表現しているんですよ。
だから、ただ単に今の自分が「今日、お父さんが読んだ後の新聞読んだよ。」と
言うのとは、少々ニュアンスが違うと思うんですよね。
ビジネス的に例えれば、
「あと一時間くらいで
ヒトよりコト・モノに関心を持ち、反応するように心掛けています♪(^^)v
Re:50年位前の新聞投書欄で (スコア:1)
顧客が怒るほどアウトとまでは言わないけど、用法としては間違ってる
「あの時私は『お父さんのこと好きだよ』と言った」なら、幼少期の自分が事実として発した台詞を引用しているだけだから正しいけど、どれだけ過去だろうが何だろうが、身内のことを言うなら「あの時は私は父のことが好きだった」が正しい
Re:50年位前の新聞投書欄で (スコア:1)
顧客が怒るほどアウトとまでは言わないけど、用法としては間違ってる
そうでしょうか?
貴方は三番目の例である、
「あの時、(社長の)○○が列車事故に遭って一時間遅刻したのは、大変でしたね~。」
には触れられませんでしたが、顧客側としては、「この人、社長を呼び捨てなのかな?」
「エ! どんな会社なんだろう?」といった、違和感が出て来るのですよ。
つまり、顧客に対する謙譲の念と、身内の目上の人に対する尊敬の念のバランスは、
「時」と「場合」と「立場」により変化すると私は考えています。
で、そこまで用法に拘って「正しいかどうか」を正当化するべき問題なのでしょうか?
まぁ、私はタレ主さま当人でもない第三者だけど、そもそもタレ主さんの
>その後はお父さんが読んだ後の新聞読んでたっけ。
は「引用」なんですよね。(タレ主さまが直接が書いてるワケではありませんよ。)
なのに、そこまで糾弾される必要のある問題なのか、って話です。
で、コトここまで至ると、以前ここで私が書いた話を持ち出すしか無いのですが、
そもそも私も貴方もタレ主さまも「ビジネス」として活動しているのではない、
と私は「推測」しています。
そのようなコミュニティにおいて、そこまで重箱の隅を突く必要が有るのかという点は、
甚だ「疑問」に思わざるを得ません。
例えば、貴方は今回のコメントの文末に「。」が付いていません(2個所)が、
現代的な日本語表記においては「。」を付けるのが「正しい」と思います。
私の目からすれば「お父さん」の表記は、そのレベルの話でしかないという認識です。
ヒトよりコト・モノに関心を持ち、反応するように心掛けています♪(^^)v