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今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのなその記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
そもそもwikipediaは「真実」を掲載する媒体じゃないから、嘘だと証明なんてする必要はない。他の媒体を出典として情報をまとめているだけなんだから、自身のサイトなりSNSなりで否定コメント書けば、誰かが「本人は否定している」という情報として書き足してくれるでしょ。
真実を最優先しないにせよ、真実でないと開き直るようになったら、辞典として何の価値があるんだよ。
それを検証するのもwikipediaプロジェクトの目的だったような。当初から「正確さは保証できないけど、(一定のガイドラインの下で)不特定多数の手で百科事典を作ってみよう」ってスタンスだよね。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
中立性は目的か手段か (スコア:2, 興味深い)
今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
その記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
Re: (スコア:4, 参考になる)
そもそもwikipediaは「真実」を掲載する媒体じゃないから、嘘だと証明なんてする必要はない。
他の媒体を出典として情報をまとめているだけなんだから、自身のサイトなりSNSなりで否定コメント書けば、誰かが「本人は否定している」という情報として書き足してくれるでしょ。
Re: (スコア:0)
真実を最優先しないにせよ、真実でないと開き直るようになったら、辞典として何の価値があるんだよ。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
それを検証するのもwikipediaプロジェクトの目的だったような。
当初から「正確さは保証できないけど、(一定のガイドラインの下で)不特定多数の手で百科事典を作ってみよう」ってスタンスだよね。
うじゃうじゃ