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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
どこに偏りがあるのか (スコア:3, 参考になる)
検索ワードが偏っていれば、それに対する結果も偏るのは、当然のことでしょう。
これを以って「インターネットは偏っているから修正すべきだ」とするのは、検閲の肯定に他なりません。
時代や社会背景、政治的事情などによって、生の検索結果に修正を加えろ、と言っているわけですから。
家庭や学校で施すフィルターとはわけが違います。
もちろん、この結果からそんな間抜けな理屈を引き出す人はいないでしょう。
さて、検索技術の特性は、求める情報と得られた結果のダイレクトな結びつきにある、と言いましたが。
これに相反するのが、既存のメディア。例えばテレビや新聞などです。
ニュースを見たら、延々と自殺に関する報道をしていたり、自殺の方法にまで言及していたり。
あるいは、自殺なんて考えたこともなかったのに、如何に自殺がいけないことかを聞かされ続けた結果、逆に自殺に興味を抱いてしまったり。
求めていない情報を勝手に送りつけてくるのが、これらのメディアの特性です。
検索技術に関しては、検索ワードに偏りがあれば、検索結果にも同じ方向の偏りが生じることは、既に述べました。
これはつまり、検索を行なうものの内面に偏りがあれば、その検索結果にはポジティブなフィードバックがかかることを示唆しています。
インターネットが人を死に駆り立てる側面があるとすれば、おそらく問題になるのはここです。
しかし、実際の自殺志願者が、ただひたすら自殺をすることに邁進するかというと、そうではないでしょう。
そこには何らかの迷いがあってしかるべきです。
自殺方法をドライに提示するサイトに対して、懇切丁寧に自殺を回避する方法を提示するサイトも存在し、
後者の方がフィードバック効果が高ければ、インターネットが自殺を促す効果はキャンセルされます。
これに対して、テレビなどのプッシュ型メディアには、受け手の状態に合わせて出力を変える仕組みがありません。
せいぜい、どの番組を選ぶか、くらいの選択肢しかなく、それもニュースなどの公共性の高い番組については無意味です。
つまり、情報の受け手の内面の偏りには、ほとんど依存しないメディアであると言えます。
その代わり、その出力はメディア内部の人間に大きく依存します。
制作側の人間が偏っていれば、番組内容、記事内容にも当然偏りが生じます。
自分の持つ偏りを増幅されることと、他者の持つ偏りを強制されること、
どちらが恐ろしいかは人にもよるでしょうが、どちらにしても、メディアの中に偏りは存在します。
その在り処は、真逆といっていいほど違いますけど。