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・まず、トイレの入り口の写真だけで、その設計が間違っているかを考えるのは少し無理があると思います。その前後で他の説明があるかもしれないので(極端な話、入り口の手前に大きく「女性用トイレ」と書かれた真っ赤な看板があったら間違いようがない)。・青い背景の女性アイコン標識は、これだけ見ると悪いデザインだと思います。・トイレの入り口の赤青が逆転したマットは、多分特注のものではないでしょうが、かなり使い勝手の悪いデザインです。このマットをここに置くのは設計者の意向ではないと思います。幅はぴったりだから幅で選んだのかな?・
入口だけで判断して十分。全体みないとわからんとか、間違いを誘発させるものをわざわざおいているなんて話にならない。さらに言えば後付けで何かしなければならないなら、元が悪かったという話。
デザイン≠見た目だよね。後者はルックスかな。デザインというのはもっと総合的なものだと思う。
入口だけで判断して十分。全体みないとわからんとか、間違いを誘発させるものをわざわざおいているなんて話にならない。
私はそうは考えません。一部を見て全体を断言するような評価は無責任だと思うからです。例えばテプラを貼られたサインについても、建物全体で一貫して男と女は同じアイコンで表記されているような場合もないとは言えないでしょう。建物の利用には一連の体験がありますから、トイレの入り口の写真だけで全体の評価を貶したりできるものではないです。ひとつの材料だけを見て、料理全体や調理者を評価できないのと同じです。間違いを誘発させるかどうかも、厳密には(典型的な利用者の体験の)全体を見ないと断言はできないはずです。
デザイン≠見た目だよね。
はい。Designの訳としてはやはり「設計」が適当だと思います。
「建物の利用には一連の体験がある」の意味が分からんので、俺理解で勝手に進める。つまり、その建物を「体験」したことのない、即ち「始めて訪れた人がトイレに慌てて入るときのこと」は考慮の外なのだろう。
また、「一連の体験」が、「その建築物を利用した際の一連の(複数人の)体験」をという意味であるなら、「アイコンを見間違えて男女違うトイレに入ってしまった」という体験は、そも0でなくてはならない。全体の体験以前に、一人でも見間違えた時点でそのアイコンデザインは失格である。
例えばですが、色が認識できない人への理解のための体験ができる施設があったとして、トイレのアイコンの色もグレーで見分けづらいものに設計されたとしましょう。これは色の区別がつかない色覚特性の人にとって、日常のどういった点が不便になりうるかを説明するための設計です。こういった設計の必然性については同意できる点があると思います。一方、こういった施設に慌ててトイレだけ借りにきた人がいたとしたら、その人はどちらが自分の性別にあったトイレか一瞬戸惑ってしまうでしょう。ひょっとしたら、戸惑っているうちに漏らしてしまうかもしれません。そこで、設計者は「本来の典型的な利用者のための体験と、こういった特例の人の利便性、どちらをとるべきか?」と考えるわけです。また、典型的な利用者において「トイレの男女を間違えてしまった」というようなことが起きた場合でも、それは決してあってはならないことなのか、それともそういう可能性も含めてもやはりグレーにしておくべきかを考えるわけです。そうしたとき、どういった結論が正しいかは、設計者と関係者で決めることです。
極端な設計を例示することによって仕様に自由度がありすぎるとこんな設計でも仕様を満たしてしまうだから合意形成は重要だよね仕様策定は重要だよねって当然の結論に至ってるだけでとりたてておかしな思考ではないのでは。
他の人が思い浮かべる公共施設とはかけ離れたエッジケースすぎる例示なんだけど、なるほど自由な発想というのはこういうもんかーとも思う。
# UI/UX の文脈における体験という語意はまだまだ一般に通用しないと思うので# 読者を限定できない状況では先に語の導入をするべき。
トイレ標識を規格化してしまえばいいと思う。設計自由度をそうやって削ぎ落として、社会合意と食い違うデザインをできなくする。実際、異性のトイレに入ることは迷惑防止条例とかで禁止されてるんだから、トイレの性別標識は政治レベルで制定されているべき。
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
感想 (スコア:2, オフトピック)
・まず、トイレの入り口の写真だけで、その設計が間違っているかを考えるのは少し無理があると思います。その前後で他の説明があるかもしれないので(極端な話、入り口の手前に大きく「女性用トイレ」と書かれた真っ赤な看板があったら間違いようがない)。
・青い背景の女性アイコン標識は、これだけ見ると悪いデザインだと思います。
・トイレの入り口の赤青が逆転したマットは、多分特注のものではないでしょうが、かなり使い勝手の悪いデザインです。このマットをここに置くのは設計者の意向ではないと思います。幅はぴったりだから幅で選んだのかな?
・
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
入口だけで判断して十分。
全体みないとわからんとか、間違いを誘発させるものをわざわざおいているなんて話にならない。
さらに言えば後付けで何かしなければならないなら、元が悪かったという話。
デザイン≠見た目だよね。
後者はルックスかな。デザインというのはもっと総合的なものだと思う。
Re: (スコア:1)
入口だけで判断して十分。
全体みないとわからんとか、間違いを誘発させるものをわざわざおいているなんて話にならない。
私はそうは考えません。一部を見て全体を断言するような評価は無責任だと思うからです。
例えばテプラを貼られたサインについても、建物全体で一貫して男と女は同じアイコンで表記されているような場合もないとは言えないでしょう。
建物の利用には一連の体験がありますから、トイレの入り口の写真だけで全体の評価を貶したりできるものではないです。ひとつの材料だけを見て、料理全体や調理者を評価できないのと同じです。
間違いを誘発させるかどうかも、厳密には(典型的な利用者の体験の)全体を見ないと断言はできないはずです。
デザイン≠見た目だよね。
はい。Designの訳としてはやはり「設計」が適当だと思います。
Re: (スコア:0)
「建物の利用には一連の体験がある」の意味が分からんので、俺理解で勝手に進める。
つまり、その建物を「体験」したことのない、即ち「始めて訪れた人がトイレに慌てて入るときのこと」は考慮の外なのだろう。
また、「一連の体験」が、「その建築物を利用した際の一連の(複数人の)体験」をという意味であるなら、「アイコンを見間違えて男女違うトイレに入ってしまった」という体験は、そも0でなくてはならない。
全体の体験以前に、一人でも見間違えた時点でそのアイコンデザインは失格である。
Re:感想 (スコア:2)
例えばですが、色が認識できない人への理解のための体験ができる施設があったとして、トイレのアイコンの色もグレーで見分けづらいものに設計されたとしましょう。これは色の区別がつかない色覚特性の人にとって、日常のどういった点が不便になりうるかを説明するための設計です。こういった設計の必然性については同意できる点があると思います。
一方、こういった施設に慌ててトイレだけ借りにきた人がいたとしたら、その人はどちらが自分の性別にあったトイレか一瞬戸惑ってしまうでしょう。ひょっとしたら、戸惑っているうちに漏らしてしまうかもしれません。
そこで、設計者は「本来の典型的な利用者のための体験と、こういった特例の人の利便性、どちらをとるべきか?」と考えるわけです。
また、典型的な利用者において「トイレの男女を間違えてしまった」というようなことが起きた場合でも、それは決してあってはならないことなのか、それともそういう可能性も含めてもやはりグレーにしておくべきかを考えるわけです。
そうしたとき、どういった結論が正しいかは、設計者と関係者で決めることです。
Re: (スコア:0)
てゆうか頭のおかしいデザイナーを演じてフレームのもとごっこやって楽しんでんだよね
頼むからそう言ってくれ
Re: (スコア:0)
極端な設計を例示することによって
仕様に自由度がありすぎるとこんな設計でも仕様を満たしてしまう
だから合意形成は重要だよね仕様策定は重要だよねって当然の結論に至ってるだけで
とりたてておかしな思考ではないのでは。
他の人が思い浮かべる公共施設とはかけ離れたエッジケースすぎる例示なんだけど、
なるほど自由な発想というのはこういうもんかーとも思う。
# UI/UX の文脈における体験という語意はまだまだ一般に通用しないと思うので
# 読者を限定できない状況では先に語の導入をするべき。
Re: (スコア:0)
トイレ標識を規格化してしまえばいいと思う。
設計自由度をそうやって削ぎ落として、社会合意と食い違うデザインをできなくする。
実際、異性のトイレに入ることは迷惑防止条例とかで禁止されてるんだから、トイレの性別標識は政治レベルで制定されているべき。