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Google、同性婚認知のための国際キャンペーンを開始」記事へのコメント

  • 「結婚とは何か」という根源的な問題を考えさせられる。

    • Re: (スコア:-1, フレームのもと)

      by Anonymous Coward

      方向性としては結婚自体に対する優遇を一切なくすのがいいんでしょうかねぇ。
      誰と一緒に暮らそうが関係ない、養いたければ自分の資力の範囲でやれ、って。
      社会としては子どもを産み育てる時だけ支えれば十分なのかもしれません。

      でもなぁ。
      健全な国家・社会の基盤は、法的・道徳的に一つである家族(両性の夫婦と子)だと思うんだよね。
      それを維持するためには両性の法的な婚姻制度とそれに伴う優遇は必要だと思いますね。

      ぶっちゃけ、同性婚なんて人間として不自然な姿だと感じるのが普通でしょ。
      何でも寛容になればいいってもんじゃない。
      不自然で異常な性的嗜好を求めるのは他人に迷惑を掛けない限り自由でいい。
      でも、それは自分の負担と責任で楽しむべきもので、他人に支えてもらおうとするのはおかしな話。
      「平等」とは絶対的に同じであることではなく、公平であることを求めればいいわけで、
      国家・社会に益とならない関係に対してメリットを与える必要はないでしょう。

      • >ぶっちゃけ、同性婚なんて人間として不自然な姿だと感じるのが普通でしょ。

        それは人間の生得的な普通の感情ではなく、キリスト教の文化。
        日本では明治維新以降。それまでは同性愛は武士の嗜み。

        「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な「葉隠」の一節

        「念友のなき前髪は縁夫もたぬ女にひとし」
        (意訳)男の恋人がいない男なんて夫がいない女と同じだよねー キャハハハハハハ キモーイ

        もっとも結婚という形はとれず(そもそも恋愛結婚がなかった時代なので)愛人もしくは養子という形だったようですが

        • ぶっちゃけ、同性婚なんて人間として不自然な姿だと感じるのが普通でしょ。

          それは人間の生得的な普通の感情ではなく、キリスト教の文化。

          これと

          もっとも結婚という形はとれず

          矛盾するね。

          同性愛に寛容か否か、という意味では、日本は寛容だったとは言えるでしょう。
          しかし、同性婚は認められていなかった。
          上の二行は、どちらもキリスト教とは関係ない。
          同性愛と同性婚を雑に混ぜちゃダメ。

          • by Anonymous Coward

            結婚という形がとれなかったのは「家」という問題があったから。

            今は考慮する必要のない問題です。

            • 結婚という形がとれなかったのは「家」という問題があったから。

              昔の人がみんな、そんなに「家」に拘ったのでしょうか?
              武士や自作農、自分の店を持っている商人は「家」に拘ったでしょうけど、それ以外の一般町人や多くの小作農はそんなに「家」に拘っていたようには思えませんが。
              それに、養子をとって「家」を存続させる事は認められてましたよね。同性婚を認めても養子は取れるわけですから、家を存続させる事は不可能でなかったでしょう。

              そう言うことも含めて考えれば、結婚と言う形が取れなかったのは、結婚と子を成す事が強く結び付けられて考えられていたから、と捉えるのが自然でしょう。
              日本以外、キリスト教圏以外でも、やはり同性婚が長いこと認められていなかったことを含めて考えても、そう言えるのではないでしょうか。

私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike

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