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安岡先生の日記『二次史料のみに基づく「歴史」 [srad.jp]』でも言及されていますが、Wikipedia では一次資料を使わない主義だそうですからこういうことになるんでしょうね。
理不尽なようにも思えますが、有象無象がよってたかって書き殴るという Wikipedia の性格上、一次資料の正確性を編集者に担保させることが難しいの対し、正確性については発行元が担保してくれる二次資料しか使わないことにするのが妥当とか、そんなところなんでしょうか?
一次資料より虹資料の方が信頼性がある[要出典]という根拠が全く理解できない。虹資料の方が数が増えるから?
一次資料の方の信頼性か必ず高いとしてしまうと、自称「神」等が大量発生しますが、どうします?
(という問題を避けるための苦肉の策って感じじゃね?>二次資料偏重)
その存在を確認出来ない一次資料に基づく記述はしなければ良い
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
Wikipedia では一次資料を使わない? (スコア:1)
安岡先生の日記『二次史料のみに基づく「歴史」 [srad.jp]』でも言及されていますが、
Wikipedia では一次資料を使わない主義だそうですからこういうことになるんでしょうね。
理不尽なようにも思えますが、有象無象がよってたかって書き殴るという Wikipedia の性格上、
一次資料の正確性を編集者に担保させることが難しいの対し、
正確性については発行元が担保してくれる二次資料しか使わないことにするのが妥当とか、そんなところなんでしょうか?
Re: (スコア:0)
一次資料より虹資料の方が信頼性がある[要出典]という根拠が全く理解できない。
虹資料の方が数が増えるから?
Re: (スコア:0)
一次資料の方の信頼性か必ず高いとしてしまうと、自称「神」等が大量発生しますが、どうします?
(という問題を避けるための苦肉の策って感じじゃね?>二次資料偏重)
Re:Wikipedia では一次資料を使わない? (スコア:0)
その存在を確認出来ない一次資料に基づく記述はしなければ良い