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ウィキペディアのストーリーが立つと、必ず「俺様が真実を書いてやったのに差し戻しされた。だからウィキペディアはクソだ」と主張する人が現れますな。
例えば、大きなOSSプロジェクトだと毎日世界中からパッチが送られてくるとだろうと思います。しかし、送られたパッチの全てがソースツリーに取り込まれるわけではない。コミッターがパッチを仕分けして、有用だと思うものだけを取り込む。有用でないと判断されるもののなかには、バグっていたりとそもそも無価値なものもあるけど、なかには有用だけど開発ポリシーに合わないとかライセンス不適合だとかそういう理由もあると思う。
で、ウィキペディアも根本的にはプロセスは同様なんですよ。世界中から記事が編集される。OSSとの違いは、コミッターが存在しなくて(管理者はコミッターではない)、基本的に誰でもコミットできるようになってる。そして、無用な編集は他の編集者が見つけて除去するという手順になってる。コミッター制に比べると余計な手間が掛かっているようにも思えるけど、それを補うだけのメリットがあると判断されて今のシステムになっているんでしょう。あと、仕分けの過程が明瞭化されている分だけ、不満はつのりやすいというのはあるかもしれない。
以上のような仕組みを理解すれば、編集除去されて吼えてるってのは「Linuxにパッチを送ってやったのに採用されなかった。だからLinusはバカだ」って言っていることと等しいと言えるわけなんですけど、分かりますでしょうか。
あと、OSSと同じくウィキペディアもオープンコンテンツなんでフォークする自由もあるんですよ。自分が真実を知っていると思う人は、ウィキペディアをフォークして俺ペディアを立ち上げてはいかがでしょうか。実際、そうやって立ち上げられたサイトもいくつもありますし。本当に真実がそこにあるのなら、人は集まってくるかもしれませんよ。
OSSと違ってウィキペディアはサイトという実体が存在するという点が相違します。サイトであるということは所有者が居て、その所有者の許可によってサイトを利用できるということです。まあ、大抵は利用規約のようなものに同意すればということですね。それは、ここスラドだってそうだし2chだってそう。それは理解できる人は多いのに、なぜかウィキペディアに限ってはそういうサイト側からのルールの提示は無視して俺ルールを適用して構わないと思う人が大量に発生するというのも興味深いです。
OSSではパッチを提供して撥ねられるとしても、それはプロジェクト管理者によるものでしょう。が、Wikipediaの場合はタダのユーザが差し戻す事ができます。人によっては「根拠は無いけどそれはバグじゃない。なぜなら俺様が真実を書いてやったのだから」と返してきます。この場合にWikipediaはノートによる議論を求めますが、この議論では正しいことを言っている人の方が常に(調査に割くリソースとかで)不利になります。結果、ルール違反を犯さないが正しく行動しない人間が一番有利になります。そういう人間が監視しているページでは、明らかな間違いの修正、いうなればバグを修正パッチ付きで指摘するのに等しい行為でも撥ねられます。
正しく行動しない人間はOSSでは大抵淘汰されますが、Wikipediaでは淘汰されません。なぜなら「ウィキペディアというサイトの所有者」が彼らを淘汰しようとしないから。
結局、(#2000453 [srad.jp])のACさんが言うように「問題ある編集者を排除する仕組みがないのが一番の問題」であり、結局のところWikipediaに不満を持つかつて編集者候補であった人々の不満はそこに行き着きます。# 腐れ編集者・腐れ管理者の方針・システム・ルールに対する不満なので
根本から話ずれてんぞ。それに別にウィキに限った話でもねえ。
例に挙がってたOSSで言うならな、現状のWikipediaってのは、苦労して作ったパッチをよかれと思って提出したら、コメントの書式がおかしいとだけ言われて、開発者でもない人間からよってたかって非難されて突っ返されるって状況なんだよ。
「要出典」タグを付けて出典を要求する行為自体が悪い?そんなこと言ってるのは例外的なキチガイだけだ。問題にされてるのは、現状ではそういうタグを付ける奴のほとんどが、その記事の「改善」に寄与する覚悟と労力を払ってないってことだ。
いちいちそんなことしてたら運営がまわ
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
つらつらと (スコア:1)
ウィキペディアのストーリーが立つと、必ず「俺様が真実を書いてやったのに差し戻しされた。だからウィキペディアはクソだ」と主張する人が現れますな。
例えば、大きなOSSプロジェクトだと毎日世界中からパッチが送られてくるとだろうと思います。しかし、送られたパッチの全てがソースツリーに取り込まれるわけではない。コミッターがパッチを仕分けして、有用だと思うものだけを取り込む。有用でないと判断されるもののなかには、バグっていたりとそもそも無価値なものもあるけど、なかには有用だけど開発ポリシーに合わないとかライセンス不適合だとかそういう理由もあると思う。
で、ウィキペディアも根本的にはプロセスは同様なんですよ。世界中から記事が編集される。OSSとの違いは、コミッターが存在しなくて(管理者はコミッターではない)、基本的に誰でもコミットできるようになってる。そして、無用な編集は他の編集者が見つけて除去するという手順になってる。コミッター制に比べると余計な手間が掛かっているようにも思えるけど、それを補うだけのメリットがあると判断されて今のシステムになっているんでしょう。あと、仕分けの過程が明瞭化されている分だけ、不満はつのりやすいというのはあるかもしれない。
以上のような仕組みを理解すれば、編集除去されて吼えてるってのは「Linuxにパッチを送ってやったのに採用されなかった。だからLinusはバカだ」って言っていることと等しいと言えるわけなんですけど、分かりますでしょうか。
あと、OSSと同じくウィキペディアもオープンコンテンツなんでフォークする自由もあるんですよ。自分が真実を知っていると思う人は、ウィキペディアをフォークして俺ペディアを立ち上げてはいかがでしょうか。実際、そうやって立ち上げられたサイトもいくつもありますし。本当に真実がそこにあるのなら、人は集まってくるかもしれませんよ。
OSSと違ってウィキペディアはサイトという実体が存在するという点が相違します。サイトであるということは所有者が居て、その所有者の許可によってサイトを利用できるということです。まあ、大抵は利用規約のようなものに同意すればということですね。それは、ここスラドだってそうだし2chだってそう。それは理解できる人は多いのに、なぜかウィキペディアに限ってはそういうサイト側からのルールの提示は無視して俺ルールを適用して構わないと思う人が大量に発生するというのも興味深いです。
Re:つらつらと (スコア:1, すばらしい洞察)
OSSではパッチを提供して撥ねられるとしても、それはプロジェクト管理者によるものでしょう。
が、Wikipediaの場合はタダのユーザが差し戻す事ができます。
人によっては「根拠は無いけどそれはバグじゃない。なぜなら俺様が真実を書いてやったのだから」と返してきます。
この場合にWikipediaはノートによる議論を求めますが、この議論では正しいことを言っている人の方が常に(調査に割くリソースとかで)不利になります。
結果、ルール違反を犯さないが正しく行動しない人間が一番有利になります。
そういう人間が監視しているページでは、明らかな間違いの修正、いうなればバグを修正パッチ付きで指摘するのに等しい行為でも撥ねられます。
正しく行動しない人間はOSSでは大抵淘汰されますが、Wikipediaでは淘汰されません。
なぜなら「ウィキペディアというサイトの所有者」が彼らを淘汰しようとしないから。
結局、(#2000453 [srad.jp])のACさんが言うように「問題ある編集者を排除する仕組みがないのが一番の問題」であり、結局のところWikipediaに不満を持つかつて編集者候補であった人々の不満はそこに行き着きます。
# 腐れ編集者・腐れ管理者の方針・システム・ルールに対する不満なので
Re: (スコア:0)
根本から話ずれてんぞ。それに別にウィキに限った話でもねえ。
例に挙がってたOSSで言うならな、現状のWikipediaってのは、苦労して作った
パッチをよかれと思って提出したら、コメントの書式がおかしいとだけ言われて、
開発者でもない人間からよってたかって非難されて突っ返されるって状況なんだよ。
「要出典」タグを付けて出典を要求する行為自体が悪い?そんなこと言ってるのは
例外的なキチガイだけだ。問題にされてるのは、現状ではそういうタグを付ける奴の
ほとんどが、その記事の「改善」に寄与する覚悟と労力を払ってないってことだ。
いちいちそんなことしてたら運営がまわ