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1期は再放送で追いつき、2期はゴタゴタを知った上で「でも違う楽しさを見せてくれるかもしれない」と最後まで耐えて見ました。はっきり言って作品内容はなんとも言えない出来でした。具体的には……・物語内で提示された問題の大半が解決しておらず、12話完結のストーリーものとして中途半端 (主人公の家の話に関してはきちんと『舞台となる場所の中には無い』ということを示した上であの結末にするべきだったのではないかと)・オチが弱かったり、笑いに転化出来なくて、1話完結のコメディとしても辛い・言い方がキツかったり、喧嘩にも見える実力行使に出るような展開が時々あ
> (主人公の家の話に関してはきちんと『舞台となる場所の中には無い』ということを示した上であの結末にするべきだったのではないかと)
主人公の家は当然ジャパリパークの外にあるけど、壊れた門はそこからは出られないことの暗示でしょう
横からだけど、「出られない」暗示として壊れた門を出すことと、キャラクターが「出られない」と自覚するのは別なんですよ。キャラが「ここがぼくの居場所」と納得するには、キャラがそれを納得するだけのイベントが必要なんです。それを盛り込めなかったからフウチョウたちに代弁させているけど、キュルルの内心=フウチョウのセリフと納得させるものはない。だから視聴者が混乱して、気分が悪くなるような「酔い」まで起こすんです。
2期が駄作なのはまさにその点で、知るはずのないことをベースにしてキャラが行動して(ドナドナとか)、それで何もかもご都合主義の「物語の予定通りにキャラが動かされている」感じになっちゃってるわけです。
これは「なろう」とかの素人小説ではありがちな問題ですが、商業作品としてこんなものが出てきたのは衝撃です。
> キャラが「ここがぼくの居場所」と納得するには、キャラがそれを納得するだけのイベントが必要なんです。
イエイヌをみて、「家に帰っても一人きりでは意味がない」と自覚しました崩れたホテルを家に選んだのは、そこが思い出の場所だからです
> 知るはずのないことをベースにしてキャラが行動して(ドナドナとか)、
かばんがフレンズを集めてトラクターで運転しているシーンですか?博士は知っているから話を聞いたのでしょう
>イエイヌをみて、「家に帰っても一人きりでは意味がない」と自覚しました>崩れたホテルを家に選んだのは、そこが思い出の場所だからです
そもそも「家に帰っても一人きり」とキュルルが考える理由がありません。家族が待っているのかもしれませんよ?あなたがそう考えるのは自由ですが、それは大半の視聴者には通じず、だから低評価です。描写不足です。
>博士は知っているから話を聞いたのでしょう
いえ、皆の絵を描いたのを知ったのは博士によって呼ばれたアシカたちが帰った後、サーカラだけです。
> そもそも「家に帰っても一人きり」とキュルルが考える理由がありません。家族が待っているのかもしれませんよ?
キュルルはサーバルたちに家のことを「もっと明るくて、やさしくて、とってもあったかかった」と漠然と話すけど、話すべき家族のことは話しませんそれは家族というものを知らないからです
> いえ、皆の絵を描いたのを知ったのは博士によって呼ばれたアシカたちが帰った後、サーカラだけです。
トラクターを運転している時点では原因はわからないが、かばんはフレンズのセルリアンに対抗するため連中を一か所にまとめました
>それは家族というものを知らないからです
ならばなおさら「家に帰っても一人きり」と考える意味がありません。そして「人間としての家族(父母)」を考慮していなかったとしても、「おうち」に戻ればもっと素敵な仲間のことを思い出すのかもしれませんよ?探し求めていた「おうち」が「崩れたホテルで代用できる程度のもの」であると判断できる根拠はありません。それを示唆するために、謎のフウチョウを出すしかなかったのです。そしてフウチョウの正体が明かされない以上、それは描写不足の駄作です。
>トラクターを運転している時点では原因はわからないが、かばんはフレ
> 「おうち」に戻ればもっと素敵な仲間のことを思い出すのかもしれませんよ?
イエイヌの家で、人間の家がどういうものかをキュルルが知りましたが、キュルルが「もっと素敵な仲間」について何か考えた形跡はありませんから、行動の解釈の根拠にするのは無理です
> 探し求めていた「おうち」が「崩れたホテルで代用できる程度のもの」であると判断できる根拠はありません。
この作品の「おうち」はキュルルの不安や淋しさを解消するためにとりあえず探すもので、それ自体は漠然としたイメージだけのもののうえ、「おうち」に帰れば本当に幸
>人間の家がどういうものかをキュルルが知りましたが
キュルルは「ここじゃない」と別の場所を探しました。もしあの集合住宅を「人間の家」と認識するのなら、「ヒト」を自認するキュルルが帰るべきはそこです。崩れたホテルではありません。安らぎを求めるのであれば、既に絆を築いているサーバルやカラカルと一緒に住めばいいだけです。「この先にもっと良い場所がある」と考えて冒険を続ける意味は「キャラクターの視点では」存在しません。この先ホテルでの戦いで多くのフレンズと絆を築けるなど、その時点でキュルルに知るすべはないのです。
>キュルルが「もっと素敵な仲間」について
この作品では「帰る」とはいかなることかを描いていますそれは「みんな(の思い出)とともにいること」だというのが本作の結論で、「おうち」はその結論を出すまでの小道具の一つです。「おうち」がいかなるものか、深化されることはない「帰る」にまつわる話はキュルルとイエイヌの二つあります
他の作品では「おうち」が大きなテーマになることもあるでしょうが、この作品は違う
> もしあの集合住宅を「人間の家」と認識するのなら、「ヒト」を自認するキュルルが帰るべきはそこです。
イエイヌの家は初めて来た場所だからキュルルのおうちではなくそこに帰ることもできません
>
>この作品では「帰る」とはいかなることかを描いています
その結果、「帰る」ことに失敗しましたね。
>それは「みんな(の思い出)とともにいること」だというのが本作の結論で
その結果、「おうち」にあったはずの「思い出」が無視されましたね。
>「おうち」がいかなるものか、深化されることはない
結局、「おうち探し」は茶番でしたね。
>他の作品では「おうち」が大きなテーマになることもあるでしょうが、この作品は違う
「みんなのいるところが、ぼくの帰るところ」って、無茶苦茶陳腐なテーマですよ? エヴァンゲリオンの時から嗤われたくらい。
>イエイヌの家は初めて来た場所だからキュ
> その結果、「帰る」ことに失敗しましたね。
失敗していませんおうちに帰らなくても、帰ることはできるとキュルルが気づきました
> その結果、「おうち」にあったはずの「思い出」が無視されましたね。
キュルルが知っている「おうち」に関することは「明るくて優しくて暖かい」と「自分はかつてそこに住んでいた」この二つだけです。思い出はでてきません
> 「みんなのいるところが、ぼくの帰るところ」って、無茶苦茶陳腐なテーマですよ? エヴァンゲリオンの時から嗤われたくらい。
文芸の一般論になりますが、芸術作品も娯楽作品もテーマは昔からそんなに変わるものではありません。恋愛とか郷
>おうちに帰らなくても、帰ることはできるとキュルルが気づきましたどこかにあっただろう「おうち」を諦めた結果です。そして「おうち」を知らないのに「ないのではないか」で「ここでいい」と判断するのは「酸っぱい葡萄」でしかありません。
>キュルルが知っている「おうち」に関することは「明るくて優しくて暖かい」と「自分はかつてそこに住んでいた」この二つだけです。思い出はでてきませんだから、「あったであろう」思い出を捨てるのが不自然なのです。
>それはともかく、テーマだとお認めなんですね?陳腐なテーマで、しかもその描写に失敗したという意味でね。つか、「皆が
> どこかにあっただろう「おうち」を諦めた結果です。
キュルルは「おうち」を諦めず、最終的に見つけました「みんなのいるところが自分のおうち」だと本人が言っている通りです
> そして「おうち」を知らないのに「ないのではないか」で「ここでいい」と判断するのは「酸っぱい葡萄」でしかありません。
何度も説明しましたが、キュルルにとって「おうち」がどういうものかはきちんと描かれています。「明るくて、優しくて、あったかい」場所のことですキュルルは記憶を失くしており、家についてそれ以上のことはなにも知りません
> だから、「あったであろう」思い出を捨てるのが不
>キュルルは「おうち」を諦めず、最終的に見つけましたいいえ、見つけていません。探すことを諦めて「皆のいるところが」と「酸っぱい葡萄」をしただけです。そこで、「本来のお家には、キュルルを探している仲間がいたのでは?」という自然な疑問を否定してしまいました。キュルルが「おうち」に「暖かい場所」という印象をもっている以上、その「暖かさ」を提供していた「仲間」がいるはずですが、それはキュルルの考えには上りません。それがキュルルが「ご都合主義の人形」であるところです。
>キュルルは記憶を失くしており、家についてそれ以上のことはなにも知りません「何も
> いいえ、見つけていません。探すことを諦めて「皆のいるところが」と「酸っぱい葡萄」をしただけです。
それは視聴者の想像にすぎないのでは?キュルルが「酸っぱい葡萄」する根拠を、あなたは書けますか?キュルルが悔しがっている描写はありますか?
> そこで、「本来のお家には、キュルルを探している仲間がいたのでは?」という自然な疑問を否定してしまいました。
それは視聴者にとっての自然な疑問ではないですか?おうちには自分以外に誰かがいることをキュルルが知っている描写はありましたか?
> キュルルが「おうち」に「暖かい場所」という印象をもっている以上、その「暖かさ」を提
>キュルルが「酸っぱい葡萄」する根拠を、あなたは書けますか?「探すことを諦めた」のが事実でしょ?
>キュルルが悔しがっている描写はありますか?「悔しがっていない」ことがおかしい、という指摘ですが、理解できていないんですか?
>おうちには自分以外に誰かがいることをキュルルが知っている描写はありましたか?ホテルを「おうち」と決めた論理から、「暖かかったおうち」にも「仲間がいた」ことに思い至らないのがおかしい、という指摘ですが、理解できませんか?
>最後以外に、キュルルがそうした描写はありましたか?最後に決めたのでしょう? ならば、最後に「お家にも
> 「探すことを諦めた」のが事実でしょ?
諦めず、ちゃんと見つけました「明るくて優しくて暖かな場所。思ってたのとは違ったけどちゃんと見つけられた。僕はここがいい!」と、あなたが引用したんですよ
> 「悔しがっていない」ことがおかしい、という指摘ですが、理解できていないんですか?> ホテルを「おうち」と決めた論理から、「暖かかったおうち」にも「仲間がいた」ことに思い至らないのがおかしい、という指摘ですが、理解できませんか?> 最後に決めたのでしょう? ならば、最後に「お家にもまっている仲間がいるはずだ。会いに行かなきゃ」となるのが自然、という指摘です
>諦めず、ちゃんと見つけましたいいえ、見つけられずに「代用品」で済ませました。本来の「おうち」にも「暖かな仲間がいるはず」と考えられないキュルルが不自然だという話を理解できませんか?
>「明るくて優しくて暖かな場所。思ってたのとは違ったけどちゃんと見つけられた。僕はここがいい!」と、あなたが引用したんですよだから「代用品」でしょ。
>なぜなら彼は記憶喪失だからです。そこを区別してほしい記憶喪失のキャラだから「おうち」を諦めるのは不自然なんですよ? 理解できませんか?
>サーバルが「約束だよ!かばんちゃん」という場面のことですよねそっちですか? それ、結局記憶のことは何も解決しない、消化不良の場面ですよ?そもそも「何が起きたのか、監督も知らない」状態で作られた物語ですから、単に思わせぶりなだけで、何か意味が込められているはずもないんですよ?
>サーバルを好きになったきっかけでしかないんですよね?切欠がそれであり、さらにそれが「フレンズ全体」に拡大したのが「旅の物語」の構造ですよ? 理解できてますか?5話では「互いの得手不得手を組み合わたコンビ」を「私たちもすてきなコンビだよ」と、サーカバの友情の在り方を確認し、「かばんちゃんを返してよ」の場面で「すごいんだよ」と、互いに尊敬できる友情の在り方が示されました。理解できますか?
>それとも役にたたないフレンズへの友情は、「どんなフレンズにも得手不得手があり、存在意義がある」のが1話で語られてるんですよ? あなたは物語を全く理解できてないじゃないですか。「何の特技もないボク」のかばんちゃんが「得意なこと」を見出して、大切な仲間を救う、という物語であることを理解せずに「けものフレンズ」の内容を語ってるんですか?まあ、あなたは「足が速い、木に登れる」ことを小学生の御遊戯程度にしか理解できない、読解力が残念な人のようですが。「あなたは物語を読み取るのが苦手なフレンズなんだね! ヘーキヘーキ、フレンズによって得意なことは違うから!」
>はい、おかしいです。でもそれはあなたがキュルルでさんざんやっていることですから自覚してほしいいえ、私は「視聴者が考えること」と「キュルルが考えるであろうこと」を区別していますよ? あなたが理解できていないだけです。
>2期のリョコウバトは存在自体が間違っている、ということですね?「存在」というか、「キャラ付け」がおかしいんですよ。2期のキャラはどれも「物語の都合に合わせてキャラが変わる」ので、物語として低評価なんです。
>それを覆すほど居心地のいいところじゃなかったということですそもそもホテルも「居心地のいいところ」じゃないでしょ? それはあなた自身が認めているんですよ?それに、「覆す」のではダメなんですよ? 「おうち」は「おうち」でカタを付け、その上で「居場所」を見つけないと。理解できますか?
>絵を回収するなではなく、回収するまで一か所に集まっていたほうがいい、という話なんですがそうしたら、そこでセルリアンが発生するかもしれないわけです。すると、混戦になる。ゴリラやチーターのセルリアンが発生する可能性がある場所に、カルガモやフルルなどがいることになるんですよ?絵からセルリアンが発生することが分かった時点で、すでに個別の場所でセルリアンは撃破されています。だから、強弱の混戦にならないよう、個別に絵を回収するのが良いのです。ドナドナは単に「全員集合」をやりたかった、でも、キュルルのもとにフレンズを集める物語が描けなかった。だからとりあえずかばんに集めさせ、ドナドナ中に「気になって仕方がないんだろ」と寒い会話で無理やり理由付けをするしかなかったんですよ。そのご都合主義未満の話が「駄作」とされているんです。
つか、「1期より2期がいい」っていう人の考えていることが分かった気がする。
1期を高く評価する人は、例えば1話の「フレンズによって得意なこと違うから」を12話で「ポンコツだらけなのです」と回収する。丁寧に伏線を回収して行って、いろんなシーンに繋がりがあったことを理解して、満足する。けものフレンズもケムリクサも「最初はイマイチかと思ったけど、後半に評価が高くなる」傾向があるが、それはこの「物語」がしっかりしているからだ。
でも、2期の方が好きな人にとっては「物語」は重要じゃないんだ。ただ「かわいい子が笑った」とか「記憶を取り戻したっぽい」とか
まあこれでも読んでくださいhttps://srad.jp/~gunwithoccasionalmus/journal/629281/ [srad.jp]あなた、イエイヌがキュルルに飲ませようとしたのが本当に「葉っぱをお湯に入れたやつ」だということもわからなかったでしょ?ネットを見ても、理解できた人はいませんよね?1期にはそういう演出テクニックは皆無だからとても易しく、誰でも話が理解できました2は全編がテクニックのかたまりでむちゃくちゃ難しく、誰にでも理解できるものではありません
とりあえずあなたは「イエイヌは本当に紅茶をいれた」ことを立証してみましょうか
>あなた、イエイヌがキュルルに飲ませようとしたのが本当に「葉っぱをお湯に入れたやつ」だということもわからなかったでしょ?
馬鹿ですか?「イエイヌが紅茶を入れたかどうか」は関係ないでしょ? それが「本当に紅茶か」は物語上で無意味なことなんですよ。そもそも「葉っぱをお湯に入れたやつ」をキュルルが拒む理由もないでしょ? 記憶喪失で「紅茶」を知らないのだから。一口飲んで「味がしないや」とかキュルルに言わせれば、その場面は「イエイヌは形だけ」と示す意味がある。しかし、単に「イエイヌが出したものを、キュルルは口を付けなかった」という描写がある
1期はそういう心理誘導や視線誘導のテクニックの塊ですよ。他にも、例えば1話の冒頭でシマウマやトムソンガゼルを見つけたとき、それらのフレンズは「背を向けて」いましたね。挨拶もしませんでした。それが物語の上でどういう意味をもっているか、世界観に与える影響、サーバルたちフレンズの関係、かばんちゃんとの関係など、様々な伏線になっているんですよ。あなたには理解できていますか?まあ、無理でしょ。なにせ「足が速い、木登りがうまい」を小学生の得意技程度にしか理解できていなかったあなたには。
> そもそも「葉っぱをお湯に入れたやつ」をキュルルが拒む理由もないでしょ? 記憶喪失で「紅茶」を知らないのだから。
キュルルはかばん宅で博士がいれた紅茶を飲んでいますし、「いい匂い」とも言ってます
> それに、そういう仄めかしは1期の方が断然に上ですよ。> 例えば、知恵の象徴であるフクロウが管理する図書館は「リンゴの実」の形をしています。それが崩れて、新たな木が生えています。
それはシンボルを用いた暗喩です演出トリックは叙述トリックとか、例えば、「その人は筋肉質で背の丈190cmにもなろうかとしていた」と描いて、読者に「(本当は女性の)その人」を男性だと思い込ませようとする技法などのことです
あなたは単に自分が妄想した「ただの草」に固執しているだけです。単に「茶葉」という名前を知らなかっただけ、とも解釈は出来るんですよ。
イエイヌは「かばんさん」を知っていました。したがって「紅茶」の存在を知っていてもおかしくはありません。そしてイエイヌは「におい」で対象を判断しています。また、1期ですでに「お茶を入れてくれるカフェ」はフレンズたちに知られる存在になりました。イエイヌが淹れた液体には茶色い色が付いており、それは「ただの草」の煮出し汁では付かない色です。
以上で、「イエイヌが淹れたのは紅茶ではない」という根拠は無くなります。実際に
あ、それから書き忘れていたけど、>演出トリックは叙述トリックとか、例えば、「その人は筋肉質で背の丈190cmにもなろうかとしていた」と描いて、読者に「(本当は女性の)その人」を男性だと思い込ませようとする技法などのことです
それをやる時に、「誰の視点か」を明示しないとダメ、という話をしているんですが、理解できますか?あの場所にいたのはキュルルとサーバル、カラカルで、サーバルとカラカルには「家」のイメージはもてない。ナレーションなどの「語り手」は「けものフレンズ2」では使用されず、すべて直接話法で描写されています。それを「(登場していない)語り手の視点だった」とするのは「夢落ち」と同様に禁じ手なんですよ。
叙述トリックは、後からネタ晴らしをされれば納得できるものを指します。しかし、「おうち」の描写について、あの家のイメージは何だったのかの「ネタ晴らし」は無く、それだからダメ脚本なのです。
引用元は複数のコメントになります。ご了承ください
> 例えば、知恵の象徴であるフクロウが管理する図書館は「リンゴの実」の形をしています。それが崩れて、新たな木が生えています。それは、1期の中で繰り返し描写されていた「人間の文明が滅びた」遺跡と対をなし、「新たなヒトの知恵」の芽生えを意味しているんです。だからこそ、博士たちの「料理されていないものなの何の面白みもない」という、ヒトの知識欲に応えて、ヒトの文明の起こりである「火」を使って料理をしたんです。それが「他の動物」と「ヒト」が異なる存在である、という説明になっているほか、図書館の中から生
>これは、「けものフレンズ」の第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいことなんですね?
は? 馬鹿ですか? なぜ「第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいこと」かどうかが問題となるんですか?シンボルを用いた心理誘導は一般的な技法であり、様々な創作物で、アニメでも、例えばガンダムでも多用されています。技法として「キャラの視線をどのシンボルに導くか」などは研究されており、また、優れた創作者は無意識に「ここで右上からキャラを登場させよう」とかやるんです。それが「センス」と言われるものです。けものフレンズ
> しかし、物語の積み重ねが足りなかったため、2度の洗礼は視聴者に訴えるものが皆無でした。
ええと。キュルルはべつに救世主にはなりませんよね?トラを連れてきたから救世主ということですか?
> は? 馬鹿ですか? なぜ「第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいこと」かどうかが問題となるんですか?
けもフレがすごいという話をあなたがしているからですよ
> 単に「けもフレ1期」では非常に高いレベルで成し遂げられ、「けもフレ2」は非常にお粗末な駄作であるってだけのことです。
ということなら、他の並アニメのどのへんが並で、「それと比べて」けも
>ええと。キュルルはべつに救世主にはなりませんよね?トラを連れてきたから救世主ということですか?はい、「洗礼」を済ませているにもかかわらず、救世主には成れませんでした。アムールトラも救えず、セルリアン退治はフレンズ頼みでキュルル自身は何もしませんでした。「条件を整えているのに、それを終えられない」脚本のダメなところです。いわば、推理もので犯人が見つからず、ヒーローもので怪人を倒せない。そういうカタルシス不足による駄作です。
1期との比較で言えば、1話Cパートの「パークの危機なのだ」と、「異物であるヒトの侵入」を危機として始まった物語が、「パークの危機
というか、ヒトと一緒に暮らしていた記憶があって「懐かしい匂い」で判断するイエイヌが「いい香り」の紅茶を「ただの葉っぱ」と誤認していたのなら、それは「キャラ崩壊」であって、「駄作」ポイントが上積みされるんだけど、そういうのも考えていなかったんだろうなあ。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
どうしたものか (スコア:1)
1期は再放送で追いつき、2期はゴタゴタを知った上で「でも違う楽しさを見せてくれるかもしれない」と最後まで耐えて見ました。
はっきり言って作品内容はなんとも言えない出来でした。
具体的には……
・物語内で提示された問題の大半が解決しておらず、12話完結のストーリーものとして中途半端
(主人公の家の話に関してはきちんと『舞台となる場所の中には無い』ということを示した上であの結末にするべきだったのではないかと)
・オチが弱かったり、笑いに転化出来なくて、1話完結のコメディとしても辛い
・言い方がキツかったり、喧嘩にも見える実力行使に出るような展開が時々あ
Re: (スコア:0)
> (主人公の家の話に関してはきちんと『舞台となる場所の中には無い』ということを示した上であの結末にするべきだったのではないかと)
主人公の家は当然ジャパリパークの外にあるけど、壊れた門はそこからは出られないことの暗示でしょう
Re: (スコア:1)
横からだけど、
「出られない」暗示として壊れた門を出すことと、キャラクターが「出られない」と自覚するのは別なんですよ。
キャラが「ここがぼくの居場所」と納得するには、キャラがそれを納得するだけのイベントが必要なんです。
それを盛り込めなかったからフウチョウたちに代弁させているけど、キュルルの内心=フウチョウのセリフと納得させるものはない。
だから視聴者が混乱して、気分が悪くなるような「酔い」まで起こすんです。
2期が駄作なのはまさにその点で、知るはずのないことをベースにしてキャラが行動して(ドナドナとか)、
それで何もかもご都合主義の「物語の予定通りにキャラが動かされている」感じになっちゃってるわけです。
これは「なろう」とかの素人小説ではありがちな問題ですが、商業作品としてこんなものが出てきたのは衝撃です。
Re: (スコア:0)
> キャラが「ここがぼくの居場所」と納得するには、キャラがそれを納得するだけのイベントが必要なんです。
イエイヌをみて、「家に帰っても一人きりでは意味がない」と自覚しました
崩れたホテルを家に選んだのは、そこが思い出の場所だからです
> 知るはずのないことをベースにしてキャラが行動して(ドナドナとか)、
かばんがフレンズを集めてトラクターで運転しているシーンですか?
博士は知っているから話を聞いたのでしょう
Re: (スコア:1)
>イエイヌをみて、「家に帰っても一人きりでは意味がない」と自覚しました
>崩れたホテルを家に選んだのは、そこが思い出の場所だからです
そもそも「家に帰っても一人きり」とキュルルが考える理由がありません。家族が待っているのかもしれませんよ?
あなたがそう考えるのは自由ですが、それは大半の視聴者には通じず、だから低評価です。描写不足です。
>博士は知っているから話を聞いたのでしょう
いえ、皆の絵を描いたのを知ったのは博士によって呼ばれたアシカたちが帰った後、サーカラだけです。
Re: (スコア:0)
> そもそも「家に帰っても一人きり」とキュルルが考える理由がありません。家族が待っているのかもしれませんよ?
キュルルはサーバルたちに家のことを「もっと明るくて、やさしくて、とってもあったかかった」と漠然と話すけど、話すべき家族のことは話しません
それは家族というものを知らないからです
> いえ、皆の絵を描いたのを知ったのは博士によって呼ばれたアシカたちが帰った後、サーカラだけです。
トラクターを運転している時点では原因はわからないが、かばんはフレンズのセルリアンに対抗するため連中を一か所にまとめました
Re: (スコア:1)
>それは家族というものを知らないからです
ならばなおさら「家に帰っても一人きり」と考える意味がありません。
そして「人間としての家族(父母)」を考慮していなかったとしても、
「おうち」に戻ればもっと素敵な仲間のことを思い出すのかもしれませんよ?
探し求めていた「おうち」が「崩れたホテルで代用できる程度のもの」であると判断できる根拠はありません。
それを示唆するために、謎のフウチョウを出すしかなかったのです。そしてフウチョウの正体が明かされない以上、
それは描写不足の駄作です。
>トラクターを運転している時点では原因はわからないが、かばんはフレ
Re: (スコア:0)
> 「おうち」に戻ればもっと素敵な仲間のことを思い出すのかもしれませんよ?
イエイヌの家で、人間の家がどういうものかをキュルルが知りましたが、キュルルが「もっと素敵な仲間」について何か考えた形跡はありませんから、行動の解釈の根拠にするのは無理です
> 探し求めていた「おうち」が「崩れたホテルで代用できる程度のもの」であると判断できる根拠はありません。
この作品の「おうち」はキュルルの不安や淋しさを解消するためにとりあえず探すもので、それ自体は漠然としたイメージだけのもののうえ、「おうち」に帰れば本当に幸
Re: (スコア:1)
>人間の家がどういうものかをキュルルが知りましたが
キュルルは「ここじゃない」と別の場所を探しました。
もしあの集合住宅を「人間の家」と認識するのなら、「ヒト」を自認するキュルルが帰るべきはそこです。崩れたホテルではありません。
安らぎを求めるのであれば、既に絆を築いているサーバルやカラカルと一緒に住めばいいだけです。
「この先にもっと良い場所がある」と考えて冒険を続ける意味は「キャラクターの視点では」存在しません。
この先ホテルでの戦いで多くのフレンズと絆を築けるなど、その時点でキュルルに知るすべはないのです。
>キュルルが「もっと素敵な仲間」について
Re: (スコア:0)
この作品では「帰る」とはいかなることかを描いています
それは「みんな(の思い出)とともにいること」だというのが本作の結論で、「おうち」はその結論を出すまでの小道具の一つです。「おうち」がいかなるものか、深化されることはない
「帰る」にまつわる話はキュルルとイエイヌの二つあります
他の作品では「おうち」が大きなテーマになることもあるでしょうが、この作品は違う
> もしあの集合住宅を「人間の家」と認識するのなら、「ヒト」を自認するキュルルが帰るべきはそこです。
イエイヌの家は初めて来た場所だからキュルルのおうちではなくそこに帰ることもできません
>
Re: (スコア:1)
>この作品では「帰る」とはいかなることかを描いています
その結果、「帰る」ことに失敗しましたね。
>それは「みんな(の思い出)とともにいること」だというのが本作の結論で
その結果、「おうち」にあったはずの「思い出」が無視されましたね。
>「おうち」がいかなるものか、深化されることはない
結局、「おうち探し」は茶番でしたね。
>他の作品では「おうち」が大きなテーマになることもあるでしょうが、この作品は違う
「みんなのいるところが、ぼくの帰るところ」って、無茶苦茶陳腐なテーマですよ? エヴァンゲリオンの時から嗤われたくらい。
>イエイヌの家は初めて来た場所だからキュ
Re: (スコア:0)
> その結果、「帰る」ことに失敗しましたね。
失敗していません
おうちに帰らなくても、帰ることはできるとキュルルが気づきました
> その結果、「おうち」にあったはずの「思い出」が無視されましたね。
キュルルが知っている「おうち」に関することは「明るくて優しくて暖かい」と「自分はかつてそこに住んでいた」この二つだけです。思い出はでてきません
> 「みんなのいるところが、ぼくの帰るところ」って、無茶苦茶陳腐なテーマですよ? エヴァンゲリオンの時から嗤われたくらい。
文芸の一般論になりますが、芸術作品も娯楽作品もテーマは昔からそんなに変わるものではありません。恋愛とか郷
Re: (スコア:1)
>おうちに帰らなくても、帰ることはできるとキュルルが気づきました
どこかにあっただろう「おうち」を諦めた結果です。
そして「おうち」を知らないのに「ないのではないか」で「ここでいい」と判断するのは「酸っぱい葡萄」でしかありません。
>キュルルが知っている「おうち」に関することは「明るくて優しくて暖かい」と「自分はかつてそこに住んでいた」この二つだけです。思い出はでてきません
だから、「あったであろう」思い出を捨てるのが不自然なのです。
>それはともかく、テーマだとお認めなんですね?
陳腐なテーマで、しかもその描写に失敗したという意味でね。
つか、「皆が
Re: (スコア:0)
> どこかにあっただろう「おうち」を諦めた結果です。
キュルルは「おうち」を諦めず、最終的に見つけました
「みんなのいるところが自分のおうち」だと本人が言っている通りです
> そして「おうち」を知らないのに「ないのではないか」で「ここでいい」と判断するのは「酸っぱい葡萄」でしかありません。
何度も説明しましたが、キュルルにとって「おうち」がどういうものかはきちんと描かれています。「明るくて、優しくて、あったかい」場所のことです
キュルルは記憶を失くしており、家についてそれ以上のことはなにも知りません
> だから、「あったであろう」思い出を捨てるのが不
Re: (スコア:0)
>キュルルは「おうち」を諦めず、最終的に見つけました
いいえ、見つけていません。探すことを諦めて「皆のいるところが」と「酸っぱい葡萄」をしただけです。
そこで、「本来のお家には、キュルルを探している仲間がいたのでは?」という自然な疑問を否定してしまいました。
キュルルが「おうち」に「暖かい場所」という印象をもっている以上、その「暖かさ」を提供していた「仲間」がいるはずですが、
それはキュルルの考えには上りません。それがキュルルが「ご都合主義の人形」であるところです。
>キュルルは記憶を失くしており、家についてそれ以上のことはなにも知りません
「何も
Re: (スコア:0)
> いいえ、見つけていません。探すことを諦めて「皆のいるところが」と「酸っぱい葡萄」をしただけです。
それは視聴者の想像にすぎないのでは?
キュルルが「酸っぱい葡萄」する根拠を、あなたは書けますか?
キュルルが悔しがっている描写はありますか?
> そこで、「本来のお家には、キュルルを探している仲間がいたのでは?」という自然な疑問を否定してしまいました。
それは視聴者にとっての自然な疑問ではないですか?
おうちには自分以外に誰かがいることをキュルルが知っている描写はありましたか?
> キュルルが「おうち」に「暖かい場所」という印象をもっている以上、その「暖かさ」を提
Re: (スコア:0)
>キュルルが「酸っぱい葡萄」する根拠を、あなたは書けますか?
「探すことを諦めた」のが事実でしょ?
>キュルルが悔しがっている描写はありますか?
「悔しがっていない」ことがおかしい、という指摘ですが、理解できていないんですか?
>おうちには自分以外に誰かがいることをキュルルが知っている描写はありましたか?
ホテルを「おうち」と決めた論理から、「暖かかったおうち」にも「仲間がいた」ことに思い至らないのがおかしい、という指摘ですが、理解できませんか?
>最後以外に、キュルルがそうした描写はありましたか?
最後に決めたのでしょう? ならば、最後に「お家にも
Re: (スコア:0)
> 「探すことを諦めた」のが事実でしょ?
諦めず、ちゃんと見つけました
「明るくて優しくて暖かな場所。思ってたのとは違ったけどちゃんと見つけられた。僕はここがいい!」と、あなたが引用したんですよ
> 「悔しがっていない」ことがおかしい、という指摘ですが、理解できていないんですか?
> ホテルを「おうち」と決めた論理から、「暖かかったおうち」にも「仲間がいた」ことに思い至らないのがおかしい、という指摘ですが、理解できませんか?
> 最後に決めたのでしょう? ならば、最後に「お家にもまっている仲間がいるはずだ。会いに行かなきゃ」となるのが自然、という指摘です
Re:どうしたものか (スコア:0)
>諦めず、ちゃんと見つけました
いいえ、見つけられずに「代用品」で済ませました。
本来の「おうち」にも「暖かな仲間がいるはず」と考えられないキュルルが不自然だという話を理解できませんか?
>「明るくて優しくて暖かな場所。思ってたのとは違ったけどちゃんと見つけられた。僕はここがいい!」と、あなたが引用したんですよ
だから「代用品」でしょ。
>なぜなら彼は記憶喪失だからです。そこを区別してほしい
記憶喪失のキャラだから「おうち」を諦めるのは不自然なんですよ? 理解できませんか?
>サーバルが「約束だよ!かばんちゃん」という場面のことですよね
そっちですか? それ、結局記憶のことは何も解決しない、消化不良の場面ですよ?
そもそも「何が起きたのか、監督も知らない」状態で作られた物語ですから、単に思わせぶりなだけで、何か意味が込められているはずもないんですよ?
>サーバルを好きになったきっかけでしかないんですよね?
切欠がそれであり、さらにそれが「フレンズ全体」に拡大したのが「旅の物語」の構造ですよ? 理解できてますか?
5話では「互いの得手不得手を組み合わたコンビ」を「私たちもすてきなコンビだよ」と、サーカバの友情の在り方を確認し、
「かばんちゃんを返してよ」の場面で「すごいんだよ」と、互いに尊敬できる友情の在り方が示されました。理解できますか?
>それとも役にたたないフレンズへの友情は、
「どんなフレンズにも得手不得手があり、存在意義がある」のが1話で語られてるんですよ? あなたは物語を全く理解できてないじゃないですか。
「何の特技もないボク」のかばんちゃんが「得意なこと」を見出して、大切な仲間を救う、という物語であることを理解せずに「けものフレンズ」の内容を語ってるんですか?
まあ、あなたは「足が速い、木に登れる」ことを小学生の御遊戯程度にしか理解できない、読解力が残念な人のようですが。
「あなたは物語を読み取るのが苦手なフレンズなんだね! ヘーキヘーキ、フレンズによって得意なことは違うから!」
>はい、おかしいです。でもそれはあなたがキュルルでさんざんやっていることですから自覚してほしい
いえ、私は「視聴者が考えること」と「キュルルが考えるであろうこと」を区別していますよ? あなたが理解できていないだけです。
>2期のリョコウバトは存在自体が間違っている、ということですね?
「存在」というか、「キャラ付け」がおかしいんですよ。2期のキャラはどれも「物語の都合に合わせてキャラが変わる」ので、物語として低評価なんです。
>それを覆すほど居心地のいいところじゃなかったということです
そもそもホテルも「居心地のいいところ」じゃないでしょ? それはあなた自身が認めているんですよ?
それに、「覆す」のではダメなんですよ? 「おうち」は「おうち」でカタを付け、その上で「居場所」を見つけないと。理解できますか?
>絵を回収するなではなく、回収するまで一か所に集まっていたほうがいい、という話なんですが
そうしたら、そこでセルリアンが発生するかもしれないわけです。すると、混戦になる。
ゴリラやチーターのセルリアンが発生する可能性がある場所に、カルガモやフルルなどがいることになるんですよ?
絵からセルリアンが発生することが分かった時点で、すでに個別の場所でセルリアンは撃破されています。
だから、強弱の混戦にならないよう、個別に絵を回収するのが良いのです。
ドナドナは単に「全員集合」をやりたかった、でも、キュルルのもとにフレンズを集める物語が描けなかった。
だからとりあえずかばんに集めさせ、ドナドナ中に「気になって仕方がないんだろ」と寒い会話で無理やり理由付けをするしかなかったんですよ。
そのご都合主義未満の話が「駄作」とされているんです。
Re: (スコア:0)
つか、「1期より2期がいい」っていう人の考えていることが分かった気がする。
1期を高く評価する人は、例えば
1話の「フレンズによって得意なこと違うから」を12話で「ポンコツだらけなのです」と回収する。
丁寧に伏線を回収して行って、いろんなシーンに繋がりがあったことを理解して、満足する。
けものフレンズもケムリクサも「最初はイマイチかと思ったけど、後半に評価が高くなる」傾向があるが、それはこの「物語」がしっかりしているからだ。
でも、2期の方が好きな人にとっては「物語」は重要じゃないんだ。
ただ「かわいい子が笑った」とか「記憶を取り戻したっぽい」とか
Re: (スコア:0)
まあこれでも読んでください
https://srad.jp/~gunwithoccasionalmus/journal/629281/ [srad.jp]
あなた、イエイヌがキュルルに飲ませようとしたのが本当に「葉っぱをお湯に入れたやつ」だということもわからなかったでしょ?ネットを見ても、理解できた人はいませんよね?
1期にはそういう演出テクニックは皆無だからとても易しく、誰でも話が理解できました
2は全編がテクニックのかたまりでむちゃくちゃ難しく、誰にでも理解できるものではありません
とりあえずあなたは「イエイヌは本当に紅茶をいれた」ことを立証してみましょうか
Re: (スコア:0)
>あなた、イエイヌがキュルルに飲ませようとしたのが本当に「葉っぱをお湯に入れたやつ」だということもわからなかったでしょ?
馬鹿ですか?
「イエイヌが紅茶を入れたかどうか」は関係ないでしょ? それが「本当に紅茶か」は物語上で無意味なことなんですよ。
そもそも「葉っぱをお湯に入れたやつ」をキュルルが拒む理由もないでしょ? 記憶喪失で「紅茶」を知らないのだから。
一口飲んで「味がしないや」とかキュルルに言わせれば、その場面は「イエイヌは形だけ」と示す意味がある。
しかし、単に「イエイヌが出したものを、キュルルは口を付けなかった」という描写がある
Re: (スコア:0)
1期はそういう心理誘導や視線誘導のテクニックの塊ですよ。
他にも、例えば1話の冒頭でシマウマやトムソンガゼルを見つけたとき、それらのフレンズは「背を向けて」いましたね。挨拶もしませんでした。
それが物語の上でどういう意味をもっているか、世界観に与える影響、サーバルたちフレンズの関係、かばんちゃんとの関係など、様々な伏線になっているんですよ。
あなたには理解できていますか?
まあ、無理でしょ。なにせ「足が速い、木登りがうまい」を小学生の得意技程度にしか理解できていなかったあなたには。
Re: (スコア:0)
> そもそも「葉っぱをお湯に入れたやつ」をキュルルが拒む理由もないでしょ? 記憶喪失で「紅茶」を知らないのだから。
キュルルはかばん宅で博士がいれた紅茶を飲んでいますし、「いい匂い」とも言ってます
> それに、そういう仄めかしは1期の方が断然に上ですよ。
> 例えば、知恵の象徴であるフクロウが管理する図書館は「リンゴの実」の形をしています。それが崩れて、新たな木が生えています。
それはシンボルを用いた暗喩です
演出トリックは叙述トリックとか、例えば、「その人は筋肉質で背の丈190cmにもなろうかとしていた」と描いて、読者に「(本当は女性の)その人」を男性だと思い込ませようとする技法などのことです
Re: (スコア:0)
あなたは単に自分が妄想した「ただの草」に固執しているだけです。
単に「茶葉」という名前を知らなかっただけ、とも解釈は出来るんですよ。
イエイヌは「かばんさん」を知っていました。したがって「紅茶」の存在を知っていてもおかしくはありません。
そしてイエイヌは「におい」で対象を判断しています。
また、1期ですでに「お茶を入れてくれるカフェ」はフレンズたちに知られる存在になりました。
イエイヌが淹れた液体には茶色い色が付いており、それは「ただの草」の煮出し汁では付かない色です。
以上で、「イエイヌが淹れたのは紅茶ではない」という根拠は無くなります。実際に
Re: (スコア:0)
あ、それから書き忘れていたけど、
>演出トリックは叙述トリックとか、例えば、「その人は筋肉質で背の丈190cmにもなろうかとしていた」と描いて、読者に「(本当は女性の)その人」を男性だと思い込ませようとする技法などのことです
それをやる時に、「誰の視点か」を明示しないとダメ、という話をしているんですが、理解できますか?
あの場所にいたのはキュルルとサーバル、カラカルで、サーバルとカラカルには「家」のイメージはもてない。
ナレーションなどの「語り手」は「けものフレンズ2」では使用されず、すべて直接話法で描写されています。
それを「(登場していない)語り手の視点だった」とするのは「夢落ち」と同様に禁じ手なんですよ。
叙述トリックは、後からネタ晴らしをされれば納得できるものを指します。
しかし、「おうち」の描写について、あの家のイメージは何だったのかの「ネタ晴らし」は無く、それだからダメ脚本なのです。
Re: (スコア:0)
引用元は複数のコメントになります。ご了承ください
> 例えば、知恵の象徴であるフクロウが管理する図書館は「リンゴの実」の形をしています。それが崩れて、新たな木が生えています。
それは、1期の中で繰り返し描写されていた「人間の文明が滅びた」遺跡と対をなし、「新たなヒトの知恵」の芽生えを意味しているんです。
だからこそ、博士たちの「料理されていないものなの何の面白みもない」という、ヒトの知識欲に応えて、ヒトの文明の起こりである「火」を使って料理をしたんです。
それが「他の動物」と「ヒト」が異なる存在である、という説明になっているほか、図書館の中から生
Re: (スコア:0)
>これは、「けものフレンズ」の第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいことなんですね?
は? 馬鹿ですか? なぜ「第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいこと」かどうかが問題となるんですか?
シンボルを用いた心理誘導は一般的な技法であり、様々な創作物で、アニメでも、例えばガンダムでも多用されています。
技法として「キャラの視線をどのシンボルに導くか」などは研究されており、また、優れた創作者は無意識に「ここで右上からキャラを登場させよう」とかやるんです。
それが「センス」と言われるものです。
けものフレンズ
Re: (スコア:0)
> しかし、物語の積み重ねが足りなかったため、2度の洗礼は視聴者に訴えるものが皆無でした。
ええと。キュルルはべつに救世主にはなりませんよね?トラを連れてきたから救世主ということですか?
> は? 馬鹿ですか? なぜ「第一作だけが成し遂げた、他のどんなアニメにもないすごいこと」かどうかが問題となるんですか?
けもフレがすごいという話をあなたがしているからですよ
> 単に「けもフレ1期」では非常に高いレベルで成し遂げられ、「けもフレ2」は非常にお粗末な駄作であるってだけのことです。
ということなら、他の並アニメのどのへんが並で、「それと比べて」けも
Re: (スコア:0)
>ええと。キュルルはべつに救世主にはなりませんよね?トラを連れてきたから救世主ということですか?
はい、「洗礼」を済ませているにもかかわらず、救世主には成れませんでした。
アムールトラも救えず、セルリアン退治はフレンズ頼みでキュルル自身は何もしませんでした。
「条件を整えているのに、それを終えられない」脚本のダメなところです。いわば、推理もので犯人が見つからず、ヒーローもので怪人を倒せない。そういうカタルシス不足による駄作です。
1期との比較で言えば、1話Cパートの「パークの危機なのだ」と、「異物であるヒトの侵入」を危機として始まった物語が、「パークの危機
Re: (スコア:0)
というか、
ヒトと一緒に暮らしていた記憶があって「懐かしい匂い」で判断するイエイヌが「いい香り」の紅茶を「ただの葉っぱ」と誤認していたのなら、
それは「キャラ崩壊」であって、「駄作」ポイントが上積みされるんだけど、そういうのも考えていなかったんだろうなあ。