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障害者の社会参加を本気で狙うのであればビジネスモデルから真剣に構築していくべきだと思うんだよね。機械で処理すればあっという間に済む作業をわざわざ非効率や低品質な方法で取り組んでそれを”授産事業”と称して福祉扱いしているのは、福祉事業を冒涜しているし障害者の自立に資しているとは思えないし。
できる作業や業務が限られるにしても、それを市場に出すなら競争にさらされるわけで、有意な価値のある産品でなければ市場価値はないし産業とは呼べないよね。消費者のお情けに頼るだけなら、障害者年金だけで食っていけるようにすりゃいい。無意味な”産業”で無駄に労力や時間を費やすよりも、自由闊達にアートや自己表現でもしたほうがよっぽど生産的だと思う。
パラダイムの違う話で恐縮だが、人類社会が採用する行動原理としての市場経済原理は、そろそろ限界に近づいているように思う。
それに代わる原理としては長期生存利益原理しかないのではなかろうか。
もし二つの星があって、一方は市場経済原理、他方は長期生存利益原理で運営されていたら、先に滅亡するのは市場経済の星であって、残るのは長期生存利益社会であろうから、残るほうを選択するのは正しい判断であるとしかいえないだろう。
市場経済社会ではハンディを背負った人たちも長期生存利益の観点では社会に貢献する存在なのだから、もっと優遇されるべきだと主張したい。
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
福祉作業所の自主生産品 (スコア:5, すばらしい洞察)
障害者の社会参加を本気で狙うのであればビジネスモデルから真剣に構築していくべきだと思うんだよね。
機械で処理すればあっという間に済む作業をわざわざ非効率や低品質な方法で取り組んでそれを”授産事業”と称して福祉扱いしているのは、福祉事業を冒涜しているし障害者の自立に資しているとは思えないし。
できる作業や業務が限られるにしても、それを市場に出すなら競争にさらされるわけで、有意な価値のある産品でなければ市場価値はないし産業とは呼べないよね。
消費者のお情けに頼るだけなら、障害者年金だけで食っていけるようにすりゃいい。
無意味な”産業”で無駄に労力や時間を費やすよりも、自由闊達にアートや自己表現でもしたほうがよっぽど生産的だと思う。
「有意な価値」の判断基準は? (スコア:1)
パラダイムの違う話で恐縮だが、人類社会が採用する行動原理としての市場経済原理は、そろそろ限界に近づいているように思う。
それに代わる原理としては長期生存利益原理しかないのではなかろうか。
もし二つの星があって、一方は市場経済原理、他方は長期生存利益原理で運営されていたら、先に滅亡するのは市場経済の星であって、残るのは長期生存利益社会であろうから、残るほうを選択するのは正しい判断であるとしかいえないだろう。
市場経済社会ではハンディを背負った人たちも長期生存利益の観点では社会に貢献する存在なのだから、もっと優遇されるべきだと主張したい。