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GIFが開発された1987年はIBMPC関連は何が出たか調べてみると、この年はPS/2が出た年でグラフィックは同時に256色発色だったとのことで、GIFならまさに「画質低下なし」だったということですね。Macのほうはこの年はMacintoshIIで、同じく同時には256色だったみたいだ。日本ではX68000、FM-77AVシリーズなど同時多色表示は先行していたということか。
当時、77AV40とX68Kはアーキテクチャ的に1世代違くて、並べられるともやもや感があるがな。それと、全部で256色(例えばMSX2)なのか、65536色中パレットで256色選べるのかでは大分表現力に差があり、IBM PS/2 MCGA 13chの256色は、RGB各6ビットの26万色中の256色なので、RGB各色5ビットのX68kよりある面で優れているとも言える。(※ある面とは、スプライトとかなかったので…。)77AV40と比較するなら、 AMIGAのHAM-8だろう [wikipedia.org]。
CPUで言えば、77AV40はファミコン並みの6809(8bit, 2Mhz)で、X68kは68000(16bit, 10MHz)。VRAMで言えば、144KB vs 1MB(テキスト/グラフィックそれぞれに512KB)。メモリ空間と速度の差で、X68000の方は実用的だったが、まあ、77AV40の26万色モードは
77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう
間違えた。年代的にはHAM6 [youtube.com]。4096色同時表示までだが制御ビット2ビットもあり、この色数で動画表示できたAmigaは、今で言うゲーミングPC扱いだった。
一方の日本では、動画は、スーパーインポーズ機能を用いたビデオ編集という形で趣味人には浸透していて、あまりPCのみでの多色動画にこだわる人は見かけなかった。スーパーインポーズ機能はX68kにもあったが、PCよりは安価な専用デジタイザの形で、そういうのが好みな人には行き渡っていた。(例えばMSX2と連携するSONYのHBI-F900とか [ameblo.jp]。FM-77AVにも似た類のはあったはず)
FM-TOWNSの周辺機器の価格 [coocan.jp]を見れば、フルカラービデオキャプチャーがセットで20万を超え、JPEGカードが13万もしていたのと対照的に、スーパーインポーズ用のビデオカード [labo.main.jp]が4万円程度と既に低価格化していたことが理解できるだろう。…2400bpsモデムが5万で、ISDNに至っては20万。純正品で市場価格の2倍増しとは言え、これがインターネット普及前夜の1992年頃の周辺機器の希望小売価格だったんだよな…。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:0)
GIFが開発された1987年はIBMPC関連は何が出たか調べてみると、この年はPS/2が出た年でグラフィックは同時に256色発色だったとのことで、GIFならまさに「画質低下なし」だったということですね。
Macのほうはこの年はMacintoshIIで、同じく同時には256色だったみたいだ。
日本ではX68000、FM-77AVシリーズなど同時多色表示は先行していたということか。
Re: (スコア:2, 興味深い)
当時、77AV40とX68Kはアーキテクチャ的に1世代違くて、並べられるともやもや感があるがな。
それと、全部で256色(例えばMSX2)なのか、65536色中パレットで256色選べるのかでは大分表現力に差があり、
IBM PS/2 MCGA 13chの256色は、RGB各6ビットの26万色中の256色なので、
RGB各色5ビットのX68kよりある面で優れているとも言える。
(※ある面とは、スプライトとかなかったので…。)
77AV40と比較するなら、 AMIGAのHAM-8だろう [wikipedia.org]。
CPUで言えば、77AV40はファミコン並みの6809(8bit, 2Mhz)で、X68kは68000(16bit, 10MHz)。
VRAMで言えば、144KB vs 1MB(テキスト/グラフィックそれぞれに512KB)。
メモリ空間と速度の差で、X68000の方は実用的だったが、
まあ、77AV40の26万色モードは
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:0)
77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう
間違えた。年代的にはHAM6 [youtube.com]。
4096色同時表示までだが制御ビット2ビットもあり、この色数で動画表示できたAmigaは、
今で言うゲーミングPC扱いだった。
一方の日本では、動画は、スーパーインポーズ機能を用いたビデオ編集という形で
趣味人には浸透していて、あまりPCのみでの多色動画にこだわる人は見かけなかった。
スーパーインポーズ機能はX68kにもあったが、PCよりは安価な専用デジタイザの形で、
そういうのが好みな人には行き渡っていた。
(例えばMSX2と連携するSONYのHBI-F900とか [ameblo.jp]。FM-77AVにも似た類のはあったはず)
FM-TOWNSの周辺機器の価格 [coocan.jp]を見れば、
フルカラービデオキャプチャーがセットで20万を超え、JPEGカードが13万もしていたのと対照的に、
スーパーインポーズ用のビデオカード [labo.main.jp]が4万円程度と既に低価格化していたことが理解できるだろう。
…2400bpsモデムが5万で、ISDNに至っては20万。純正品で市場価格の2倍増しとは言え、
これがインターネット普及前夜の1992年頃の周辺機器の希望小売価格だったんだよな…。