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信じるか信じないかは、あなた次第です!!
Googleだけじゃないでしょ。町を歩けば監視カメラがあちこちにあるわけで、その気になれば誰がどこにいたかほとんど分かるんじゃない?
PERSON of INTERESTかよ。『あなたは見られている。 政府の極秘システム"マシン"によって、いつ何時も監視されているのだ。』
政府のやることなら、民意である程度は制御が効くぶんマシ。監視カメラも、そんなにインテリジェントじゃない奴は設置者が映像記録保管してるだけなのでマシ。
手綱の引きようがない民間企業が入手データを好き放題に利用してるのと、そいつらに情報を進んで提供してる個人が億単位で居るのが問題。監視カメラは歩かないが、スマートフォンは歩くからな。
> そいつらに情報を進んで提供してる個人が億単位で居るのが問題。
問題問題と言うが、具体的にどういう問題なのか言えたためしがないこの手の話が問題とされるのは「プライバシーを収集・利用していることを隠している」ことなんだけどね
隠そうが隠すまいが、はなっから意識していない大多数のユーザーにとっては意味がない。たとえ大手IT企業がユーザーの思想を分析していたとしても、大多数のユーザーは問題とは思わないだろう。(現に『いいね事件』にしても、新聞の1面こそ飾ったが、その潜在的な危険について巷で議論が起きたとはいえまい)
最も大きな問題は、個人に関する情報の入手困難性と加工コストがゼロに近づくことによって個人プライバシーという概念の存在自体が危うくなることであると思う。
従来であれば、一個人の行動を把握するためには、警察官に張り込ませたり、金払って興信所でも雇う必要があったわけで、そのコストによってプライバシーが維持されていた面がある。
昔から「無断でプライバシーを収集・利用」する、地域の動向についてヤケに詳しい「近所のおばちゃん」は居たが利用用途はせいぜい井戸端の噂話ぐらいであって、文字起こしされて蓄積されることもないし、縁の無い他の地域についての情報を入手することはないから、別のデータと連携して加工されることも基本的にはなかった。だからこそ、凄腕の刑事といえども「周辺での聞き込み」が必要不可欠だった。(そして、そういうことは、刑事や探偵など「ふつうじゃない」人々にしかできないことだった。)
もしこの「おばちゃん」が、得た情報を「井戸端と同じ感覚で」ネットで公開したらどうなるか。「おばちゃん」に悪意は無くても、「おばちゃんに書かれた人」の情報が消えることはない。「村に1人」ぐらいの密度であれば、「おばちゃん」の目を避けて生活すれば被害を受けずに済むかもしれないが、100%に近づくスマホ利用者の「5人に1人」が「おばちゃん」になってしまったら、「おばちゃんのうちの誰か」に目撃されることは確実である。そして現状、SNSや動画配信サイトでの情報発信が肯定的にばかり報道されることによって、発信によって精神的充足を得るという「おばちゃん化インセンティブ」は、老若男女問わず高まる一方なのだ。
プライバシーという概念など無い、戦時下の隣組制度の時代でさえ、「ご近所さんをむやみに詮索しない」ぐらいの配慮はあったと聞くが、いまや「ネットへのアップロードを拒むのは疚しい理由があるからだ」などと訝しくみられるケースさえある。
「見えたモノ、聞こえたモノは何でもアップが許されるべきだ」という意見が大勢を占めるようになった時、個人プライバシーというもの自体が事実上存在できなくなる。外を歩く人も車も、すべてが「リアルタイムgoogleカー」のような存在に成り得る、ということを意味するからだ。
一方で、収集・蓄積されはしたが、現時点で活用されてはいない膨大な情報群についても、科学や技術の発展によって、いずれ処理対象となり、それぞれが連携される時期が来るだろう。それらが「紙おむつとビール」レベルの分析に留まることはないし、「人間には理由がわからないけど、どうやら関連性が見いだせるようだ」というようなブラックボックス的分析を含め、たとえば公共費のコスト削減などに「活用」されることで、「個人情報の積極的利用が社会に貢献」することが喧伝されるようになる筈だ。それはつまり、コンピューターが、これまでの「超高速ソロバン」としての役割を越え、「人間には理解できないもの」が人間社会の有り方を決定するということでもある。
そうなると「個人情報の利用は善である」という風潮が広まると共に、「より効率的な意思決定には、より高度な個人情報の分析が必要不可欠である」という認識が生まれる。個人情報が「守りたいもの」ではなく「進んで提供すべきもの」と姿を変えてしまえば、善意からの「献納運動」ならぬ「献データ運動」が起きたり、個人情報を提供しない人が白眼視されたりしても不思議ではない。「個人情報提供減税」の名のもと、相対的に税金が高くなったりもするだろう。このような環境下で、果たして「個人プライバシー」など守れる余地が存在し得るだろうか。
もちろん杞憂であってほしいものだ。しかしながら、携帯電話にカメラがついて以降の、巷に於ける「プライバシー軽視」の流れは発売当時に自分が想像した「悪い予想」通りに進んでいるし、そもそもが、その時々の「常識」となる「大勢の民意」の方向なんて、出鱈目で無責任なもので、些細なキッカケで大きく動いてしまうことがある。だからこそ恐ろしい。
せめてプライバシーぐらいは「自らの意思で隠せる」もののままにしておかないと、個々人が社会に抗う手段なんて、何もなくなってしまうよ。人生全体をカタに取られて、どこかで勝手に決まった「正しい人生」の履行を強いられるようなものだ。
オンラインストレージに児童ポルノ保存してたら通報されて逮捕されたってのがあったから、検閲されてるのは流石に嫌だなと思うけど。
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
Googleによって監視されているのです (スコア:0)
信じるか信じないかは、あなた次第です!!
Re: (スコア:0)
Googleだけじゃないでしょ。
町を歩けば監視カメラがあちこちにあるわけで、
その気になれば誰がどこにいたかほとんど分かるんじゃない?
Re: (スコア:0)
PERSON of INTERESTかよ。
『あなたは見られている。 政府の極秘システム"マシン"によって、いつ何時も監視されているのだ。』
Re: (スコア:0)
政府のやることなら、民意である程度は制御が効くぶんマシ。
監視カメラも、そんなにインテリジェントじゃない奴は設置者が映像記録保管してるだけなのでマシ。
手綱の引きようがない民間企業が入手データを好き放題に利用してるのと、
そいつらに情報を進んで提供してる個人が億単位で居るのが問題。
監視カメラは歩かないが、スマートフォンは歩くからな。
Re:Googleによって監視されているのです (スコア:0)
> そいつらに情報を進んで提供してる個人が億単位で居るのが問題。
問題問題と言うが、具体的にどういう問題なのか言えたためしがない
この手の話が問題とされるのは「プライバシーを収集・利用していることを隠している」ことなんだけどね
Re:Googleによって監視されているのです (スコア:1)
隠そうが隠すまいが、はなっから意識していない大多数のユーザーにとっては意味がない。
たとえ大手IT企業がユーザーの思想を分析していたとしても、大多数のユーザーは問題とは思わないだろう。
(現に『いいね事件』にしても、新聞の1面こそ飾ったが、その潜在的な危険について巷で議論が起きたとはいえまい)
最も大きな問題は、個人に関する情報の入手困難性と加工コストがゼロに近づくことによって
個人プライバシーという概念の存在自体が危うくなることであると思う。
従来であれば、一個人の行動を把握するためには、警察官に張り込ませたり、金払って興信所でも雇う必要があったわけで、
そのコストによってプライバシーが維持されていた面がある。
昔から「無断でプライバシーを収集・利用」する、地域の動向についてヤケに詳しい「近所のおばちゃん」は居たが
利用用途はせいぜい井戸端の噂話ぐらいであって、文字起こしされて蓄積されることもないし、
縁の無い他の地域についての情報を入手することはないから、別のデータと連携して加工されることも基本的にはなかった。
だからこそ、凄腕の刑事といえども「周辺での聞き込み」が必要不可欠だった。
(そして、そういうことは、刑事や探偵など「ふつうじゃない」人々にしかできないことだった。)
もしこの「おばちゃん」が、得た情報を「井戸端と同じ感覚で」ネットで公開したらどうなるか。
「おばちゃん」に悪意は無くても、「おばちゃんに書かれた人」の情報が消えることはない。
「村に1人」ぐらいの密度であれば、「おばちゃん」の目を避けて生活すれば被害を受けずに済むかもしれないが、
100%に近づくスマホ利用者の「5人に1人」が「おばちゃん」になってしまったら、
「おばちゃんのうちの誰か」に目撃されることは確実である。
そして現状、SNSや動画配信サイトでの情報発信が肯定的にばかり報道されることによって、
発信によって精神的充足を得るという「おばちゃん化インセンティブ」は、老若男女問わず高まる一方なのだ。
プライバシーという概念など無い、戦時下の隣組制度の時代でさえ、
「ご近所さんをむやみに詮索しない」ぐらいの配慮はあったと聞くが、
いまや「ネットへのアップロードを拒むのは疚しい理由があるからだ」などと訝しくみられるケースさえある。
「見えたモノ、聞こえたモノは何でもアップが許されるべきだ」という意見が大勢を占めるようになった時、
個人プライバシーというもの自体が事実上存在できなくなる。
外を歩く人も車も、すべてが「リアルタイムgoogleカー」のような存在に成り得る、ということを意味するからだ。
一方で、収集・蓄積されはしたが、現時点で活用されてはいない膨大な情報群についても、
科学や技術の発展によって、いずれ処理対象となり、それぞれが連携される時期が来るだろう。
それらが「紙おむつとビール」レベルの分析に留まることはないし、
「人間には理由がわからないけど、どうやら関連性が見いだせるようだ」というようなブラックボックス的分析を含め、
たとえば公共費のコスト削減などに「活用」されることで、
「個人情報の積極的利用が社会に貢献」することが喧伝されるようになる筈だ。
それはつまり、コンピューターが、これまでの「超高速ソロバン」としての役割を越え、
「人間には理解できないもの」が人間社会の有り方を決定するということでもある。
そうなると「個人情報の利用は善である」という風潮が広まると共に、
「より効率的な意思決定には、より高度な個人情報の分析が必要不可欠である」という認識が生まれる。
個人情報が「守りたいもの」ではなく「進んで提供すべきもの」と姿を変えてしまえば、
善意からの「献納運動」ならぬ「献データ運動」が起きたり、個人情報を提供しない人が白眼視されたりしても不思議ではない。
「個人情報提供減税」の名のもと、相対的に税金が高くなったりもするだろう。
このような環境下で、果たして「個人プライバシー」など守れる余地が存在し得るだろうか。
もちろん杞憂であってほしいものだ。
しかしながら、携帯電話にカメラがついて以降の、巷に於ける「プライバシー軽視」の流れは
発売当時に自分が想像した「悪い予想」通りに進んでいるし、
そもそもが、その時々の「常識」となる「大勢の民意」の方向なんて、出鱈目で無責任なもので、
些細なキッカケで大きく動いてしまうことがある。だからこそ恐ろしい。
せめてプライバシーぐらいは「自らの意思で隠せる」もののままにしておかないと、
個々人が社会に抗う手段なんて、何もなくなってしまうよ。
人生全体をカタに取られて、どこかで勝手に決まった「正しい人生」の履行を強いられるようなものだ。
Re: (スコア:0)
オンラインストレージに児童ポルノ保存してたら通報されて逮捕されたってのがあったから、検閲されてるのは流石に嫌だなと思うけど。