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まず企業は、その理念やポリシーに齟齬がないのか出稿先をちゃんと見ろよという話。エプソンはそこができてなくて代理店に丸投げだった(ということになってる)。通告があって初めて動きました?そんな理屈が通るのエプソンという会社は。不祥事があったらトカゲのしっぽ斬りで対応します、って宣言してるのと同じだと思う。保守某が嫌いな人はエプソンが何かよいことをしたかのように捉えてるかもしれないけど全く見当違い。また、出稿先を「人工知能」が勝手に選ぶと、学習が不十分な場合、意図しないミスマッチが起こるわけだけど、ことの良しあしは事後で
とりわけ「ヘイト」のレッテルさえ貼ればいくらでも叩いていいみたいな話になるととても危険。
ヘイトをヘイトといって何がいけないのかよく分かりません。あなたにとっては「保守速報」はヘイトで無かったと言いたいのですか?
「論点が…」とかおっしゃってますが、私からすれば論点はシンプルであり、「保守速報はヘイトだった」。この一点です。あなたは、この点から必死に目をそらそうとしているように見えてなりません。
あなたにとっての「本物のリベラル」って、ヘイトにも寛容で無いとならないのですか?私は、ヘイトとは断固戦うのが「本物のリベラル」だと思います。
言葉の統一性を保つために「ヘイト」で統一しましたが、差別と読み替えても良いです。あなたのいう「本物のリベラル」とは、差別行為を目の当たりにして、見て見ぬ振りをすることなんですよ!言論であっても差別はダメです。差別は言論の自由で保障されるものではありません。
日本のリベラルを自称してる人って、そのヘイトの定義を俺様基準で異様に拡大解釈した挙げ句、本来のヘイトでは無いものまでヘイト認定して逆に不寛容になってるから、そう言われるんじゃないかと。
闘う民主主義が暴走した結果、型番に88や18が入ってるだけでナチス認定してるドイツとかね。
そういう一般論を根拠に、保守速報のヘイト認定は不当だと主張するならば、これこそ、不当なレッテル貼りでしょう。あくまで、論点となり得るのは、保守速報はヘイトなのか?の一点です。
だからさ、元コメントの何処に保守速報のヘイト認定が不当だと書いてあるんだよ。単にヘイト認定してる人達への批判や不信感を表してるだけじゃん。もし、保守速報のヘイト認定が不当だと表明してるように見えるなら、それは、貴方が正にヘイトを拡大解釈して尖鋭化・不寛容化してる人達の一部であることを認識した方がいい。
結局は、共通ルールである法のヘイトの定義に照らして、ヘイトかどうか判定するしかないし、そうしないとヘイト認定の信頼性も損ねることになる。
今回のヘイト認定が不当だというならば、エプソン社を支持しないのが「知る権利」「表現の自由」を尊重する人間の取るべき態度ですが、今回のヘイト認定は正当なんですよね。
だったら、なんでヘイト批判する人々に対して苦言を呈するのですか?不寛容だとするのですか?それって本心では…
社会から無くさなきゃいけないのは、ヘイトや差別そのものじゃなくて、ヘイトや差別がその対象に対して不利益をもたらす事だと思うんですよね。ヘイトや差別をしても不利益しかない社会であれば、別にそうしても良いと思うんです。だから、保守速報がヘイト認定され、結果スポンサーが降りる、これは良いことだと思います。保守速報のどこがヘイトなのか、そういう事をいちいち表現するのも良いことだと思います。でも、寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。だから、保守速報のような言論は許せない、閉鎖させなきゃいけないとなれば、それは不寛容だと思います。もちろん今の社会状況では、そういう不寛容を示さなきゃいけない時もあるかもしれません。でもそれは正義の行使ではなく、今の世の中にとっての必要悪なんだと思って欲しいです。
私は、人は誰でも差別やヘイトを心の内に抱えている存在だと思ってます。もちろん私自身もヘイトはともかく差別心については抱えています。それは良くないこととわかっていますし、それを表現しても自分にも誰にも利益にならないことはわかっています。しかし、その心自体を消すことはなかなかできません。だから、自分の内面に目を向ける事なく(「それって本心では……」なんて平然と言えて)、自分は正しいと信じ込み、正義面して、差別やヘイトの存在自体を否定しようとする人を見ると、自分の心が、自分自身が否定されているようで、息苦しくなるんですよね。考えることすら罪だとか言い出しそうで、自分が次の獲物になりそうで怖くなるんですよね。最近、リベラルって多様性や寛容を謳いつつ、人に理想像ばかりを見て、人のありのままを全く受容できない、世の中を生き辛くしてる、一様で不寛容な人達なんじゃないかって思うようになりました。そういう人達に「本当のリベラル」ってレッテルを貼れば良かったんですね。
でも、寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。だから、保守速報のような言論は許せない、閉鎖させなきゃいけないとなれば、それは不寛容だと思います。
ヘイトそのものが不寛容なものなのに、その不寛容に寛容で接すると、どうなるか?それは、寛容のパラドックス [google.com]として知られてます。不寛容を容認すると寛容が駆逐されるのです。
なぜヘイトを非難しなければならないのか?それはヘイトで傷つく人がいるからです。一種の犯罪です。たとえば、「殺人や傷害は取り締まるべきだけど、万引きや子供のいじめ程度ならば見逃すべきだ。」という言説があったらどうします? 賛同できますか? 眼前に被害者が居ても賛同できますか?
ヘイトはたまたまそうなったのではなく、「他人を攻撃しよう」とする明確な悪意のもとに発せられているものであり、「悪」なのです。悪である以上は、それを非難する行為は「善」です。「必要悪」ではありません。ためらう理由はありません。
差別やヘイトの存在自体を否定しようとする人を見ると、自分の心が、自分自身が否定されているようで、息苦しくなるんですよね。
拡大解釈が過ぎるような気がしますが。「保守速報」が非難されるのは、ヘイトを行っているからです。誰しもの心の中にあるヘイトの気持ちの存在を否定しようとしているのではありません。「保守速報」って、自分の心の中にあるヘイトについて向かいあって考えようというサイトですか?違いますよね。ヘイトを垂れ流すだけ。放っておいて良いのですか?
万引きに置き換えて考えましょうか。誰しも眼前に欲しいものがあったら万引きしたい気持ちはある。だから、万引き行為を行った子供は見逃すべきだ。あなたが言っていることって、こういうことだと思うのです。
結局何が言いたいかというと、ヘイトは他人を傷つける「悪」の行為です。万引きやいじめなどの犯罪行為と同じように毅然と接するべきです。今回の場合は、皆、保守速報がヘイトだと認めているので、これで良いのです。逆に言うと、「ちょっと待て」となるのは、ヘイトかどうかが微妙な場合です。だから、私は以下のように書いたのです。
私からすれば論点はシンプルであり、「保守速報はヘイトだった」。この一点です。
結果として、「ヘイトで無い」と主張する人は出てきませんでした。
寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。
どういった場合が「行き過ぎ」にあたるのか、具体例で考えてみられてはいかがでしょうか?擁護すべきヘイトなんて存在するのでしょうか?
>どういった場合が「行き過ぎ」にあたるのか、具体例で考えてみられてはいかがでしょうか?擁護すべきヘイトなんて存在するのでしょうか?
別コメ [srad.jp]あるけどRADWIMPSの「HINOMARU」に纏わる騒動は?それに、誰もヘイトを擁護しろ何て言ってないよ。ただ、ヘイトの判断基準が曖昧で拡大解釈されて、特定の思想に沿ったもの以外はヘイト認定されて許されない不寛容な社会になることを恐れてるだけだよ。そして、それはナチスがかつて通った道だし。これでも、
保守速報、どんなもんか知らなかったからざっと見てきたけど取り上げる内容やポジションは偏ってるなーとは思ったけどあなたが言うような攻撃性溢れるサイトだとは思わなかったよヘイトと受け取れなくもないけれど、仮に裁判に持ち込んだ所で認められるのだろうか?と思うようなコメント(の転載)は極稀にあったのは事実だけどそれを以てヘイトサイトであると言うのは少し難しいと思った
過去には裁判になって敗訴判決受けた記事もあったらしいけどそれだけを根拠に今も全てそうであると認識するのは間違ってると思う
ざっとしか見てないので見逃している酷い内容があるのかもしれないけどね
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
なんか論点がぼやけてるような (スコア:1)
まず企業は、その理念やポリシーに齟齬がないのか出稿先をちゃんと見ろよという話。エプソンはそこができてなくて代理店に丸投げだった(ということになってる)。通告があって初めて動きました?そんな理屈が通るのエプソンという会社は。不祥事があったらトカゲのしっぽ斬りで対応します、って宣言してるのと同じだと思う。保守某が嫌いな人はエプソンが何かよいことをしたかのように捉えてるかもしれないけど全く見当違い。
また、出稿先を「人工知能」が勝手に選ぶと、学習が不十分な場合、意図しないミスマッチが起こるわけだけど、ことの良しあしは事後で
Re: (スコア:1)
とりわけ「ヘイト」のレッテルさえ貼ればいくらでも叩いていいみたいな話になるととても危険。
ヘイトをヘイトといって何がいけないのかよく分かりません。
あなたにとっては「保守速報」はヘイトで無かったと言いたいのですか?
「論点が…」とかおっしゃってますが、
私からすれば論点はシンプルであり、「保守速報はヘイトだった」。この一点です。
あなたは、この点から必死に目をそらそうとしているように見えてなりません。
あなたにとっての「本物のリベラル」って、ヘイトにも寛容で無いとならないのですか?
私は、ヘイトとは断固戦うのが「本物のリベラル」だと思います。
言葉の統一性を保つために「ヘイト」で統一しましたが、差別と読み替えても良いです。
あなたのいう「本物のリベラル」とは、差別行為を目の当たりにして、見て見ぬ振りをすることなんですよ!
言論であっても差別はダメです。差別は言論の自由で保障されるものではありません。
Re: (スコア:0)
日本のリベラルを自称してる人って、そのヘイトの定義を俺様基準で異様に拡大解釈した挙げ句、本来のヘイトでは無いものまでヘイト認定して逆に不寛容になってるから、そう言われるんじゃないかと。
闘う民主主義が暴走した結果、型番に88や18が入ってるだけでナチス認定してるドイツとかね。
Re: (スコア:1)
日本のリベラルを自称してる人って、そのヘイトの定義を俺様基準で異様に拡大解釈した挙げ句、本来のヘイトでは無いものまでヘイト認定して逆に不寛容になってるから、そう言われるんじゃないかと。
そういう一般論を根拠に、保守速報のヘイト認定は不当だと主張するならば、これこそ、不当なレッテル貼りでしょう。
あくまで、論点となり得るのは、保守速報はヘイトなのか?の一点です。
Re: (スコア:0)
日本のリベラルを自称してる人って、そのヘイトの定義を俺様基準で異様に拡大解釈した挙げ句、本来のヘイトでは無いものまでヘイト認定して逆に不寛容になってるから、そう言われるんじゃないかと。
そういう一般論を根拠に、保守速報のヘイト認定は不当だと主張するならば、これこそ、不当なレッテル貼りでしょう。
あくまで、論点となり得るのは、保守速報はヘイトなのか?の一点です。
だからさ、元コメントの何処に保守速報のヘイト認定が不当だと書いてあるんだよ。単にヘイト認定してる人達への批判や不信感を表してるだけじゃん。
もし、保守速報のヘイト認定が不当だと表明してるように見えるなら、それは、貴方が正にヘイトを拡大解釈して尖鋭化・不寛容化してる人達の一部であることを認識した方がいい。
結局は、共通ルールである法のヘイトの定義に照らして、ヘイトかどうか判定するしかないし、そうしないとヘイト認定の信頼性も損ねることになる。
Re: (スコア:1)
今回のヘイト認定が不当だというならば、エプソン社を支持しないのが
「知る権利」「表現の自由」を尊重する人間の取るべき態度ですが、
今回のヘイト認定は正当なんですよね。
だったら、なんでヘイト批判する人々に対して苦言を呈するのですか?
不寛容だとするのですか?
それって本心では…
Re:なんか論点がぼやけてるような (スコア:0)
社会から無くさなきゃいけないのは、ヘイトや差別そのものじゃなくて、
ヘイトや差別がその対象に対して不利益をもたらす事だと思うんですよね。
ヘイトや差別をしても不利益しかない社会であれば、別にそうしても良いと思うんです。
だから、保守速報がヘイト認定され、結果スポンサーが降りる、これは良いことだと思います。
保守速報のどこがヘイトなのか、そういう事をいちいち表現するのも良いことだと思います。
でも、寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、
それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。
だから、保守速報のような言論は許せない、閉鎖させなきゃいけないとなれば、それは不寛容だと思います。
もちろん今の社会状況では、そういう不寛容を示さなきゃいけない時もあるかもしれません。
でもそれは正義の行使ではなく、今の世の中にとっての必要悪なんだと思って欲しいです。
私は、人は誰でも差別やヘイトを心の内に抱えている存在だと思ってます。
もちろん私自身もヘイトはともかく差別心については抱えています。
それは良くないこととわかっていますし、
それを表現しても自分にも誰にも利益にならないことはわかっています。
しかし、その心自体を消すことはなかなかできません。
だから、自分の内面に目を向ける事なく(「それって本心では……」なんて平然と言えて)、
自分は正しいと信じ込み、正義面して、
差別やヘイトの存在自体を否定しようとする人を見ると、
自分の心が、自分自身が否定されているようで、息苦しくなるんですよね。
考えることすら罪だとか言い出しそうで、自分が次の獲物になりそうで怖くなるんですよね。
最近、リベラルって多様性や寛容を謳いつつ、
人に理想像ばかりを見て、人のありのままを全く受容できない、
世の中を生き辛くしてる、一様で不寛容な人達なんじゃないかって思うようになりました。
そういう人達に「本当のリベラル」ってレッテルを貼れば良かったんですね。
Re:なんか論点がぼやけてるような (スコア:1)
でも、寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、
それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。
だから、保守速報のような言論は許せない、閉鎖させなきゃいけないとなれば、それは不寛容だと思います。
ヘイトそのものが不寛容なものなのに、その不寛容に寛容で接すると、どうなるか?
それは、寛容のパラドックス [google.com]として知られてます。
不寛容を容認すると寛容が駆逐されるのです。
なぜヘイトを非難しなければならないのか?
それはヘイトで傷つく人がいるからです。一種の犯罪です。
たとえば、「殺人や傷害は取り締まるべきだけど、万引きや子供のいじめ程度ならば見逃すべきだ。」
という言説があったらどうします? 賛同できますか? 眼前に被害者が居ても賛同できますか?
ヘイトはたまたまそうなったのではなく、「他人を攻撃しよう」とする明確な悪意のもとに発せられているものであり、「悪」なのです。
悪である以上は、それを非難する行為は「善」です。「必要悪」ではありません。ためらう理由はありません。
差別やヘイトの存在自体を否定しようとする人を見ると、
自分の心が、自分自身が否定されているようで、息苦しくなるんですよね。
拡大解釈が過ぎるような気がしますが。
「保守速報」が非難されるのは、ヘイトを行っているからです。
誰しもの心の中にあるヘイトの気持ちの存在を否定しようとしているのではありません。
「保守速報」って、自分の心の中にあるヘイトについて向かいあって考えようというサイトですか?
違いますよね。ヘイトを垂れ流すだけ。放っておいて良いのですか?
万引きに置き換えて考えましょうか。
誰しも眼前に欲しいものがあったら万引きしたい気持ちはある。
だから、万引き行為を行った子供は見逃すべきだ。
あなたが言っていることって、こういうことだと思うのです。
結局何が言いたいかというと、
ヘイトは他人を傷つける「悪」の行為です。
万引きやいじめなどの犯罪行為と同じように毅然と接するべきです。
今回の場合は、皆、保守速報がヘイトだと認めているので、これで良いのです。
逆に言うと、「ちょっと待て」となるのは、ヘイトかどうかが微妙な場合です。
だから、私は以下のように書いたのです。
私からすれば論点はシンプルであり、「保守速報はヘイトだった」。この一点です。
結果として、「ヘイトで無い」と主張する人は出てきませんでした。
寛容や多様性を謳いながら、ヘイトや差別そのものを敵視し、
それらを抹殺しようとするような態度が行き過ぎると、それは不寛容だと思います。
どういった場合が「行き過ぎ」にあたるのか、具体例で考えてみられてはいかがでしょうか?
擁護すべきヘイトなんて存在するのでしょうか?
Re: (スコア:0)
>どういった場合が「行き過ぎ」にあたるのか、具体例で考えてみられてはいかがでしょうか?
擁護すべきヘイトなんて存在するのでしょうか?
別コメ [srad.jp]あるけどRADWIMPSの「HINOMARU」に纏わる騒動は?
それに、誰もヘイトを擁護しろ何て言ってないよ。ただ、ヘイトの判断基準が曖昧で拡大解釈されて、特定の思想に沿ったもの以外はヘイト認定されて許されない不寛容な社会になることを恐れてるだけだよ。
そして、それはナチスがかつて通った道だし。
これでも、
Re: (スコア:0)
保守速報、どんなもんか知らなかったからざっと見てきたけど
取り上げる内容やポジションは偏ってるなーとは思ったけど
あなたが言うような攻撃性溢れるサイトだとは思わなかったよ
ヘイトと受け取れなくもないけれど、仮に裁判に持ち込んだ所で認められるのだろうか?
と思うようなコメント(の転載)は極稀にあったのは事実だけど
それを以てヘイトサイトであると言うのは少し難しいと思った
過去には裁判になって敗訴判決受けた記事もあったらしいけど
それだけを根拠に今も全てそうであると認識するのは間違ってると思う
ざっとしか見てないので見逃している酷い内容があるのかもしれないけどね