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やれ「要出典」だ「独自研究」だ、挙句の果ては「著作権侵害だから特定版削除」でしょぉ??その基準がきっちりしてればいいんだけど、ごくごく一部のWikipediaに張り付いていられるような狂人強靭な暇人が俺様基準の通りに記事がならないと、何かと因縁つけだして削除だ何だと道義を上げだし、その上投票期間が短く設定されててトップページでの告知も真面目にやらないもんだから投票する人が集まらず、そういう声の大きな(暇過ぎる)人々の思い通りの中身にしかならない。
例えば、1972年に日本政府とアメリカ軍の核密約をスクープした毎日新聞の記者が、政府関係者との不倫の疑いをリークされて密約自体がないことにされてしまった西山事件の記述 [wikipedia.org]に対する扱いなんか酷いものの最たる物で、文中にこの西山記者と付き合いのあった元政府関係者の名前があったというだけで全削除にされてしまった [wikipedia.org]と言うものです。今や核密約を日本政府も認めているのですが、この事件で重要な鍵となっている(上に当時の週刊誌などに実名で手記を寄稿している)女性の事については個人情報を理由に書けない状況です。
この例に止まらず、旧政権・特に自民党などの右寄りの政治勢力や一部の企業にとって都合悪い記述は寄ってたかって難癖つけられて、よくて毒にも薬にもならない中身に改変され、最悪の場合特定版削除される反面、彼らから敵視されるような側の人や事象についてはどんな誹謗中傷や著作権侵害があっても放置される。それどころか、それを指摘して訂正したら、すぐに書き戻され(リバートと言うらしい)、再び戻そうとするリバート合戦が放置されている。
# これらをやってる人たちが単なるボランティアの心情右翼の類なのか、それなりの政党や政治結社や宗教組織の中の人# たちなのか、はたまた、2ちゃんねるやmixiなどでの(企業向け)世論誘導をやっています。と公言してる一部IT企業に# 雇われた人たちなのかまでは分かりませんが…多分、全てなのでしょうけど…
これでは、まともな人は書く気をなくして当然ですよ…ある思想や思考の人たちのプロパガンダの道具となる事が「中立」で、そうで泣ければ中立でないと言わんばかりに酷い、偏向したいじられ方を甘受しなきゃウイキペディアンじゃない。と言うのが現実な訳で。
そんな際どい題材を記事にすること自体が、Wikipediaの項目に相応しくないのでは?個人的にはそれこそ「そんなこと他所でやってくれ」と思いますし、読者がWikipediaにそこまでの真実性を求めることは間違っていると思います。
個々人の主観によってその評価が大きくぶれるようなモノは、Wikipediaにはそもそも合わないし。そんなモノを広めるためのツールでもないはず。いくら百科事典だからと言って、真実であれば何でも載せれば良い、詳しければ詳しいほど良いってものでも無いでしょう。
それに他に書くことが無いなのら、編集者が居なくなっても別に良いんじゃないでしょうか?一度作成したページを再生産するわけでもないので、書けるような事柄が減れば編集者が減るのも自然な事だと思いますよ。
# 「集合知としての正しさ」と、「真実」は別物だと思うんだぁ。
あるいは、Wikipediaという仕組みをもってしても中立的な記事を維持する事はできないというのが、社会学的に面白いところなのかも知れないですね。
そのような社会実験装置としても、Wikipediaの存在意義は認められるのかなあと。
ある事件では書ける関係者(容疑者・被害者)の名が、またある事件については頑ななまでに許されない。書くと、やれプライバシーの侵害だ何だと難癖つけられて削除。基準あって無きが如し。
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ここまでくると (スコア:0)
Re:ここまでくると (スコア:1)
# ガンダムの設定読んでで徹夜したことがあるけどIDでいいや
書いても一部の人に踏みにじられるから書けない(Re:ここまでくると (スコア:1)
やれ「要出典」だ「独自研究」だ、挙句の果ては「著作権侵害だから特定版削除」でしょぉ??
その基準がきっちりしてればいいんだけど、ごくごく一部のWikipediaに張り付いていられるような
狂人強靭な暇人が俺様基準の通りに記事がならないと、何かと因縁つけだして削除だ何だと道義を上げだし、その上投票期間が短く設定されててトップページでの告知も真面目にやらないもんだから投票する人が集まらず、そういう声の大きな(暇過ぎる)人々の思い通りの中身にしかならない。
例えば、
1972年に日本政府とアメリカ軍の核密約をスクープした毎日新聞の記者が、政府関係者との不倫の疑いをリークされて密約自体がないことにされてしまった西山事件の記述 [wikipedia.org]に対する扱いなんか酷いものの最たる物で、
文中にこの西山記者と付き合いのあった元政府関係者の名前があったというだけで全削除にされてしまった [wikipedia.org]と言うものです。
今や核密約を日本政府も認めているのですが、この事件で重要な鍵となっている(上に当時の週刊誌などに実名で手記を寄稿している)女性の事については個人情報を理由に書けない状況です。
この例に止まらず、旧政権・特に自民党などの右寄りの政治勢力や一部の企業にとって都合悪い記述は寄ってたかって難癖つけられて、よくて毒にも薬にもならない中身に改変され、最悪の場合特定版削除される反面、彼らから敵視されるような側の人や事象についてはどんな誹謗中傷や著作権侵害があっても放置される。それどころか、それを指摘して訂正したら、すぐに書き戻され(リバートと言うらしい)、再び戻そうとするリバート合戦が放置されている。
# これらをやってる人たちが単なるボランティアの心情右翼の類なのか、それなりの政党や政治結社や宗教組織の中の人
# たちなのか、はたまた、2ちゃんねるやmixiなどでの(企業向け)世論誘導をやっています。と公言してる一部IT企業に
# 雇われた人たちなのかまでは分かりませんが…多分、全てなのでしょうけど…
これでは、まともな人は書く気をなくして当然ですよ…ある思想や思考の人たちのプロパガンダの道具となる事が「中立」で、そうで泣ければ中立でないと言わんばかりに酷い、偏向したいじられ方を甘受しなきゃウイキペディアンじゃない。と言うのが現実な訳で。
Re:書いても一部の人に踏みにじられるから書けない(Re:ここまでくると (スコア:1)
そんな際どい題材を記事にすること自体が、Wikipediaの項目に相応しくないのでは?
個人的にはそれこそ「そんなこと他所でやってくれ」と思いますし、
読者がWikipediaにそこまでの真実性を求めることは間違っていると思います。
個々人の主観によってその評価が大きくぶれるようなモノは、Wikipediaにはそもそも合わないし。
そんなモノを広めるためのツールでもないはず。
いくら百科事典だからと言って、真実であれば何でも載せれば良い、詳しければ詳しいほど良いってものでも無いでしょう。
それに他に書くことが無いなのら、編集者が居なくなっても別に良いんじゃないでしょうか?
一度作成したページを再生産するわけでもないので、書けるような事柄が減れば編集者が減るのも自然な事だと思いますよ。
# 「集合知としての正しさ」と、「真実」は別物だと思うんだぁ。
Re: (スコア:0)
あるいは、Wikipediaという仕組みをもってしても中立的な記事を維持する事はできないというのが、
社会学的に面白いところなのかも知れないですね。
そのような社会実験装置としても、Wikipediaの存在意義は認められるのかなあと。
Re: (スコア:0)
全く以ってその通り (スコア:0)
ある事件では書ける関係者(容疑者・被害者)の名が、またある事件については頑ななまでに許されない。
書くと、やれプライバシーの侵害だ何だと難癖つけられて削除。
基準あって無きが如し。