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ナチス関係は表現しただけでぶち込まれるような国々に表現の自由とか言われても、苦笑しかしないわけだが
何であれ、殺人を許す自由はない。という事に尽きるでしょうに何で、人が意図的に殺された事実を軽く見るかな?EUは加盟及び準加盟条件に、死刑の廃止があります。
ノルウェーは数十人殺したテロリストも結局、死刑にはなってません相当な批判もありましたが、そいつを死刑にすることは、そいつの主張が正しかったという事になるからです。
> 何であれ、殺人を許す自由はない。> という事に尽きるでしょうに> 何で、人が意図的に殺された事実を軽く見るかな?
人の気持ちに起因する価値観は、君が想像するよりも大きな違いがあります。人によっては、気持ちとして、人の命よりも大事なものだってあります。
フランスの低俗な風刺週刊誌は、イスラムの人々をずっと深く傷つけ続けていました。イスラムの人がどんなに「表現」を用いて批判しても、その低俗な風刺はやめてくれません。
そういう事情を、あなたは軽く見ますか?
イスラムの人の価値観をあなたにわかるように置換してみましょう。
あなたの大切な人、たとえば母親や恋人、あるいは愛する娘がいたとしましょう。その愛する人を、毎週、殴りつけて強姦する男がいました。その男はあなたの目の前で愛する人を傷つけます。あなたがやめてくれ、と嘆願しても、女を犯すのは自由だといって男は酷い行為をやめてくれません。なんと、その男の属する国では強姦が違法ではなかったのです。警察に訴えても助けてくれません。
さて、あなたはどうしますか?
イスラムの世界では、ムハマドを侮辱するどころか絵に描くことすら禁止のところがほとんどでしょう。私たちの社会で強姦が禁止されていることのように。
我々の価値観として人が殺されたことは、許しがたいことなのは間違いありません。ただし、それに至った経緯を考えると、おそらく少なくない数の人が「自業自得である」と頭をよぎったと思います。「テロとの戦い」といえば正義と悪が簡単に仕分けできます。でも、正義と悪は本当はそんなに単純なものではありません。
表現の自由を盾に、風刺画という武器を使ってイスラムの人々に非情な攻撃をしている週刊誌がありました。イスラム教徒で、過激な人間が我慢できずに、その週刊誌を武力を用いて攻撃しました。これは、テロには違いないでしょうけれど、どちらかというと、悪質な風刺を辞めさせるために攻撃したという、抗争に近い感じもします。
同じころ、ナイジェリアではテロ集団ボコ・ハラムが、女児の体に爆弾を巻き付け、まったく争いとは無関係な人たちばかりいる市場で自爆させました。まさに、暴力的な活動によって市民に恐怖を与え、政治的目標を達成しようという真正のテロです。ところが、こちらのテロはあまり世界も注目しません。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
ぶっちゃけ (スコア:0)
ナチス関係は表現しただけでぶち込まれるような国々に
表現の自由とか言われても、苦笑しかしないわけだが
Re: (スコア:0)
何であれ、殺人を許す自由はない。
という事に尽きるでしょうに
何で、人が意図的に殺された事実を軽く見るかな?
EUは加盟及び準加盟条件に、死刑の廃止があります。
ノルウェーは数十人殺したテロリストも結局、死刑にはなってません
相当な批判もありましたが、そいつを死刑にすることは、
そいつの主張が正しかったという事になるからです。
Re:ぶっちゃけ (スコア:0)
> 何であれ、殺人を許す自由はない。
> という事に尽きるでしょうに
> 何で、人が意図的に殺された事実を軽く見るかな?
人の気持ちに起因する価値観は、君が想像するよりも大きな違いがあります。
人によっては、気持ちとして、人の命よりも大事なものだってあります。
フランスの低俗な風刺週刊誌は、イスラムの人々をずっと深く傷つけ続けていました。
イスラムの人がどんなに「表現」を用いて批判しても、その低俗な風刺はやめてくれません。
そういう事情を、あなたは軽く見ますか?
イスラムの人の価値観をあなたにわかるように置換してみましょう。
あなたの大切な人、たとえば母親や恋人、あるいは愛する娘がいたとしましょう。
その愛する人を、毎週、殴りつけて強姦する男がいました。
その男はあなたの目の前で愛する人を傷つけます。
あなたがやめてくれ、と嘆願しても、女を犯すのは自由だといって男は酷い行為をやめてくれません。
なんと、その男の属する国では強姦が違法ではなかったのです。
警察に訴えても助けてくれません。
さて、あなたはどうしますか?
イスラムの世界では、ムハマドを侮辱するどころか絵に描くことすら禁止のところがほとんどでしょう。
私たちの社会で強姦が禁止されていることのように。
我々の価値観として人が殺されたことは、許しがたいことなのは間違いありません。
ただし、それに至った経緯を考えると、おそらく少なくない数の人が「自業自得である」と頭をよぎったと思います。
「テロとの戦い」といえば正義と悪が簡単に仕分けできます。
でも、正義と悪は本当はそんなに単純なものではありません。
表現の自由を盾に、風刺画という武器を使ってイスラムの人々に非情な攻撃をしている週刊誌がありました。
イスラム教徒で、過激な人間が我慢できずに、その週刊誌を武力を用いて攻撃しました。
これは、テロには違いないでしょうけれど、どちらかというと、悪質な風刺を辞めさせるために攻撃したという、抗争に近い感じもします。
同じころ、ナイジェリアではテロ集団ボコ・ハラムが、女児の体に爆弾を巻き付け、まったく争いとは無関係な人たちばかりいる市場で自爆させました。
まさに、暴力的な活動によって市民に恐怖を与え、政治的目標を達成しようという真正のテロです。
ところが、こちらのテロはあまり世界も注目しません。