Wikipediaの将来は「包摂」or「削除」にしかないのだろうか? 96
ストーリー by nabeshin
自然淘汰 部門より
自然淘汰 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
Wikipedia(ウィキペディア)の将来は「包摂」か「削除」かの狭間で揺れ動いているとエコノミストは論じている(本家の話題、包摂の意味、Wikipedia:削除の方針)。記事によると「包摂主義」はWikipediaが人類の持てる知識すべてを網羅するよう、まい進していくのを良しとし、厳しい編集基準を取り入れることは投稿意欲を鈍らせると懸念する。「削除主義」は信頼性ある情報源としての世評を高めていく為にも厳しい編集方針を持ち、取るに足らないエントリは削除し、掲載エントリを慎重に精選した方がWikipediaは成功すると主張する。Wikipediaの将来はこの「包摂」と「削除」との間の葛藤にあるとのこと。
人類の持てる知識すべてを網羅し、かつ信頼性ある情報源であることはできないのだろうか? /.J諸氏のご意見をお聞かせ願いたい。
信頼性とは何か (スコア:5, 興味深い)
信頼性とは何ですか?
「Wikipediaに~記載されている」ことは「~の~という論文に~と記載されている」
あるいは「~という本に~と記載されている」と同等に信頼性のある事実です。
何となれば、あなたはそれを見ているのだから。
知識とは、体験と伝聞であり、伝聞の信頼性の判断は実はきわめて主観的なものです。
「~さんの言うことだから本当だろう」とか「テレビで言っていたから本当だろう」という訳です。
だけども、後者が必ずしも正しくないことは、これを読む多くの方が知っていると思います。
だから私が思うに、何かの情報が「本当かどうか」ということを考えるのは無意味で、
「その情報に基づき、~という行動をとるか」の組み合わせこそが重要だと思います。
胡散臭い情報でも、友人との雑談で披露するのに問題はないですし、
国家の政策上の重要な決定を、占いに頼るのは問題大ありでしょう。
だけれども、社会(とくに裁判だとか)が成り立っていくためにはやはり客観的に
(というか、社会の集合的な判断としての)「どれくらい信頼できそうか」を測定する方法は必要でしょうし、
それこそが科学であり、教育であると思います。
ですから、「誰もが書き込める Wikipedia をどう信頼できる情報にしていくか」ではなく、
「どうメディアリテラシ教育と科学教育の水準を向上させていくか」こそが本質的なテーマであり、
私はその前提で Wikipedia には何でも追加できて(包摂主義)いいと思います。
Re:信頼性とは何か (スコア:2, すばらしい洞察)
「人類は月に行った」という事実の信頼性は、「NASAが行ったと言ってるから」では主張できません。
そこは宇宙開発の歴史を述べ、そこから「人類は宇宙に行っててもおかしくないだろう」と読み手が演繹するしかないと思うのです。
削除主義だと恣意的に歴史が改変されるおそれがあります。
包摂して、読み手に判断させるべきだと思います。
Re:信頼性とは何か (スコア:2, 興味深い)
ここのところ、積極的に削除されて、つまらなくなった記事が多いと思う。
世間一般は、なんでも書いてある方を望んでいるのに。
大衆の望まない純粋な百科事典を卒業して、
雑学の保存場所としてのwikipediaに変化していく方が、
みんな幸せなんだと思うのですが。
ま、原理主義者が支配するうちは駄目なんでしょうね。
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
最後のパラグラフを除いてほとんど同じ意見を持っていますが、なぜか結論が
正反対でした。今まで私はタレコミの分類で言うと削除主義に近い意見でした
が、このコメントを読んで考え方が変わりました。
考えてみれば、/.Jにしても2chにしても「嘘を嘘と見抜けないと」と思って
いるのに、なぜWikipediaにだけ正確である事を求めていたのか、今になって
みると不思議でならない。
Re:信頼性とは何か (スコア:2, すばらしい洞察)
>いるのに、なぜWikipediaにだけ正確である事を求めていたのか、今になって
>みると不思議でならない。
「フリー百科事典」の看板を掲げているからに決まっているじゃないか。
百科事典が間違ってたら問題だろ。(「広辞苑 芦屋」でググれ)
Re:信頼性とは何か (スコア:1, すばらしい洞察)
人類の知識の中には「人はそれに関してどのように間違いうるのか」も含まれると思うが??
# 他にも、「そのトピックでどのように萌える人達がいるのか」も。
なので削除するのではなく、「これに関してこういう風に勘違いしている人もいるが、それはこうこうこういう形で間違っている」という説明も可能な限りつけていくべきだと思うな。
fjの教祖様
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
いや、そうでもないぞ。
投票機構をつければいいだけだろう?
「俺はこっちが正しいと思う」ボタンを用意して、(ログインしているユーザーは)それをクリックできる(もちろん、一人1項目1回。別のを押すと自動的に前の投票は無効になる)。
「花粉症の主原因(トリガーではなく、花粉がトリガーになって過剰アレルギー反応を引き起こすようになった主原因)」のようなものは難しいかもしれないが、「 モンティ・ホール・ジレンマ」のような数学・統計ネタには有効な手段だと思う。
fjの教祖様
Re:信頼性とは何か (スコア:1, 興味深い)
> あるいは「~という本に~と記載されている」と同等に信頼性のある事実です。
Wikipediaの場合は、
> 何となれば、あなたはそれを見ているのだから。
あなたが見たものと私が見たものが異なる可能性が非常に高いというのが問題ですね。
「確かにこの間Wikipediaで調べたんだけど」という記憶を元にWikipediaを参照したらまったく異なることが書かれてるなんてことは珍しくありません。
#以前調べたのとは異なるというのに気づけばまだいいですけど。
履歴を見ればいいというのはそのとおりだけど、見るタイミングによって内容が異なる百科事典というのも使いにくいなと。
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
中には正しい情報もあるでしょうし間違った情報もあるでしょう。それらの情報や意見が存在するというのは容易に示すことが出来ます。しかし、その情報の内容的な正しさを証明するのは百貨辞典のすべきことではないでしょうと。
◆IZUMI162i6 [mailto]
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
包摂主義でも、情報の確からしさについて重み付けがしてなければ、情報として意味がありません。
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
もちろん、「このような意見は少数であり、こちらの意見の方が主流である」などの事実を明示するのは構いませんが、それは検証可能な事実を明示するだけであって、記述者が内容に対して重みづけをしているわけじゃありません。
内容の確からしさを記述者が裁いて重みづけをするのではなく、検証可能性を持つ「確か」な事実の提示により、結果として重みの差異が発生しているように見えてくるのだと思います。
Wikipediaの方針が完璧なものだとは自分には思えませんが、現在の割と科学的なもののように見受けられます。そして「結果として妥当性が高くなる仕組み」ではあると思います。科学的な方法で正しさを追求するという考え方が現在の方針の根底にあるならば、観察対象を蓄積するという包摂主義は比較的それに沿ったものといえましょう。そして自分には実際にその方針が割と科学的なもののように見受けられます。
科学的な、論理的な意味の妥当性が生みだす信頼性について意味がないということはできますが、それを超えるパラダイムを示さない限りそうやって生み出されたリソースも意味を持てないでしょう。
もちろん百科事典の項目として存在するという前提を考慮するならば上記の話とは別の話として、事実が存在するというだけでは記事として十分ではないと考えますけれども。Wikipediaは字引ではないですからね。その記事には事実だけでなくそれが記事として他の項目から独立した項目を持てるだけの情報は確かに必要だと考えます。
◆IZUMI162i6 [mailto]
Re:信頼性とは何か (スコア:1)
のは「信頼性」そのものの定義より、信頼性の得方、もしくは粒度でしょう。
そもそも「信頼性」はnimさんの言われる用途に用いるツールであって、ある意味言うま
でもないことです。
問題はそのツールの使い勝手であり、情報にどれほどの信頼性があるか、という問題を
個々の項目レベルにまで細分化させるなどあまりに使い勝手が悪すぎます。
既存のメディアから情報を得ることを考えればわかるとおり、例えば、まずメディア自
体の実績、著作者の実績、出典、関連項目、文体、項目内でも既知の情報のレベルなど、
さまざまな階層からの「信頼性」を使ってより分けていく。情報の選別は内容以外のメ
タ情報を使う方が容易です。
「Wikipedia」という階層にもそういったある意味レッテルが必要です。そしてそのレッ
テルは人々で共通であるほど使いやすい。「包摂主義」と「削除主義」で揺れ動いている
レッテルのない現在は、非常に利用しにくいメディアと言えるのでは。
つまり全体のレベルを定義し、情報はその定義されたレベルに合わせるべきと考えます。
「削除主義」であれば、(異論はあるでしょうが)レベルは上がり、情報量は下がります。
「包摂主義」は実質の「信頼性レベル」は様々かもしれませんが、上述の使い勝手より
結局はレベルは低いものとみなさざるを得ません(その代わり情報量が増える)。
で、どちらがいいかとなると、やはり私は吟味されたツールがほしいです。
「包摂主義」的なものは、もう持っているからです。インターネットですが。
両方やりゃいいんじゃないかなぁ。 (スコア:5, すばらしい洞察)
幾つか方法はあって、まぁそのうち個人的には有望だと思うのは、
・とにかく情報を集積する。信頼性に乏しい情報も。
・その上で、その中から一定の信頼できる要件を満たした情報には何らかの方法でタグをつける。基準は現行の方法と大差ない方法でいいと思います。
・あとは任意のスイッチで、「信頼できる要件を満たした情報のみの閲覧」「全ての情報の閲覧」を切り替えられるようにする
というようなことでしょうか。それなりに単純な話だと思います。
その上で、信頼できる情報のみを把握したい人は、信頼できる要件を満たした情報のみの閲覧をすればいいし、
信頼できない情報も含めて全てを閲覧したい人はそうすればいい。
#信頼できる要件を満たした情報が、すなわち真実である、とは限らない事には留意。
ただしこれは、全ての情報に言えることでしかありません。
正直、現在の日本語版のWikipediaの記事には、乱暴なようですが全てについて「検証可能性」のタグを貼ってしまい、
それが満たされたものから外していく、というプロセスを踏んだ方がいいと思います。
それほどまでに、検証可能性を完全に満たしている記事は少ないと言えると、個人的には感じています。
Re:両方やりゃいいんじゃないかなぁ。 (スコア:1)
ただ、そのモデレーションには、スラドのモデレーションのようなちょっと感覚的なものではなく、基準を設けようって話です。「検証可能性」とかね。
Re:両方やりゃいいんじゃないかなぁ。 (スコア:1)
ここ [urbandictionary.com]でもやってるし、いつも参考にさせてもらってます。
極論を提示しているが (スコア:3, すばらしい洞察)
Linux カーネルみたいに「優しい独裁者」が各分野にいればいいんでしょうけど。
問題がぶれてる (スコア:3, すばらしい洞察)
リンク先はまだ読んでないのでこの一文だけで判断するが、「取るに足らないエントリ」を削除することでは、「信頼性」は高まらないだろう。
削除するなら「信憑性の低いエントリ」ではないか。
Re:問題がぶれてる (スコア:1)
そうなると、おのずと集まる人の性質が崩れてきて、本当の信憑性も揺らいでいくかも。
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
Re:問題がぶれてる (スコア:3, おもしろおかしい)
その時に、項目自体が存在しないのと、その項目の内容が取るに足らないものだった時の印象は、どちらも全体の信頼性(というか百科事典としての質を疑わせる)を下げることにつながると思うんですけど、それらの差はどれくらいになるんでしょうかね。
#個人的には、百科事典の各項目の記述って、大して面白いものではないのが普通だと思うけど。
Wikipediaって誰が何するときに見るとこなんだろ (スコア:3, 興味深い)
使うもののように思われます。
そういったユーザを想定するなら、極めて信頼性は高いが更新が遅いWikipediaよりも、
信頼性はほどほどだけど活発に更新されるWikipediaのほうが好ましいのではないでしょうか。
# どーせ学者は素人の手垢が付いたものなんて見ないでしょ?
Re:Wikipediaって誰が何するときに見るとこなんだろ (スコア:1, 興味深い)
> # どーせ学者は素人の手垢が付いたものなんて見ないでしょ?
領域で手分けして共同研究をする場合でも、
自分の専門以外知りません、じゃさすがに通りませんので、
必要最低限の知識や知識にたどり着くまでのキーワードを得るのに
使わせてもらっています。その分野の主要論文にたどり着ければ
あとは芋づる式に。
自分の専門領域でも、本当に全てのトピックを網羅している、などという
自信は到底持てませんので、そういうのの補完に使ったりもします。
Wikipediaの目的 (スコア:3, 興味深い)
ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。 [wikipedia.org]
らしいので、質を上げるために量を犠牲にする(削除)のは目的には合わないんじゃないか。
「とるに足らないエントリ」は内容如何によっては修正・統合などすればいいと思う。
#ってここでいってもしゃーなんんですよね
パラグラフごとに (スコア:2, おもしろおかしい)
# デフォルトは民明書房
Re:パラグラフごとに (スコア:5, おもしろおかしい)
ユーザーが積極的に参加してくれないと存在意義が… (スコア:2, 興味深い)
辞書を目指すなら削除
荒俣氏曰く
「その項目に関連するエピソードや雑学が載っているのが博物誌であり
編纂者によって書かれている内容が違うため、
読み物としてまた編纂して、蒐集して面白いのが博物誌」
との事。(昔テレビで見たのでうろ覚え)
これからも発展するには包摂しかないと思いますが。
精選して得る「成功」というものが何を表すのかが
思い浮かびません。
曖昧な信頼性だからこそ良い (スコア:2, 興味深い)
「こういう考えもあるよ?」「極一部の人の意見はこうですよ?」とかの方が、
バザールでござーるな百科事典っぽいじゃないですか。
確実な事実について知りたければネットで多方面から集めた方が信頼できますし、
何もウィキペディアのページを見ただけで保障できる程度の信頼を高めても仕方ないです。
事実のみを記しているウィキよりも、現在進行形で討論されていることや、超マイナーなことや、
そんなのどうでもいいってことまで載ってるのがウィキペディアの面白いトコだと思います。
「信用はできるけど、信頼はできない。」
そんなウィキペディアを目指して欲しいです。
#情報が信頼できるなんて未だに思っていたんですか?
Re:曖昧な信頼性だからこそ良い (スコア:1, 興味深い)
いずれにしろエントロピー増大は止められない (スコア:1, すばらしい洞察)
削除主義は弊害が多くないか? (スコア:2, すばらしい洞察)
こういう人たちって教条主義的で原理主義的で官僚主義的な印象を受けて
記事の作成や編集をしようというモチベーションが著しく阻害される。
Re:削除主義は弊害が多くないか? (スコア:2, 興味深い)
些細な情報でも、検証可能性が高い物、例えば「会社の住所」なんかは、どんなに会社がマニアックだろうが、例え1ヶ月ももたずに潰れていようが、別にかまわない(その結果Wikipediaがサーバーがパンクしようとも)と思うんだけど、「その会社の製品が一世を風靡した」って言っちゃうと、これは独自研究以外の何者でもないからね。せめて、「全国のコンビニエンスストアで発売された」とか、「業種別の売り上げで○○位だった」とか、そういった硬さを避けるために「一世を風靡したと○×新聞に載っていた」っていうレトリックが認められているのに、そういう最低限のレベルにすら達していない記事が多すぎるんだよね。
情報ってのは、必ずしも量が多い方がいいとは限らない。いらない物の最たる例が「私はこう思った」っていう感想文なんだけど、全く検証方法を示さずに、「ソースは俺」の人が多すぎるから困る。
Re:削除主義は弊害が多くないか? (スコア:1)
時として、筆がすべるのは仕方がないと思いますよ。
問題だと思った人が直せばよい・直せるのがWikipediaの良さだと思います。
> 感想文なんだ
嫌なら、感想文は読み飛ばせば良いだけです。
眼に留まるだけで許せないというのは、よほどの潔癖主義なんでしょうね。
Re:削除主義は弊害が多くないか? (スコア:1)
無料のWikipediaなのですから、そういう事もありますよ。
> たくさんありますよ。
と思うなら、編集合戦にならないように議論・説得すれば良いではありませんか。
そういう手間を惜しんで、代案も示さずに
安直に削除に走るから馬鹿にされるんですよ。削除主義者は。
Re:削除主義は弊害が多くないか? (スコア:1)
履歴眺めてて、これ [wikipedia.org]を見た時には流石に愕然とした。
Re:削除主義は弊害が多くないか? (スコア:1)
削除した分、しっかりと本文を書き足すなら良いのですが
削除主義者には、そういう努力も知識も無い。
ただ破壊するだけなんですよ。
無理にどちらかにしなくてもいいのでは (スコア:2, 興味深い)
必要ならそれぞれから貰ってくればいいんだし。
#まあ今度は「どっちがWikipediaの名前を継ぐか」でモメそうだけど。
Re:無理にどちらかにしなくてもいいのでは (スコア:1)
それは「本家・Wikipedia」と「元祖・Wikipedia」にすれば良いでしょう。
metaの記事 (スコア:1, 興味深い)
参考までに。
Re:metaの記事 (スコア:1)
Re:metaの記事 (スコア:1)
あ、余計な皮か。
今こそモデレーション (スコア:1)
その水準を揃えるということは規模が大きくなればなるほど大変になります。
となれば、
記事の書き手のレベルはある程度バラバラ
という状態を仮定しなくてはいけません。
削除派は、それにより記事のレベルが様々になっていることが
問題だと考えているのでしょう。
包摂派、削除派の中庸を取るとすれば/.-jpも使っている
「モデレーション」をどのようにかして入れればいいのだと思います。
それは記事に対する評価システムであり、そして記事に対する統計値の明示になると思います。
記事を正しいものにより精度の高いものへ作り替える事は、
やはり敷居が高いと思います。
ただ、その記事の精度がどの程度か評価できる情報を付けてあげればいいのではないかと思うのです。
何人がその記事を見て、何人が評価して、どんな評価になっているかですね。
それの/.-jpと違う点と言えば
いつに時点の記事に対する評価かというのが重要になってくると思います。
それがクリアになり、荒らし評価を避ける仕組みができれば、
何となく回るんじゃないかなぁ、と思うのです。
Re:スラドのモデレーションの現状を見てよくそんな事が言えるなあ (スコア:1)
/.-jpと同じく
誰でもモデレータになれる訳ではないという
仕組みがあれば、ある程度避けられませんかね。
どう選ぶかは悩みどころですが。
Re:スラドのモデレーションの現状を見てよくそんな事が言えるなあ (スコア:1)
公平という訳には行かないのでは。
専門知識=飯の種を無料で垂れ流すわけもありませんし。
だからこそ、烏合の衆による「集団知」=Wikipediaに価値があるのだと思います。
昔の武士のように最初に名乗れ (スコア:1, 興味深い)
科学の法則でもない限り、絶対に意見はまとまらないと、最初から割り切ることが必要じゃない?
なら、書いた文章に筆者の立場を付箋みたいな形で本文に追加出来るといい。
例えば、東芝のHD DVD撤退に関する項目なんかがあったら、
・ブルーレイ陣営のハード系関係者
・HD DVDのプレーヤを販売したことがあるアメリカ人店員
・メディアメーカ関係者
・経済専門の日本人大学関係者
・次世代DVDプレーヤを買い控えていた日本人消費者
・PS3ユーザのアメリカ人
・ウォールストリート関係のアメリカ人
みたいに。
それで意見がぶつかるなら、削除ではなく、併記させて残す。
後は読んだ人が判断すればいい。
世界中の人が納得できる唯一の説明がないことが分かれば、Wikipediaとして十分存在意義があると思う。
# 説明が冗長になったら適宜文章をまとめたりするのは構わないし、明らかな間違いはすぐに修正すべき。
# 問題なのは、自分と違う見え方を最初から否定し、Wikipedea上から抹殺しようとすること。
名乗っても誰も聞いていない (スコア:1)
自分のスタンスや編集履歴をしっかりと説明しているんですが。
Re:名乗っても誰も聞いていない (スコア:1)
削除主義者に関しては経験上
そういうことは無いと自信を持って言えますね。
削除は衝動的な物です。
Re:名乗っても誰も聞いていない (スコア:1)
どの程度の者かは押して知るべし。
Re:名乗っても誰も聞いていない (スコア:1)
削除主義者の典型だと主張したいわけですよ。
私の主張を立証するがごとく
まさに典型のような人が涌いてきたので、
私としてはありがたい限りです。
Re:昔の武士のように最初に名乗れ (スコア:1)
>同じトピックについて複数の競合するknolができる可能性もあるという。(上記より引用)
ということで、視点の多様さを求めるならknolもありかな、と思います。
どちらだろうと (スコア:1)
単に検索して、使える情報が見つかれば利用するだけ。 それが Wikipedia ということもあるが、まだ半分の比率まで達してない。
しかし、今現在「取るに足らない」情報が、時間が経つと重要情報になってしまうのは良くある事だが、考慮されてるのかな?
the.ACount
Re:スキャンダル (スコア:1, すばらしい洞察)
これはこれ。
別の話ではないか?