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東北や北海道では部落差別のイメージが湧かないでしょうし(集落の意味で「部落」という言葉を使う地域もあるらしいです)、関東の人にとっても「歴史」ではないかと思うのですが、近畿やそれ以西の地域では現在進行で継続している問題です。
自分も大阪出身なので、小学生のときには道徳の授業で使った副読本(『にんげん』です。大阪でしか使わなかったそうです)で教わりましたし、親もどこが被差別部落なのか知っているような雰囲気でした(あえて聞きませんでしたが)。いまは四国のそれなりに大きな都市に住んでいますが、自治体の建物などには部落差別をなくそうというきれいな看板がかかっています。
グーグルの中の人は差別を助長する意図はなかった、というよりも何も考えていなかっただろうと思いますが、わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない。批判を恐れずいうと、部落差別問題には誰も手を触れずに、「歴史」にしてやるのがいちばんだと思うのですが。
集落の意味で「部落」という言葉を使う地域もあるらしいです
それが本来の意味です。もともと「特殊部落」と呼ばれていたのが被差別部落ですが、いつの間にか「部落」自体が被差別部落を意味するようになってしまいました。
所詮「言葉狩り」という感じを受けられるのは仕方ないと思っていますが数年前に東京に出てきて、(東京だけではないと思いますが)・同和教育自体があまりない(地元では3~4か月に1回はあった)・「同和教育ってなに?」って人が多いと感じました。
被差別部落出身の友人がおりますが、その友人も集落としての意味の「部落」として会話に出てきているとわかっていても頭では『「会話中の部落」=「集落」』と理解できても、地元での差別とかを思い出してしまうようです。
「部落」という言葉の使い方をやめてほしいとというのではなく、差別意識自体はなくなってほしいなぁと思うのですが、何がしかの被害やいざこざにあった際、その相手方が被差別部落出身としいっている誰かが「あいつは部落出身だからだ」といってしまうことで、そういう意識が根付いてしまうことが残念でならないです。たぶん、最近の若年層がが発する情報に対して嫌悪感を持った際「『ゆとり』かよ」とか思うのもそういう感じなのかな。
何とかしたくても、自分なんかではどうともできなくっていやな気持ちになるばかりです。
東京出身者ですが、同和教育って受けた記憶ありません。 「同和問題」って言う言葉を聞いたことはありますたが、子供の頃はそれがどういうものかは特に調べる気もなかったので知らないままでいましたね。 何で、小学校高学年ぐらいの頃、駅の近くに同和がどうのとか部落差別がどうのとかかべたべた書かれたワンボックスが一月ぐらい違法駐車していたときには、「なんだありゃ? そういやぁエセ同和がどうのとか言う話聞いたような……腐れやくざのたぐいか?」ぐらいにしか思ってませんでした。 その後同和問題がどういうものか軽く調べた後、「あれはエセ同和だったんだな」と確信したわけですが。# 私の田舎は、江戸時代大火で焼け出された人たちが移り住むまで一般人立ち入り禁止(将軍家直轄地)でした。つまり被差別部落など作りようがなかったので、同和問題などあり得なかった=そこにやってきて同和同和と騒ぐのはエセでも無ければあり得ないわけで。# 何しろ人が誰もいないから安心して中央線をまっすぐ引けたくらい。あれ、当初は甲州街道沿いに作る予定だったのが「客が鉄道で都心に取られる」と地元の反対で頓挫し、反対する人など影も形もなかった今のところに引いたんですよ。結果中央線沿線が栄え甲州街道沿いが寂れたので、あわてて引いたのが京王線。その後井の頭線が引かれたとき、三鷹まで引かれる予定だったのが「客が……」と地元商店街が反対したため吉祥寺止まり。結果どうなったかというと今の吉祥寺と三鷹の駅近辺を見れば……。人というものは過去から正しく学ぶ事ができないようで。
昭和62年生まれの大分県出身ですが、小学校低学年(平成1桁)までは部落という言葉は普通に使われていましたね。
集団登校を統率する役割の上級生のことを部落長、同じ集団で登校する地区のことを部落といってました。5年生になるころにはいつのまにか何の説明もされず地区という言い方に変わっていた覚えがあります。
市内に、被差別部落があるのですが、ディープに染まり気味な関係者からも経済・学力格差以外は、一切、耳にしたことがなく現在進行中の差別という認識が殆ど無いので誰も気にしてないようです
学生時代にバイトで大阪の被差別部落地帯らしいところへ行きましたが。大きくてきれいな一軒家が多く、子供はみんな塾で勉強させていて学力水準も高くてびっくりしました。
#地域福祉とか優遇されていたのかなぁ?
景気低迷が深刻化した結果、それまで大して気にしなかった現実が無視できなくなってくる。たとえば営利法人が、利潤追求にマイナスになりそうな気のする要素を、人材選別にあたって事前に排斥する志向を強めることは十分考えられる。
おそらく「特殊部落」からではなく「部落差別」という言葉から「部落」=「被差別部落」となったと推測します。
まあ、言葉が変化するのは仕方ないところですね。「風俗」という言葉に至っては、20年前の辞書にかかれている意味では全く使われなくなってしまってますし。
え?明治大正昭和初期の風俗誌とか調べたり読むの大好きなんですが。どうも最近そんな本「〜の風俗」とかを読んでるとなぜか視線が痛いのは、「はじめてのC」を読んでた時と同じ誤解を受けてるとか?
だとしたらいろいろ合点がゆく。
#頭の中は20年前の辞書のまま
ですね。上野の風俗資料館に行くたびに、中に入る時に人の視線を気にしてしまうのは心配しすぎでしょうか。
そこからだと、現在の資料も近くにありますね。
「風俗」は「ファッション」の意味だと聞いたぞ。でも、この言い方って変。「ファッション」は「風俗」の意味。と言うべきじゃないか。(意味不明)
>>集落の意味で「部落」という言葉を使う地域もあるらしいです>>それが本来の意味です。
鳥取に転勤した時、バス停に「○○部落」とか言うのがあってちょっとどっきりしました。
#私も大阪の小学校で「にんげん」を読んでました。
>マッキントッシュをマクドと略す。>ホント関西人のやることは分からん。
その関西人はニセモノだ。騙されるな!
節子!それマクドやない、マックや!
節子!それマックやない、マッキンや!
>節子!それマックやない、マッキンや!マッキンって、音響機器メーカーではなかったですか?
マクドのハッピーセットを買った子供が、コナン君が「ねぇマックいこう」というのをもらってきたんですが、関西ではちゃんと『マクド』になってるんですよね?
-------------------------------ビックマクドポリスが大好き。
今はどうなってるか知らんが15年くらい前はマッキントッシュ->マッキンだったんだよ。
マッキンと聞く度に思うのですが…
マッキンサンバ~♪
ちょっとまて。関西に住んで長いけど小児まひもマッキントッシュも知らんぞ。マクドナルドがマクドだろ。
> わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない。> 批判を恐れずいうと、部落差別問題には誰も手を触れずに、「歴史」にしてやるのがいちばんだと思うのですが。
歴史だと、研究の対象、勉強の対象になります。ま、それはそれで正解のはずですが、この問題、つまり××××問題の本質は、××××反対運動問題なので、実際問題、何をしても正解という事が無い(正解は運動団体が決める)。結局、思考停止的にリスク回避的に行動する事になる。この問題を解決するには、運動団体自体を何とかするしかないが、世の中から×××が絶滅できないのと同じで、それはほぼ不可能。結局、事実を歪曲したり隠蔽したりせず、その場その場で毅然とするしかないのです。でも多くの場合、それが出来ない。出来ない最大の理由は、誰も助けてくれない事。
誰も手を触れないようにして、いつか過ぎ去った過去にしてしまう事を考える向きが多いかと思いますが、運動団体がある限り、終わりはないと思います。
歴史を学ぶこと研究することとは、今生きる我々の根っこを確かにする、背後を確認する、そんな行いです。過去に追いやることではなく、今に繋げる働きがあるはずです。>ま、それはそれで正解のはずと意味不明にかたずけられては…。そして、> この問題、つまり××××問題の本質は、××××反対運動問題なので、と、謎の伏字。> 結局、思考停止的にリスク回避的に行動する事になる。途中、このような考えも出てきているにもかかかわらず、結論は> 運動団体がある限り、終わりはないと思います。との差別を受ける側の団体に全ての責任をなすりつける。素晴らしく差別的なコメントになってしまっていることに気付いていますか。
> 素晴らしく差別的なコメントになってしまっていることに気付いていますか。
なるほど、元コメのような考えを表明すると、差別者にされてしまうわけだ。事例としては興味深いが、まあ典型的か。歴史研究が差別にならない保証は、全くない事がよく分かる。たまたま「それ」が入っている地図を示しただけで、発禁回収になるのは、よくある事件。「差別」問題を扱う意図も企画もなくても、地図だけでアウトにされてしまう。こういう事例が、いまだに、あとを絶たない。実に不可解。
実は一つ抜け道があって、それは、彼らに仲間だと思わせる事。つまり、「差別」がなぜ生じたのか、その歴史を調べ、明らかにするような主旨の作業をすれば(あるいは加えておけば)、お咎めはない。研究的、啓蒙的なスタンスなら、大丈夫なのだ。しかし中途半端に情報が大衆の目にふれるように出しちゃうと、凄く面倒な事になる。本筋ではなくても、関連して情報が出ちゃうだけで、アウトになりかねない。その境界線は、残念ながら自明ではないし、難しい。長いこと、この厄介な問題を扱っている専門家(レベルの人)にしか、地雷を踏まないすべはない。
>>「差別」がなぜ生じたのか、その歴史を調べ、明らかにするような主旨の作業をすれば(あるいは加えておけば)、お咎めはない。
アウト。その団体が主張する差別の原因(天皇制とか宗教とか)を補強する説でなければ「最も悪質な差別者」の称号が与えられます。
同じく、広島の山間部ですが、集落という意味で部落という言葉を使います。
# 子供の頃は、「部落」と「倶楽部」が同じ意味だと思ってました。。。
同じく南九州(少なくとも鹿児島)でも、集落という意味で「部落」という言葉を使います。
正直な話、「部落」という言葉に関しては近畿圏在住のそっち系の人がやけに過剰反応しているような感じもしないでもないんですが。それが、そういう問題が残ってますよみたいに、そういう風潮を無くす事に逆行するように騒ぐから未だに問題視されるんじゃないのか…なんて思ったりも。むしろ、わざと(というよりは無駄に)問題視させて解消させたくないのかと。
#個人的には「西日本」といえば、福岡周辺の商業圏、もしくはNTT西日本orJR西日本の管轄地域とかを示す言葉というのが実感。#大阪なら「関西」か「近畿」の方がしっくり来る。大阪近辺を示す言葉としては「西日本」はあまりにも…
同じく南部九州ですが,高校生までは普通に○○部落と言っていました。大学で東京に行っていて,Uターン就職で実家に戻った時にいつの間にか○○町内会になっていて戸惑った記憶が……
#南九州や北九州と言ったら,特定の自治体をさしてしまいそうなので ID
母集団が一人ですが、ある鳥取の人も自分の地域のことを「部落」と呼んでいました。 「明日、朝から部落の集まりがあるんだ~」のような文脈です。
案外、「部落」という単語が特殊な意味しかもたない地域の方が少ないのではないでしょうか。
北海道でも集落の事を「部落」と言いますね.
#関西出身で戻ってきて部落と使って白い目されたのでAC
名古屋だけど、中学時のクラスは「キチガイ部落」なんて言われてた。(他のクラスはそんなにマトモだったんか?)
少なくとも西日本というくくりは勘弁してもらいたい。
勉強に不熱心な人が増えたおかげで「部落?何それ?」という人も増えてきていると思います。
差別を無くしたい割に騒ぎすぎとは思います。運動を支えているのは、「差別」を残したい人なのかもしれません。
幼少時代、友人の家に遊びに行ったら、友人の婆ちゃんが登場したシチュエーションで
婆「おめぁどごのぶらぐだ?」
「あなた、何丁目の子?」・・な感じの意味です(田舎には丁目の区切り無いけどね)
南の方に出張で行ったら、「やめよう部落差別」とか看板に書いてあった差別を助長するための看板としか思えなくて笑った
俺の住んでる茨城じゃ見かけねぇな。まぁ、茨城も結構広いし、グンタマチバラギエリアを茨城って呼ぶ奴もいるから、俺のちっぽけな行動範囲じゃ見かけねぇだけなのかもしんねぇなあ。
> 婆「おめぁどごのぶらぐだ?」
茨城出身です。うちのバーちゃんもこれ言いますね。
自分の世代では部落という言い方しないので、ただの方言だと思っていたところに部落差別を歴史で習った。でもそれもきちんと教えてくれるというよりも「部落差別っていう差別があったんだよ」レベルの解説しかなかったものだから、「うちのばーちゃんは差別とかするような人だったのか・・・」と子供心にショックを受けた覚えがあります。実際バーちゃんはただの「地域」という意味で使ってだけで誤解だったわけですが。
差別する側に立ちたがる人がいる限り、差別はなくならないね。ここでも、「ゆとり」をバカにしないと自分を保てない人がいるじゃない。(それをバカにしてるって? 御明察。)
岐阜育ち45歳。子供の頃(1970年代)「部落」は集落の意味で普通に使っていました。「部落ごとに集まって登下校してね」とか。#今でも変わらないんじゃないかと思いますが。
>わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない今回波を立てたのって誰なんでしょうね?
「歴史」にする = かつての記録を人の目に付かないようにする、なのかなぁ…
いつまでもいつまでも謝罪と賠償ってどうよ?
これは何という人工無能ですか?
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:3, 興味深い)
東北や北海道では部落差別のイメージが湧かないでしょうし(集落の意味で「部落」という言葉を使う地域もあるらしいです)、関東の人にとっても「歴史」ではないかと思うのですが、近畿やそれ以西の地域では現在進行で継続している問題です。
自分も大阪出身なので、小学生のときには道徳の授業で使った副読本(『にんげん』です。大阪でしか使わなかったそうです)で教わりましたし、親もどこが被差別部落なのか知っているような雰囲気でした(あえて聞きませんでしたが)。
いまは四国のそれなりに大きな都市に住んでいますが、自治体の建物などには部落差別をなくそうというきれいな看板がかかっています。
グーグルの中の人は差別を助長する意図はなかった、というよりも何も考えていなかっただろうと思いますが、わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない。
批判を恐れずいうと、部落差別問題には誰も手を触れずに、「歴史」にしてやるのがいちばんだと思うのですが。
Wikiって略すな (スコア:5, すばらしい洞察)
それが本来の意味です。
もともと「特殊部落」と呼ばれていたのが被差別部落ですが、いつの間にか「部落」自体が被差別部落を意味するようになってしまいました。
Re:Wikiって略すな (スコア:4, 興味深い)
ただし、学校では使わないようにとのお達しがあったのか、日教組か何かが騒いだのか知りませんが、ある時突然(たぶん 80年代後半)部落という言葉は使わずに地区という言葉を使えと強制されました。
ただし、それまで部落別*と呼ばれていたものが地区別*に変わっただけで、普段の会話では部落が使われていましたが。
所謂言葉狩りというものに嫌悪感をもつようになったのはこれがきっかけかも。
Re:Wikiって略すな (スコア:2)
所詮「言葉狩り」という感じを受けられるのは仕方ないと思っていますが
数年前に東京に出てきて、(東京だけではないと思いますが)
・同和教育自体があまりない(地元では3~4か月に1回はあった)
・「同和教育ってなに?」って人が多い
と感じました。
被差別部落出身の友人がおりますが、その友人も集落としての意味の「部落」として会話に出てきているとわかっていても
頭では『「会話中の部落」=「集落」』と理解できても、地元での差別とかを思い出してしまうようです。
「部落」という言葉の使い方をやめてほしいとというのではなく、差別意識自体はなくなってほしいなぁと思うのですが、
何がしかの被害やいざこざにあった際、その相手方が被差別部落出身としいっている誰かが
「あいつは部落出身だからだ」
といってしまうことで、そういう意識が根付いてしまうことが残念でならないです。
たぶん、最近の若年層がが発する情報に対して嫌悪感を持った際「『ゆとり』かよ」とか思うのもそういう感じなのかな。
何とかしたくても、自分なんかではどうともできなくっていやな気持ちになるばかりです。
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
東京出身者ですが、同和教育って受けた記憶ありません。
「同和問題」って言う言葉を聞いたことはありますたが、子供の頃はそれがどういうものかは特に調べる気もなかったので知らないままでいましたね。
何で、小学校高学年ぐらいの頃、駅の近くに同和がどうのとか部落差別がどうのとかかべたべた書かれたワンボックスが一月ぐらい違法駐車していたときには、「なんだありゃ? そういやぁエセ同和がどうのとか言う話聞いたような……腐れやくざのたぐいか?」ぐらいにしか思ってませんでした。
その後同和問題がどういうものか軽く調べた後、「あれはエセ同和だったんだな」と確信したわけですが。
# 私の田舎は、江戸時代大火で焼け出された人たちが移り住むまで一般人立ち入り禁止(将軍家直轄地)でした。つまり被差別部落など作りようがなかったので、同和問題などあり得なかった=そこにやってきて同和同和と騒ぐのはエセでも無ければあり得ないわけで。
# 何しろ人が誰もいないから安心して中央線をまっすぐ引けたくらい。あれ、当初は甲州街道沿いに作る予定だったのが「客が鉄道で都心に取られる」と地元の反対で頓挫し、反対する人など影も形もなかった今のところに引いたんですよ。結果中央線沿線が栄え甲州街道沿いが寂れたので、あわてて引いたのが京王線。その後井の頭線が引かれたとき、三鷹まで引かれる予定だったのが「客が……」と地元商店街が反対したため吉祥寺止まり。結果どうなったかというと今の吉祥寺と三鷹の駅近辺を見れば……。人というものは過去から正しく学ぶ事ができないようで。
ここは自由の殿堂だ。床につばを吐こうが猫を海賊呼ばわりしようが自由だ。- A.バートラム・チャンドラー 銀河辺境シリーズより
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
元々は学力を保証する目的で始まった教育らしいので、歴史的な経緯からも同和教育が無いことは当然の事かと思います。
差別の存在する地域では、親から子へと引き継がれる差別意識を断ち切るという意味で価値があるとは思いますが、そうで無い地域で特殊なケースに時間を割くのは反対です。 差別がいけない事というのは小学生でも分かります。もともと差別意識の無い地域では理解しにくい感覚で、一度教えれば十分です。もっと他に教えるべきことがあるでしょう。
単なる道徳教育としてでは無く差別が発生する背景を同和問題を題材として詳しく研究するのであれば価値があるとは思いますが、小学生には難しすぎますね。
詳しい説明も無く、部落という言葉の使用を止めさせたのは教師側も良く理解できなかったというのも理由の一つかと思う。
Re:Wikiって略すな (スコア:2)
昭和62年生まれの大分県出身ですが、小学校低学年(平成1桁)までは部落という言葉は普通に使われていましたね。
集団登校を統率する役割の上級生のことを部落長、同じ集団で登校する地区のことを部落といってました。
5年生になるころにはいつのまにか何の説明もされず地区という言い方に変わっていた覚えがあります。
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
知ったのは中学以降だったと思います。
それまでは『村』に近い、ど田舎を指す言葉であると認識していました。
正直、知ってからも認識はそう変わってません。
わりとすぐ近くにあるんですけどねぇ。誰か差別されてたかなぁ。
# まるで大○にど田舎でない場所があるみたいな言い方だな。
## 二十歳まで九州から出たことなかったんだよっ
# はじめて行った大阪で、『快速運賃払えないから各駅停車に乗った』んだっけ?
## 大分には鈍行と急行と特急しかなかったんだよっ!
Re: (スコア:0)
現在も、市役所との遣り取りの際には
普通に、地域名は「○○部落」となっています
市内に、被差別部落があるのですが、
ディープに染まり気味な関係者からも
経済・学力格差以外は、一切、耳にしたことがなく
現在進行中の差別という認識が殆ど無いので
誰も気にしてないようです
Re: (スコア:0)
学生時代にバイトで大阪の被差別部落地帯らしいところへ行きましたが。
大きくてきれいな一軒家が多く、子供はみんな塾で勉強させていて学力水準も高くてびっくりしました。
#地域福祉とか優遇されていたのかなぁ?
Re:Wikiって略すな (スコア:2, おもしろおかしい)
部落問題と言われ、かれこれ100年になる。
――民明書房 部落問題の諸相
Re: (スコア:0)
景気低迷が深刻化した結果、それまで大して気にしなかった現実が無視できなくなってくる。
たとえば営利法人が、利潤追求にマイナスになりそうな気のする要素を、人材選別にあたって事前に排斥する志向を強めることは十分考えられる。
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
おそらく「特殊部落」からではなく「部落差別」という言葉から「部落」=「被差別部落」となったと推測します。
まあ、言葉が変化するのは仕方ないところですね。「風俗」という言葉に至っては、20年前の辞書にかかれている意味では全く使われなくなってしまってますし。
Re:Wikiって略すな (スコア:1, おもしろおかしい)
え?明治大正昭和初期の風俗誌とか調べたり読むの大好きなんですが。
どうも最近そんな本「〜の風俗」とかを読んでるとなぜか視線が痛いのは、
「はじめてのC」を読んでた時と同じ誤解を受けてるとか?
だとしたらいろいろ合点がゆく。
#頭の中は20年前の辞書のまま
Re:Wikiって略すな (スコア:2, おもしろおかしい)
ですね。
上野の風俗資料館に行くたびに、中に入る時に人の視線を気にしてしまうのは心配しすぎでしょうか。
Re:Wikiって略すな (スコア:2, おもしろおかしい)
そこからだと、現在の資料も近くにありますね。
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
「風俗」は「ファッション」の意味だと聞いたぞ。
でも、この言い方って変。
「ファッション」は「風俗」の意味。と言うべきじゃないか。(意味不明)
the.ACount
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
>>集落の意味で「部落」という言葉を使う地域もあるらしいです
>
>それが本来の意味です。
鳥取に転勤した時、バス停に「○○部落」とか言うのがあってちょっとどっきりしました。
#私も大阪の小学校で「にんげん」を読んでました。
Re: (スコア:0, おもしろおかしい)
ホント関西人のやることは分からん。
Re:Wikiって略すな (スコア:3, おもしろおかしい)
>マッキントッシュをマクドと略す。
>ホント関西人のやることは分からん。
その関西人はニセモノだ。騙されるな!
Re:Wikiって略すな (スコア:1, おもしろおかしい)
節子!それマクドやない、マックや!
Re: (スコア:0, 既出)
節子!それマックやない、マッキンや!
Re:Wikiって略すな (スコア:2)
>節子!それマックやない、マッキンや!
マッキンって、音響機器メーカーではなかったですか?
マクドのハッピーセットを買った子供が、コナン君が「ねぇマックいこう」というのをもらってきたんですが、
関西ではちゃんと『マクド』になってるんですよね?
-------------------------------
ビックマクドポリスが大好き。
Re:Wikiって略すな (スコア:1)
今はどうなってるか知らんが15年くらい前はマッキントッシュ->マッキンだったんだよ。
Re: (スコア:0)
マッキンと聞く度に思うのですが…
マッキンサンバ~♪
Re: (スコア:0)
ちょっとまて。
関西に住んで長いけど小児まひもマッキントッシュも知らんぞ。
マクドナルドがマクドだろ。
永遠の対症療法 (スコア:2, すばらしい洞察)
> わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない。
> 批判を恐れずいうと、部落差別問題には誰も手を触れずに、「歴史」にしてやるのがいちばんだと思うのですが。
歴史だと、研究の対象、勉強の対象になります。ま、それはそれで正解のはずですが、この問題、つまり××××問題の本質は、××××反対運動問題なので、実際問題、何をしても正解という事が無い(正解は運動団体が決める)。結局、思考停止的にリスク回避的に行動する事になる。この問題を解決するには、運動団体自体を何とかするしかないが、世の中から×××が絶滅できないのと同じで、それはほぼ不可能。結局、事実を歪曲したり隠蔽したりせず、その場その場で毅然とするしかないのです。でも多くの場合、それが出来ない。出来ない最大の理由は、誰も助けてくれない事。
誰も手を触れないようにして、いつか過ぎ去った過去にしてしまう事を考える向きが多いかと思いますが、運動団体がある限り、終わりはないと思います。
Re: (スコア:0, フレームのもと)
歴史を学ぶこと研究することとは、今生きる我々の根っこを確かにする、背後を確認する、そんな行いです。過去に追いやることではなく、今に繋げる働きがあるはずです。
>ま、それはそれで正解のはず
と意味不明にかたずけられては…。そして、
> この問題、つまり××××問題の本質は、××××反対運動問題なので、
と、謎の伏字。
> 結局、思考停止的にリスク回避的に行動する事になる。
途中、このような考えも出てきているにもかかかわらず、結論は
> 運動団体がある限り、終わりはないと思います。
との差別を受ける側の団体に全ての責任をなすりつける。
素晴らしく差別的なコメントになってしまっていることに気付いていますか。
Re:永遠の対症療法 (スコア:1, すばらしい洞察)
> 素晴らしく差別的なコメントになってしまっていることに気付いていますか。
なるほど、元コメのような考えを表明すると、差別者にされてしまうわけだ。事例としては興味深いが、まあ典型的か。歴史研究が差別にならない保証は、全くない事がよく分かる。たまたま「それ」が入っている地図を示しただけで、発禁回収になるのは、よくある事件。「差別」問題を扱う意図も企画もなくても、地図だけでアウトにされてしまう。こういう事例が、いまだに、あとを絶たない。実に不可解。
実は一つ抜け道があって、それは、彼らに仲間だと思わせる事。つまり、「差別」がなぜ生じたのか、その歴史を調べ、明らかにするような主旨の作業をすれば(あるいは加えておけば)、お咎めはない。研究的、啓蒙的なスタンスなら、大丈夫なのだ。しかし中途半端に情報が大衆の目にふれるように出しちゃうと、凄く面倒な事になる。本筋ではなくても、関連して情報が出ちゃうだけで、アウトになりかねない。その境界線は、残念ながら自明ではないし、難しい。長いこと、この厄介な問題を扱っている専門家(レベルの人)にしか、地雷を踏まないすべはない。
Re: (スコア:0)
>>「差別」がなぜ生じたのか、その歴史を調べ、明らかにするような主旨の作業をすれば(あるいは加えておけば)、お咎めはない。
アウト。その団体が主張する差別の原因(天皇制とか宗教とか)を補強する説でなければ「最も悪質な差別者」の称号が与えられます。
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:2, 興味深い)
旧被差別部落の地域に住んでいる児童を中心に集めて週一回○○教室というように
同和教育を中心に課外学習を行っています、また授業の補習的なことも行うため
一般の児童が参加することもあります、ここで習った内容は定期的に差別解消への
活動の場で発表されます
ここだけ聞くと差別の温床になっていて隔離しているように聞こえますが
田舎のため代々続く家系が多く保守的な地域にも関わらず
実際には地域や先生方の努力により差別は全くと言っていいほどありません
過去に被差別部落が有り、それは間違ったことであり今の人には関係が無い
ということが周りの雑音に惑わされず客観的に教育するということが長年に渡り
徹底されてきたことによる素晴らしい結果だと思っています。
しかし残念なことにこの様な地域は希な例というのが現実です
今の同和教育は内容が中途半端だったり周りの雑音により客観的でない部分が多く
「臭い物には蓋を」ということになりがちで、結果「寝た子を起こすな」という趣旨の
発言をされる方まで見受けられ残念でなりません
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1, 参考になる)
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:2)
同じく、広島の山間部ですが、集落という意味で部落という言葉を使います。
# 子供の頃は、「部落」と「倶楽部」が同じ意味だと思ってました。。。
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1)
同じく南九州(少なくとも鹿児島)でも、集落という意味で「部落」という言葉を使います。
正直な話、「部落」という言葉に関しては近畿圏在住のそっち系の人がやけに過剰反応しているような感じもしないでもないんですが。
それが、そういう問題が残ってますよみたいに、そういう風潮を無くす事に逆行するように騒ぐから未だに問題視されるんじゃないのか…なんて思ったりも。
むしろ、わざと(というよりは無駄に)問題視させて解消させたくないのかと。
#個人的には「西日本」といえば、福岡周辺の商業圏、もしくはNTT西日本orJR西日本の管轄地域とかを示す言葉というのが実感。
#大阪なら「関西」か「近畿」の方がしっくり来る。大阪近辺を示す言葉としては「西日本」はあまりにも…
/* Kachou Utumi
I'm Not Rich... */
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1)
同じく南部九州ですが,高校生までは普通に○○部落と言っていました。
大学で東京に行っていて,Uターン就職で実家に戻った時にいつの間にか○○町内会になっていて戸惑った記憶が……
#南九州や北九州と言ったら,特定の自治体をさしてしまいそうなので ID
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1)
母集団が一人ですが、ある鳥取の人も自分の地域のことを「部落」と呼んでいました。 「明日、朝から部落の集まりがあるんだ~」のような文脈です。
案外、「部落」という単語が特殊な意味しかもたない地域の方が少ないのではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
北海道でも集落の事を「部落」と言いますね.
#関西出身で戻ってきて部落と使って白い目されたのでAC
Re: (スコア:0)
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1)
名古屋だけど、中学時のクラスは「キチガイ部落」なんて言われてた。(他のクラスはそんなにマトモだったんか?)
the.ACount
Re: (スコア:0)
昔被差別部落だった部落ってのも確かにあるけど、
「部落」という言葉が「被差別部落」の事を指すって事は無かったな。
ジジババ世代も全く気にしてなかったし。
まぁ兵庫全域でそうなのかと問われればそりゃ知らんが。
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1, 興味深い)
少なくとも西日本というくくりは勘弁してもらいたい。
勉強に不熱心な人が増えたおかげで
「部落?何それ?」という人も増えてきていると思います。
差別を無くしたい割に騒ぎすぎとは思います。
運動を支えているのは、「差別」を残したい人なのかもしれません。
あいあい東北民です (スコア:1)
幼少時代、
友人の家に遊びに行ったら、友人の婆ちゃんが登場したシチュエーションで
婆「おめぁどごのぶらぐだ?」
「あなた、何丁目の子?」
・・な感じの意味です(田舎には丁目の区切り無いけどね)
南の方に出張で行ったら、「やめよう部落差別」とか看板に書いてあった
差別を助長するための看板としか思えなくて笑った
「やめよう部落差別」とか看板に書いてあった (スコア:0)
埼玉や茨城でも見るよねw
Re: (スコア:0)
俺の住んでる茨城じゃ見かけねぇな。
まぁ、茨城も結構広いし、グンタマチバラギエリアを茨城って呼ぶ奴もいるから、俺のちっぽけな行動範囲じゃ見かけねぇだけなのかもしんねぇなあ。
Re: (スコア:0)
> 婆「おめぁどごのぶらぐだ?」
茨城出身です。うちのバーちゃんもこれ言いますね。
自分の世代では部落という言い方しないので、ただの方言だと思っていたところに部落差別を歴史で習った。
でもそれもきちんと教えてくれるというよりも「部落差別っていう差別があったんだよ」レベルの解説しかなかったものだから、「うちのばーちゃんは差別とかするような人だったのか・・・」と子供心にショックを受けた覚えがあります。
実際バーちゃんはただの「地域」という意味で使ってだけで誤解だったわけですが。
Re:西日本の人間にとっては現在進行形 (スコア:1)
差別する側に立ちたがる人がいる限り、差別はなくならないね。
ここでも、「ゆとり」をバカにしないと自分を保てない人がいるじゃない。
(それをバカにしてるって? 御明察。)
the.ACount
Re: (スコア:0)
岐阜育ち45歳。
子供の頃(1970年代)「部落」は集落の意味で普通に使っていました。
「部落ごとに集まって登下校してね」とか。
#今でも変わらないんじゃないかと思いますが。
Re: (スコア:0)
>わざわざ波風をたてるような真似をすべきとも思わない
今回波を立てたのって誰なんでしょうね?
「歴史」にする = かつての記録を人の目に付かないようにする、なのかなぁ…
Re: (スコア:0)
いつまでもいつまでも謝罪と賠償ってどうよ?
Re: (スコア:0)
これは何という人工無能ですか?