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C++でUNIX系のアプリを組める技術者なら、就職できればそれなりに仕事はありそう。あの当時のMS-DOSでbtrieve系のISAMで業務アプリだなんて、マゾでしかないからなあ。VBもver.1.0なんて玩具だしな。
逆に出たばかりの言語・フレームワークの開発で10年来の経験を活かして...と思ったらリリース当初に存在しない機能ばかりでコンパイルが通らず、とかになりそう。
// 『えっ、このコンパイラ1行コメント使えないのか!?』
現代のIDEでぬくぬく開発する経験しかない人は当時の環境に耐えられるのだろうか
開発規模も小さかったからね。あんまり問題ないかな
たしかまだlinuxは無くて、日立あたりが68000積んだUNIXマシンを出してたなあ。あとは、FACOM9450とかそれ系のオフコンがなかなか高性能だった気がする。
Yggdrasiはもうリリースされてたはずと思って検索したら、1992年12月が最初のリリースだった。
だから、1992年はじめでもLinux自体はもうあったんじゃないかな。
BSD系のフリーPC Unixは確実にあったはず。
1992年当時はLinuxもPC用BSDもまだまだ「Just for fun」のレベルで、業務に使うような(飯の種になる)ものじゃなかったですね。
1993年のFreeBSD 1.0(4.3BSDベース)、1994年のLinux 1.0(Slackware)が出てからが、PC-UN*Xの本番。
FreeBSDは1993年の1.0でもう十分実用的で安定してたので、Linuxより先行してたと言えるんですが、4.3BSD Net/2ベースなので、訴訟問題を受けて開発が停滞してそこでLinuxに追いつかれた感じ。4.4BSD-Lite ベースに移行したFreeBSD 2.0は1994年にリリースされましたけど、安定して使えるようになったのはFreeBSD 2.1(1995年)から。
Yahoo!JAPANなんか、FreeBSD2.1ベースで独自に手を入れたサーバを、長らく運用していた、というのを雑誌記事で読んだ覚えがあります。
実用品としては後発のLinuxはネットワークが弱いもののメモリ消費が少ない(4MBあればとりあえずXが動く)ので、しばらくはクライアントはLinux有利、サーバはBSD有利、って感じで微妙に棲み分けられて共存してた。
アスキーの書籍「BSDを256倍使うための本」「Linuxを256倍使うための本」が1995年に同時発売で、その帯が「Linuxでいいんですか?👉」「👈まだBSDですか?」と、平積みでお互いにディスってた程度には同格で、
それが1997年にはLinux本だけ改訂版が出て、帯が「もうLinuxで決まりでしょ」に変わったので、この2年間で雌雄が決した感じです。
おっとどっこい、当時BSDは訴訟問題に巻き込まれて [wikipedia.org]いた。386BSD [wikipedia.org]はあっても、パッチを反映させず不安定なまま停滞していた。
# 確かMINIXの256倍本(1992/4/1刊行)とかに、その頃の雰囲気がちょろっと
30年前なら92年ですよね。MSに入社できればストックオプションでファイヤー確定だと思う。それで足りなければGAFAの好きなところに。
OS作りに関わりたいなら推薦するよ?日本発?思想的に無理だね。イチから作る機会は早々ないよ?と言われたなぁ。
困ったことに発言は覚えてても顔も名前も思い出せん…
C++はテンプレートも例外もまだなかった頃じゃないかな。cfrontにはもうあったかもしれんが、そんな人は普通じゃないと思う。protectedフィールドはもうあった。
すくなくともGCCのC++サポートは全然だめだったと思うが。UNIXのC++普及はPC系より遅かった印象がある。あの頃使わなかったのは正解だと思うが……
C++98ができる前だから、確かに癖は強かったな。
『The Annotated C++ Reference Manual (ARM)』が出て2年。言語設計的には一番面白かった時代だけどな。
次はOS/2か、、という雰囲気もありましたね。
92年のC++なんてリソース食いまくりで趣味の世界ですよ。しかもunixを採用している企業なんて皆無で、当時はsony newsとかomronのLunaの時代PC9801時代でマウスすら珍しい時代ですよ。
てゆうか30年スキルセットに進歩がない大学時代の知識で今でも食ってるおっさんエンジニアとかここにはごろごろいると思う
ちょろちょろっと、アップデートはしてますよね。telnetならinetdの設定書き換えてkill -HUP 1だけど、sshなら公開鍵登録して、sshd_config書き換えて、systemctl restart して、とか。
> kill -HUP 1
う、シリアルコンソールと混同していたでござるやはり使わない古い技能はボケてゆく...
1990年になるかならないかの頃だけど、バイト先の某大手予備校(のほにゃらら校舎)で、N88-BASICで生徒の出欠管理プログラムを作った。毎日打ち込んだものを一覧表にして、学期ごとなどに印刷する機能だけなんだが、かなり重宝されてた。その98には外付けHDDもなかったから、FD2枚組で運用していた。
# ワープロは松があったけど、Lotus123は導入されてなかったなあ…
実際は当時は実務系でC++は未だ中々なかったんじゃないかな。それよりマゾと言えば、C言語で組んだプログラムが思ったように動かない時に、自分のコーディングが悪かったのか、コンパイラのバグに引っ掛かったのか、OS本体自身のバグに原因があるのかが分からなくて解析が面倒だったということかなあ。あと当時は、Pythonは重過ぎて、最初から却下だったわ。
当時はDOS Extender上でAWKやPerlを動かしてました。まあ、何とかなりそうな気がする。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
やっぱりUNIX系か? (スコア:0)
C++でUNIX系のアプリを組める技術者なら、就職できればそれなりに仕事はありそう。
あの当時のMS-DOSでbtrieve系のISAMで業務アプリだなんて、マゾでしかないからなあ。
VBもver.1.0なんて玩具だしな。
Re:やっぱりUNIX系か? (スコア:2)
逆に出たばかりの言語・フレームワークの開発で10年来の経験を活かして...
と思ったらリリース当初に存在しない機能ばかりでコンパイルが通らず、とかになりそう。
// 『えっ、このコンパイラ1行コメント使えないのか!?』
Re: (スコア:0)
現代のIDEでぬくぬく開発する経験しかない人は当時の環境に耐えられるのだろうか
Re: (スコア:0)
開発規模も小さかったからね。
あんまり問題ないかな
Re: (スコア:0)
たしかまだlinuxは無くて、日立あたりが68000積んだUNIXマシンを出してたなあ。
あとは、FACOM9450とかそれ系のオフコンがなかなか高性能だった気がする。
Re: (スコア:0)
Yggdrasiはもうリリースされてたはずと思って検索したら、1992年12月が最初のリリースだった。
だから、1992年はじめでもLinux自体はもうあったんじゃないかな。
BSD系のフリーPC Unixは確実にあったはず。
Re:やっぱりUNIX系か? (スコア:1)
1992年当時はLinuxもPC用BSDもまだまだ「Just for fun」のレベルで、
業務に使うような(飯の種になる)ものじゃなかったですね。
1993年のFreeBSD 1.0(4.3BSDベース)、
1994年のLinux 1.0(Slackware)が出てからが、PC-UN*Xの本番。
FreeBSDは1993年の1.0でもう十分実用的で安定してたので、Linuxより先行してたと言えるんですが、4.3BSD Net/2ベースなので、訴訟問題を受けて開発が停滞してそこでLinuxに追いつかれた感じ。
4.4BSD-Lite ベースに移行したFreeBSD 2.0は1994年にリリースされましたけど、安定して使えるようになったのはFreeBSD 2.1(1995年)から。
Yahoo!JAPANなんか、FreeBSD2.1ベースで独自に手を入れたサーバを、長らく運用していた、というのを雑誌記事で読んだ覚えがあります。
実用品としては後発のLinuxはネットワークが弱いもののメモリ消費が少ない(4MBあればとりあえずXが動く)ので、
しばらくはクライアントはLinux有利、サーバはBSD有利、って感じで微妙に棲み分けられて共存してた。
アスキーの書籍
「BSDを256倍使うための本」「Linuxを256倍使うための本」が1995年に同時発売で、その帯が
「Linuxでいいんですか?👉」「👈まだBSDですか?」と、平積みでお互いにディスってた程度には同格で、
それが1997年にはLinux本だけ改訂版が出て、帯が「もうLinuxで決まりでしょ」に変わったので、この2年間で雌雄が決した感じです。
Re: (スコア:0)
おっとどっこい、当時BSDは訴訟問題に巻き込まれて [wikipedia.org]いた。
386BSD [wikipedia.org]はあっても、パッチを反映させず不安定なまま停滞していた。
# 確かMINIXの256倍本(1992/4/1刊行)とかに、その頃の雰囲気がちょろっと
Re: (スコア:0)
30年前なら92年ですよね。
MSに入社できればストックオプションでファイヤー確定だと思う。
それで足りなければGAFAの好きなところに。
Re: (スコア:0)
OS作りに関わりたいなら推薦するよ?日本発?思想的に無理だね。
イチから作る機会は早々ないよ?と言われたなぁ。
困ったことに発言は覚えてても顔も名前も思い出せん…
Re: (スコア:0)
C++はテンプレートも例外もまだなかった頃じゃないかな。
cfrontにはもうあったかもしれんが、そんな人は普通じゃないと思う。
protectedフィールドはもうあった。
すくなくともGCCのC++サポートは全然だめだったと思うが。
UNIXのC++普及はPC系より遅かった印象がある。
あの頃使わなかったのは正解だと思うが……
Re: (スコア:0)
C++98ができる前だから、確かに癖は強かったな。
Re: (スコア:0)
『The Annotated C++ Reference Manual (ARM)』が出て2年。
言語設計的には一番面白かった時代だけどな。
Re: (スコア:0)
次はOS/2か、、という雰囲気もありましたね。
Re: (スコア:0)
92年のC++なんてリソース食いまくりで趣味の世界ですよ。
しかもunixを採用している企業なんて皆無で、当時はsony newsとかomronのLunaの時代
PC9801時代でマウスすら珍しい時代ですよ。
Re: (スコア:0)
X11もemacsもgccもあって
httpdがなかっただけで正直今と大した違いはなかったと思う
てゆうか30年スキルセットに進歩がない大学時代の知識で今でも食ってるおっさんエンジニアとかここにはごろごろいると思う
Re: (スコア:0)
てゆうか30年スキルセットに進歩がない大学時代の知識で今でも食ってるおっさんエンジニアとかここにはごろごろいると思う
ちょろちょろっと、アップデートはしてますよね。
telnetならinetdの設定書き換えてkill -HUP 1だけど、sshなら公開鍵登録して、sshd_config書き換えて、systemctl restart して、とか。
Re: (スコア:0)
> kill -HUP 1
う、シリアルコンソールと混同していたでござる
やはり使わない古い技能はボケてゆく...
Re: (スコア:0)
1990年になるかならないかの頃だけど、バイト先の某大手予備校(のほにゃらら校舎)で、N88-BASICで生徒の出欠管理プログラムを作った。毎日打ち込んだものを一覧表にして、学期ごとなどに印刷する機能だけなんだが、かなり重宝されてた。
その98には外付けHDDもなかったから、FD2枚組で運用していた。
# ワープロは松があったけど、Lotus123は導入されてなかったなあ…
Re: (スコア:0)
実際は当時は実務系でC++は未だ中々なかったんじゃないかな。
それよりマゾと言えば、C言語で組んだプログラムが思ったように動かない時に、自分のコーディングが悪かったのか、コンパイラのバグに引っ掛かったのか、OS本体自身のバグに原因があるのかが分からなくて解析が面倒だったということかなあ。
あと当時は、Pythonは重過ぎて、最初から却下だったわ。
Re: (スコア:0)
Perlが許される環境ならPythonのがマシだったよ当時から
どうせ速度が要求されるところはCで書くので
Re: (スコア:0)
当時はDOS Extender上でAWKやPerlを動かしてました。まあ、何とかなりそうな気がする。