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もっと書いた方がいいか?スルーできない*馬鹿*が存在するからだって。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
非のない所に煙は立たぬ (スコア:1, 興味深い)
炎上の原因は、ほぼ100%書き手にあるように思われます。
まったく非がないのに炎上したことがあるのだろうか?
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:1, フレームのもと)
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:2, 興味深い)
仮に
原因がないところで「非論理的かつ感情的」なコトをしたとしても「炎上」がおこるとは思えません。誰も相手にしないで終わるだけでは?
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:3, すばらしい洞察)
その「ノイズ」が取り去られた状態を「炎上」と呼ぶでしょうか?呼ばないと思いますよ。「非論理的かつ感情的」でない、つまり、論理的かつ冷静な意見ばかりが残るのであれば、それは炎上ではなく単に間違った意見に批判が寄せられた、と言うだけでしょう。
それに、電話や郵便を使う古いメディアと違って、ブログへのコメントは、それまで寄せられた批判をリアルタイムに確認できますから、もしそれらの批判の中に自分と同様の意見を発見すれば、新たにコメントする必要はありません。冷静に判断できていれば、「余計なもの」コメントは避けるでしょう。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:1)
論点がズレてないかな?
炎上中なら、「純粋な反論」+「便乗ノイズ」が混在していると言える。
しかし、炎上の原因/本質は『誰が火種を管理しているか?』なので、
火種を持ってるのは書き手でしょって話じゃないのかな。
俯瞰しよう。何事も俯瞰しなくちゃ駄目だ。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:1)
ズレてはいないと思いますよ。
> しかし、炎上の原因/本質は『誰が火種を管理しているか?』なので、
なぜ火種だけが本質だと思うのでしょうか?火種だけあれば炎上は発生するのですか?そうではないでしょう。
元となるブログなり記事なりにまったく原因がないとは言いません。でも、「それだけが問題(の本質)だ」という意見には賛成できません。それだけでは炎上は発生しないからです。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0)
根拠もなしにそんなこと言われてもなあ
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0)
> 根拠もなしにそんなこと言われてもなあ
発生した例がありますか?ありませんよね。
この場合、それで十分でしょう。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0)
# 水程度では消火できないし、画期的な消火剤も無い。
# それこそ、江戸時代の火消しのごとく、周囲を打ち壊して延焼を防ぐしか手はない。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0)
炎上でコメントだらけになってサーバーが重くなるのは、書き手の責任ではないと。
100%っていうのも、100人の内とかいう意味ではなくて、責任の重さって意味じゃないですかね。
そういう風にとれば、一応言ってることに筋が通っているように読めます。
そりゃ、そんな無法者の行為の責任を書き手に求めるのは酷ですよねえ。
確かに炎上は自業自得だと思いますけど、それに伴う迷惑を書き手に押し付けてしまって、非論理的かつ感情的なコメントの乱打を許容しちゃうことに対する非難と言う意味で、元コメントはなかなかに興味深いのかもしれません。
#一番最初のコメントの100%は100人って意味だと思いますが。。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0, フレームのもと)
全員でスルーすれば炎上なんかあり得ないだろう。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:0, 荒らし)
言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:4, 興味深い)
右翼の街宣車が押し寄せて、どこの町でも開催できない、という
異常事態がしばらく続いたことがあった。
ブログ炎上というのは、あのときの街宣車と同じで、とりあえず
言論の形を採っているものの、他者の言論を妨害しようという、
暴力的な意図から発した行為と考えるべきだ。
街宣車の右翼だけが騒いでいた時代と比べると、そういう行為に
大勢の人間が参加するようになってしまった、と言う他ない。
そこらじゅうの「普通の人」が溜め込んでいる敵意の総量が、昔
とは違ってしまったのかねぇ。
Re:言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:5, 興味深い)
愉しみの為に人を傷つける「普通の人たち」は昔からいました。
普通の人たちの矛先は身近にいる被差別民でした。
隣人と差別意識を共有することで、罪の意識を感じずにいられました。
昔と今の最大の違いは、意識を共有できる隣人がいないということです。
隣に住む人は見知らぬ他人です。
では、これからはだれと意識を共有しましょうか。
普通の人たちはインターネットで出会い、匿名の隣人としてお互いに罪の意識を感じないコミュニティに育ってゆきます。
では矛先は。遠く離れた、自分たちの誰から見ても等距離の、会ったこともない弱者が適切です。
敵意の総量が変わったわけではありません。
目に付く場所に残りやすくなっただけです。
Re:言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:2, すばらしい洞察)
犯罪容疑者や問題起こした芸人に関する過激報道も、
社会的な要求に基づく「被差別民の供給システム」
なのだと解釈するとしっくりくる。
Re:言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:2, 興味深い)
相手が政治家や芸能人など社会的地位の高い人間だと「相手を傷つける楽しみ」というよりは妬みが強力な原動力となります。
社会的地位の高い人間を「糾弾」するとなると、妬みは「義憤」に偽装され、これには罪の意識どころか正義感が伴いますから抗いがたい快感があります。
Be generous with your life.
Re:言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:2, すばらしい洞察)
でそういう人間が昔は敵意なんかため込んで無かったのかというとそれも疑問に思う。
あくまでも疑問なので総量が増えたかどうかは分からない。
ただ間違いないのは、ネットという便利な道具のおかげで、
その敵意を容易に束ねて集中できるようになった点ではないかと思う。
敵意に限らず、良いことにも悪いことにも。
Re:言論の姿を借りた暴力じみたもの (スコア:0)
敵意の対象が権力者に向かうとサブカルチャー
たとえば太古の学生運動なんぞ
まさにおっしゃる「言論のような暴力」そのもの。
昔から敵意の総量や行為の方向性、参加する人数なんて、
たいして変わっちゃおらんと思いますよ。
対象が変わっただけで。マスコミが権力者になってたり。
Re:非のない所に煙は立たぬ (スコア:1, すばらしい洞察)
諺? (スコア:0)