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今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのなその記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
悪魔の証明なんて明確な一次情報源が曖昧だから起きるのであって、嘘が書かれているならその嘘のソースを請求できなければ削除できますよ。(そしてそういった悪魔に来歴が左右されるほど経歴が公になっていないからこそ、そういう連中が「自分自身の記事を作らない」ようにしているわけです)それに、(当然ながら)「タブロイド紙」「新聞」あるいは「機関紙」「ミニコミ誌」をソースにすると即座に掣肘されます。一次情報源は基本的に「国会図書館所蔵」が大前提なので、そうでない場合電子版のマスメディアサイトから起稿しなければなりません。
そもそも、本来は百科事典は確定した事象(チョウの種とか、器具の名前とか、大災害とか)しか扱わず、イデオロギーや宗教にしても「あった」というだけであって、それを公布したり勧誘したりすることは辞典の域を超えています。「スラドチョウは白地に薄茶の複雑な模様を持ち、阿納丹市川戸町の垂込川にしか生息が確認されていないので絶滅危惧種に指定されている。」という記事に対し、「それはとても美しい」とか「絶滅危惧種なので捕らえてはならない」とかそういうことを書いてはいけない、それが中立性です。まあ、言ってしまえば「第三者の集合知」がWikipediaなので、第二者以下に観点を落とし込むことがないようにするのが中立性というやつなんです。#そういった話を抜きにしても、こういうのは自分でWikiを作ってそこでやれと言いたくなりますね。
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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人
中立性は目的か手段か (スコア:2, 興味深い)
今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
その記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
Re:中立性は目的か手段か (スコア:2)
悪魔の証明なんて明確な一次情報源が曖昧だから起きるのであって、嘘が書かれているならその嘘のソースを請求できなければ削除できますよ。
(そしてそういった悪魔に来歴が左右されるほど経歴が公になっていないからこそ、そういう連中が「自分自身の記事を作らない」ようにしているわけです)
それに、(当然ながら)「タブロイド紙」「新聞」あるいは「機関紙」「ミニコミ誌」をソースにすると即座に掣肘されます。一次情報源は基本的に「国会図書館所蔵」が大前提なので、そうでない場合電子版のマスメディアサイトから起稿しなければなりません。
そもそも、本来は百科事典は確定した事象(チョウの種とか、器具の名前とか、大災害とか)しか扱わず、イデオロギーや宗教にしても「あった」というだけであって、それを公布したり勧誘したりすることは辞典の域を超えています。
「スラドチョウは白地に薄茶の複雑な模様を持ち、阿納丹市川戸町の垂込川にしか生息が確認されていないので絶滅危惧種に指定されている。」という記事に対し、「それはとても美しい」とか「絶滅危惧種なので捕らえてはならない」とかそういうことを書いてはいけない、それが中立性です。
まあ、言ってしまえば「第三者の集合知」がWikipediaなので、第二者以下に観点を落とし込むことがないようにするのが中立性というやつなんです。
#そういった話を抜きにしても、こういうのは自分でWikiを作ってそこでやれと言いたくなりますね。