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東京都の観光ボランティアの新しいユニフォーム発表」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward

    江戸が1600年代開府で、それ以前は漁村だよね???

    ヨーロッパの諸都市(大抵、古代ローマ帝国の帝国軍駐屯地由来)とか、
    中近東(新しいものでイスラム帝国起源(8世紀ころ))、
    中南米でも古代文化に起源を求めたらメキシコシティがアステカ文明起源とか、

    国際的に何言っちゃってるの、って恥ずかしくなるけど
    なんか由来書きがあるんですか

    • by Anonymous Coward on 2017年09月16日 19時25分 (#3281096)

      「江戸」という地名は、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』が史料上の初見で、おおよそ平安時代後半に発生した地名であると考えられている。
      江戸は元々は湯島郷もしくは日頭郷に属する小地名であったと考えられている。後述の江戸氏は、他の武士の名乗りと同様に江戸を所領としていために「江戸」と称した考えられるため、江戸氏が歴史上登場する平安時代末期には既に江戸という地名が存在したと言える。
      江戸の開発は、平安時代後期に武蔵国の秩父地方から出て河越から入間川(現荒川)沿いに平野部へと進出してきた桓武平氏を称する秩父党の一族によって始められた。12世紀に秩父氏から出た江戸重継は、江戸の地を領して桜田の高台に城館を構え(のちの江戸城)、江戸の地名をとって江戸太郎を称し、江戸氏を興す。重継の子である江戸重長は鎌倉幕府の御家人となった。
      鎌倉幕府が滅びると、江戸氏一族は南北朝の騒乱において新田義貞に従って南朝方についたりしたが、室町時代に次第に衰え、代わって江戸の地には、関東管領上杉氏の一族扇谷上杉家の有力な武将であり家老であった太田資長(のちの太田道灌)が入り、江戸氏の居館跡に江戸城を築く。
      以上ウィキペ「江戸」より抜粋。

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