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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人
名作もこの有様 (スコア:5, おもしろおかしい)
48 :名無しさん@恐縮です:2008/09/24(水) 18:54:11 ID:dULQ7nwh0
あたし猫 夏目漱石
アタシ
猫
名前?
まだなぃ ょ
まぁ普通にねこ
飼い主?
まぁ
当たり前に
いる
てか
いない訳ないじゃん
みたいな
生まれ?
ゎかんない。全然しらなぃし
チョー暗いとこ?で
ニャー☆ミニャー☆ミ泣いてたワラ
なんというか、ひどい(;´Д`)
And now for something completely different...
Re: (スコア:1, すばらしい洞察)
「あたし彼女」もそういう意味では合格点だった。
ここには全部読んだ人は少なそうだけど。
文体に関しては女の人が20代前半で書いた
これ [aozora.gr.jp]なんかとノリ的に近いものを感じる。
むしろこれの方がぶっ飛んでるかも。
ま、クオリティは比べるべくもないし、語彙も少ないけどね。
Re: (スコア:0)
よくあるケータイ小説でしたよ
Re: (スコア:1)
#残りの半分は世の中に対するありがちな不平不満かな。
Re:名作もこの有様 (スコア:0)
>#残りの半分は世の中に対するありがちな不平不満かな。
それで最初の
[文学からクオリティと語彙を抜いたら何が残るんだろーか。]
という命題に照らし合わせると、文学としては何も残らないと。
でも逆説的に言うと、「既存の文学の枠に対して何も残さない」のがこの作品の本質かと。
「受賞作品」という煽り抜きで接する事がなかった人は、別のケータイ作品を読むきっかけ
になったか?っていうと殆どなっていない、何か新世界を認知した人は少数でしょう。
自分も書けると思って、一山あててやろうとリサーチを始めた人はいそうですがね。
以下、肯定とか否定とか色々みて回った感想。
人を選ぶ作品であるのは見た目で解るけど、受賞というイベントを境にして、
文学以上の価値まで無理矢理見出して、過大評価がされた事で文学じゃなくなった。
言ってみれば「尾崎の歌」になってしまったのが、この作品に残された価値でしょう。
すべての賞には、そういう傾向があるけど、この作品の場合は特に「何もない」だけに、
誰も内容に触れずに火の無いところに煙を立たせる事に一生懸命だった印象があります。
受賞前からの既存の文学の枠に(無知とほぼ同義のレベルで)囚われない層には、
内容こそが「リアル」に感じるものだし、形式も自分達のメールと変わらない、
深い意味よりも入力の跡が見える文にこそ「リアル」なので、批判される理由が解らない。
彼らにとって見れば、自分達の遊び場にワザワザ学者面した大人が乗り込んできて、
あーだこーだと理屈をこねて貶してきたように感じるので、顔真っ赤にして怒る。
外部から見るとアホらしいけど、「作品が生きている」層の反応として最も妥当で自然。
少し文学を知っている層だと、内容はスルーで深読みして携帯デバイスに適した
「筆跡」が(作者が意図的に込めた作風と言わんばかりに)評価してみたりする。
冷静に見れば、単に作者の制作環境における制約が偶然生み出した産物の可能性が高いのに。
今の文学だって、最初は下賎な目で見られていたんだと「歴史」を持ち出したりする。
若者文化に理解ある大人を気取りたい、サブカルオタクによくみられる肯定の手法ですが。
本質的に理解する事を拒絶している、顔真っ赤にして擁護するほど愛着は無い軽さ。
擁護に盲信さがないので、いくら読んでも「作品が生きている」と思えない。
理論的な味方が現れて、もっともらしい説明が与えられたので、元来の読者層も
そういう事にしちゃっている傾向が見られるのが残念です。
否定的な反応は、「受賞」後「文学」として急にレーダーに押し入ってきた作品を、
他の文学賞受賞作品と同じ線上で語ってしまうのが、一定の年季がある文学グルメ。
理解できないからって批判している一番カッコ悪い奴と、肯定派からは叩かれる層。
確かに。それも一理あります。
しかし、曲がりなりにも文学とカテゴライズした上で、その「作品が生きている」世界から
出版という機会を、最優秀作という名誉まで与えて世に放った以上、批判的レビューは当然書かれる。
それに対して、気に入らなければ批判するな、解らない奴はカッコ悪いという擁護が成立している所に
内輪の馴れ合いの域を出ず成熟できない、同人世界の掟を見つけてしまうのです。
肯定している層の中であっても、既に作品としての命を失っている作品なのだから文学グルメに
受け入れられる余地などあるはずがないのは自明であったのですが。
良きにつけ悪しきにつけ、一定の層にはリアル(=ノンフィクション&リアルタイム&同世代感)
と信じこませるための仕掛けとして、この作品の設定や形式は意味があったかも知れません。
でも、リアルを感じない人間には、普遍性との乖離を強調するだけの障害になってしまった。
世代的に偏ったコミュニティの共感を最優先にした作品しか生まれていないケータイ文学、
ゴールが出版だけとした場合、目新しさがあるうちは時代の資料として購入もあるでしょう。
しかし、このままでは出版不況に飲み込まれるのは早いでしょうね。
Re: (スコア:0)
ほれ [wikipedia.org]。
Re: (スコア:0)
ラクガキに
ゲージュツだと
思った
人が
いた?
みたいな。