Wikipediaは「真実」の意味を変えた? 102
ストーリー by hylom
真実ってなんだろう、 部門より
真実ってなんだろう、 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
本家"Wikipedia's New Definition of Truth"より。
Wikipediaの記事はボランティアによって記述・編集されているため信用に値しないと主張する識者も多いが、掲載されている記事がかなり正確であることを証明する研究もあるそうだ。Wikipediaに正確な情報が掲載されている背景には、700万人を超えるWikipediaの登録ユーザによって真実でない事柄を排除するポリシーや手順が編み出されたという点があるだろう。
しかし、Wikipediaコミュニティの真実の判断方法は数学や科学のように一貫性や可観測性に基づいたものではなく、また常識や直接の経験に因るものでもない。そのような客観的真実はさほど重要ではなく、採用に値するかどうかという判断は他ソースで発表された内容かどうかという点にある。Wikipediaの記事の三大方針の一つである「検証可能性」では、「信頼できるソース(情報源)を参照することにより『検証できる』」点が重要であるとしている。
(つづく...)
他ソースを参照した内容であったとしても、世の中には検証が全く行わなわれていない記事が溢れている。また、検証したとしていても、単に当事者に内容が正しいか確認したというレベルであることも多い。また「独自研究を載せない」という方針も、直接それを記述している記事がないがために「真実」が記述されないという可能性を生む。
Wikipediaは世界で最も読まれている参考文献であり、そこでの「真実」が人々の「真実」の基準となってしまったかもしれない。Wikipediaにおける「真実」とは「ある題材に関する大多数の見解」というものであるが、Wikipediaは「真実」の意味を再定義してしまったのだろうか?なお、本家/.のストーリーはTechnology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth」が元ネタとなっています。
verifiability, not truth (スコア:5, すばらしい洞察)
>ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。
ウィキペディアでは、このようにそもそも「真実は何か」という、しばしば泥沼にはまりやすい議論から距離を置いたスタンスを取ることで、実利的に「使い物になる」ことを目指しておりこそすれ、「真実の意味」を変えようなどとはしていないのだが。
#集合知ということからは、現代哲学的な「真理」の捉え方の一つと無関係ではないのだろうけど、少なくともその考えを積極的に啓蒙しようというスタンスではない。
#ウィキペディアが認知されることで、このような「真理」に対する考え方が(対話主義的に)世界中に広まりつつある、という主旨ならば、まぁそう言えなくはないかも。
そもそもウィキペディアでは「真実」とは何か、なんてものを追求しようとはしていない。ある分野での「真実」の探求は、その道の専門家がするべき仕事であって、百科事典編纂者の仕事ではない。「どちらが真実か」で紛糾するようなケースでは、その分野内で結着を付けてくれることが望ましい(その結着が公表され検証可能になったところで掲載する)し、分野内で結着が付いていないのであれば「両論並記」にする。並記されたうちの片方は「真実でないこと」かもしれないが、「両論があり、結着していない」という、その時点での事実を記載することで、「百科事典としての実用性」を優先する、というスタンスを取っている。
「検証可能」なものを読んで、それを「真実」だと誤解するのは読者の自由だが、だからと言って「真実が書かれてない!」と騒ぐのは馬鹿げてるし、得てして、そういう馬鹿げた主張をするヤツが認識してる「真実」とやらが、本当に「真実」とは限らないのだが。
真実は書き換え可能? (スコア:4, 興味深い)
「真実」という言葉の重みほどには、Wikipediaの記述は確固として存在するものではなく、
むしろ悪意ある屁理屈によって容易に編集合戦に持ち込まれてしまうような、脆弱な存在であるように見受けられます。
(もちろん、真実という言葉の定義にもいろいろあるのはわかっていますが)
Wikipediaの編集ルールに沿った、新しい形の真実が、ネット上に再定義されつつある、という見方は魅力的ですが。
問題の本質は、もう少し違ったところにあるように、僕には思えます。
例えば、Wikipediaが利用者自身によって書き換え可能であることを、利用者の何割が閲覧時に意識しているか、とか……
Re:真実は書き換え可能? (スコア:3, すばらしい洞察)
あなたが議論で「大声」を出す勇気や手間暇がないなら、修正には手を出さない方が賢明です。
・・・なんて状況が少なからずあるよなあ。
Re:真実は書き換え可能? (スコア:3, 興味深い)
私もいくつか明らかな間違いを見つけていますが大声を上げるのが面倒なので修正していません。
こういう人結構いるんじゃないかな。
Re:真実は書き換え可能? (スコア:1)
Re:真実は書き換え可能? (スコア:1)
自分の編集は絶対で
再編集されたら、それは「権利侵害だと感じる方」の仕業だというのは
酷い言いがかりだと思います。
他の執筆者とコミュニケーションすら取れない人は
手を出さないほうが賢明というのには同意します。
真実と事実 (スコア:4, おもしろおかしい)
真実は「まみ」と読めそうだが事実は「ことみ」とは読みづらい。
# まったくどうでもいい発言だなおい
Re:真実と事実 (スコア:3, おもしろおかしい)
「正義は1つ、真理は1つ」
……に対して登場人物が
「あら、まさよしくんも、まりちゃんも1歳なのね、おめでとう」
みたいな話があったな。
Re:誰に対して言ったんだろう? (スコア:1)
毎年「真実」を創っているよ (スコア:3, 興味深い)
1割くらいは見つからずにそのまま。1年くらいすると「真実」になるようですね。
(ジャイアント)パンダに関するネタ記事が、某雑誌のコラムに「真実」として出てきたときはさすがに驚きましたです。はい。
ジョーンズ教授は言いました (スコア:2, おもしろおかしい)
#日本語で見たことないのでうろおぼえ
Re:ジョーンズ教授は言いました (スコア:1)
なんだっけ?
コナンではなかったな
Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:2, 興味深い)
何を言いたいのかよくわからないが、
世の中にはWikipediaに真実が書かれていると
思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
把握できた。
世間のWikipediaに対する認識ってそんなものですか?
Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:3, 興味深い)
>思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
>把握できた。
違う気がする。
スレ主は、Wikipediaの記事内容の正当性を、「他ソース」で発表されたかどうかで判断しており
その「他ソース」の検証までには踏み込んでいない点を指摘。
それを何と無しに見にきた人が多ければ多いほど、「多数派の知識」となり「真実」に成り代わってしまう事を
危惧しているという内容ではないのかなぁ?
Wikipediaを見に行っている人は、豆知識や大学の卒論の行数埋めにつかう程度にしか使ってない人が多いだろうし、
Webページを見ている不特定多数の人に、高い認識を求める事自体がナンセンス。
記載・編集側の検証方法について、再考すべしという事じゃないのかな?
Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:2, 参考になる)
「スレ主」が何を指しているのかはっきりしないけど、Technology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth [technologyreview.com]」 (Simson L. Garfinkel) は、そんな感じですね。基本的には「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の三大方針の有効性を認めて、技術・法律などの分野を中心におおむね上手く機能しているとしながらも、実際問題として機能しない場合もある、と。肩書きになぜか映画監督が加えられたJaron Lanierを例にとって、次のような問題を指摘しています(以下、丸括弧内は私の補足・解釈)。
参照として受け入れられるのは(英語版Wikipediaの場合)英語で書かれてウェブで自由に読めるようなものが多い。また、Wikipediaは信頼できるソース [wikipedia.org]として、まずピアレビューのある大学出版部発行のジャーナルや本、次に大学レベルの教科書、次に信頼されている出版社発行の書籍類、次に主要新聞を挙げているが、同記事の結論ではこの優先順が往々にして逆になることも指摘している。
本人による訂正は方針「Autobiography(自分自身の記事をつくらない)」に阻まれる。三大方針に抵触しやすいし、コミュニティの側としても訂正したのが本人なのか荒らしなのか判断するのが難しい。
実際のところ多くの出版社が事実チェックを全く行っておらず、その多くは書き手に事実か否か確認の電話を入れる程度で済ませている(事実チェックではなく文意チェックに過ぎない)。
Lanierの場合、彼自身が訂正しても当然ながら差し戻されて、彼自身が書いて典拠と認められるようなものは(ハイパー)リンクをたどって検証できない。そのことを彼がEdge誌に寄稿した記事で嘆くと、おそらくはEdge誌も事実チェックをやっているだろうと、やっとのことで訂正された。結局参照はEdge誌のサイトに掲載された同記事 [edge.org](ただし同記事末尾の筆者紹介には今も「Jaron Lanier is a film director.」と書かれていたりする)。その一方で、『ドクター・フー』『スター・トレック』などのフィクションに関するエントリについては(Garfinkel自身そういうものも楽しんでいるとしながらも)「検証可能性」や「独自研究は載せない」がかなり緩くなる。
...で、「簡単にアクセスできて検証しやすく受け入れやすい典拠に流されることについての問題提起」ではないかと思います。以下締めのお言葉。
# と英文の元記事の要約・解説するようなコメントを書くことが度々あるのですが、できれば原文を読むことをお勧めします。私がデタラメを書いているかもしれませんし、検証しないとね。
実例 (スコア:1, 興味深い)
Wikipediaの項目は半保護になるほどの編集合戦があったにもかかわらず、
主人公の名前がいまだに間違ったままです。
これはメーカーのサイトにいきなり誤植があるのも原因のひとつと思われます。
過去の特集ページでは正しいのでリンクを張りなおすときに間違ってそのまま
になっているのでしょうが、それをそのまま引用して、誰も気が付いていない
ようです。
Wikipediaの文章に
「ゲームの内容は知らないが主題歌は知っているという人も多い」
とあるのが、まさにそのまんまじゃないか、という気が。
真実である「可能性」が無視できない (スコア:1)
決定的に間違っているという逆方向の確信が得られない限りは
場合によってはそれを真実であると確信している場合と
同様の結果を生んでしまったりします。
「信じていない」と言っている人が信じているとしか思えない
行動を示すこともよくあります。
> 真実どころか事実性も期待されていない様に思いますが、
その根拠になって書き込みもまた「真実」であるかどうかわからないわけで。
この手の話は信用するかしないかの All or Nothing に話がとび勝ちですが、
リテラシーってそういうことではないんですけどね。
日本の「ネットユーザ」の大半はうぶ(Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:1)
日本のネットユーザの殆どが嘲笑うというのは大きな誤認で、ネットを右も左も分からずに使ってる人が大半ですよ。
一時期パソコン教室の講師をしていたときの経験からすると彼らはまさに「うぶに信じ込んでしまう」。
検索で最初に来る物が最も正確であるという「誤解」も蔓延している。従ってSEOや「八分」は、時に人の流れを動かしてしまう訳で…
そう考えると検索で一番最初に来る事の多いWikipediaの記述と言う物の影響力というのは非常に大きいと思いますよ。
そういう所の、特に社会科的な・マニアックではない記述であたかも見てきたような嘘や乱暴極まりない言説が蔓延している現状…これについては日本語は英語の比にならないくらいに酷いのですが…と言うのは非常に拙いと思いますが。
日本の場合には、編集者権限を持つ人々(と言うか昼夜とわずWikipediaに張り付くだけの余裕を持ってる人々?)の思想的な偏り方が非常に偏っているのか、ある意図にそぐわない記述については(個人情報であったり著作権であったりGFDL違反であったり、落ち度ならなんでもいい)落ち度を見つけて針小棒大に騒いで全削除や全書き換えを強引に進めるのに、
そうでない物についてはそれが(彼らの言う所の)「著作権侵害」だろうが「独自研究」だろうが放置。どころか、こちらが「違うよ」って直すといつのまにか元に戻されてる。と言う惨状ですからね。
ある意味、日本人総体の情報リテラシー的な物のレベルがどの程度か。と言うあたりで考えると笑えた物ではないですよ。
Re:日本の「ネットユーザ」の大半はうぶ(Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:4, すばらしい洞察)
> ある意図にそぐわない記述については(個人情報であったり著作権であったりGFDL違反であったり、落ち度ならなんでもいい)落ち度を見つけて針小棒大に
> 騒いで全削除や全書き換えを強引に進めるのに、
> そうでない物についてはそれが(彼らの言う所の)「著作権侵害」だろうが「独自研究」だろうが放置。どころか、こちらが「違うよ」って直すといつのまにか
> 元に戻されてる。と言う惨状ですからね。
Artane氏のウェブサイトを見てから「Wikipediaは思想的に偏っている」という主張を見るとフーンという感じがしますけどね。
「ネット右翼の巣窟」扱いされている2ちゃんねるのWikipediaスレあたりでは、
「右よりの記述は速攻で除去されるのに左よりの記述は放置されている。Wikipediaは左翼の巣窟」みたいな言われ方をしているわけです。
つまり、自分の立ち位置からずれているものは何でも偏ってみえるという、
昔から言われてきていることの再確認に過ぎないですよね。
左右両方から批判されているのなら、結構まともなのではないかと私は判断します。
もっとも、Wikipediaは記事全体で統一した論調があるわけではないので、
記事ごとに判断しなければならないのは言うまでもないですが。
で、誰でも投稿でき、IPからでさえできるのに「編集者権限を持つ人々」と
あたかも特定の人間しか編集できないかのような言い方をするのはなぜ?
> こちらが「違うよ」って直すといつのまにか元に戻されてる。と言う惨状
当たり前じゃないですか。
誰でも書き換えできるんだから、自分の思う通りの記事にしておきたいのなら、
常時チェックを怠らないようにしておかないと無理。
自分の思う通りの内容で記事をロックしておけという方が無茶な要求。
書き換え合戦が繰り返し起きるのなら、ノートで合意を形成して時間を掛けてやっていくしかない。
どちらの主張も出典を出せるなら両論併記になるでしょうし、
片方しか出せなければそちらの主張しか書かない。
どちらも出せなければどちらも除去。
ただそれだけです。
Re:日本の「ネットユーザ」の大半はうぶ(Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:1)
Wikipediaだと思いますけど。
Wikipediaのルールに則った、まともな記述は生き残ります。
Re:日本の「ネットユーザ」の大半はうぶ(Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:1)
(「心の中に独特の拘りがある人がなんかやってるな」と思われるだけじゃないでしょうか)
「泣く子と××には勝てない」(Re:日本の「ネットユーザ」の大半はうぶ (スコア:1)
「バカか暇人」と言うか総称して「おかしな人たち」に限って、自分のイデオロギーにそぐわない部分だけを粘り強く書き換える(加筆するのではない、削除して逆の意味合いの記述に書き換える)・書かれた物によっては何が何でも「なかったこと」にしようとしてGFDL違反だ著作権侵害だ何だとわめきたてて全削除や特定版削除しようと、事が思うようになるまでゴロを巻く。
…で、結局は私のようなパートタイマーは「おかしな人たち」には太刀打ちできない。
多くのサイトが無批判にWikipediaの最新項目だけのミラーをやってる現状では、嘘も百回言えば真実である。と言うかの名言が実体化してしまう。そういう危機感からすると、この悪循環をどう止めるかは重要だと思うのですよ。
Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:1)
>最初から根拠も無く内容が間違っている可能性を疑うヒトは稀ですし、
言語系の辞書はまだしも、百科事典ってそんなに信用していません。
MSのエンカルタを見たときの衝撃はすごかった。
よくもあそこまでデタラメ書いて売れるもんだと感心しました。
という人もいますってことで。
#幸せに生きる秘訣は信じること
#それは外部からの情報を素直に受け入れ思考停止することかも。
中の人をやってると (スコア:2, すばらしい洞察)
どこどこのメーカーのシステムを使用している
→実際は試用で、一部の営業所にいれただけで、多くは他社のシステムを使用していたり
……まあ、確かに使用はしてるよね
本当の中の人は下手に書き込め無いだろうし、真実ってのがどのレベルでの真実なのかは疑問
Wikipediaの悪循環 (スコア:5, 興味深い)
「レピュテーション2.0」——Wikipediaとメディアが生む「デマの悪循環」に要注意 [impressrd.jp]に、こんな解説がありました。
Wikipediaの現状をよく表していると思います。
Re:Wikipediaの悪循環 (スコア:2, 興味深い)
(最初からWikipediaを言及の対象に取る場合を除いて、)
その情報がWikipediaからの引用である事や、
Wikipediaに記されていたはずの出典元までは言及しない。
(あるいは、Wikipediaに掲載された時点で出典不明であった事には触れない。)
更に週刊誌やテレビの情報バラエティなんかだと、
「業界観測筋のA氏は」等と情報提供者の捏造までする。
特に大手メディアに多い「ソース不明」に無頓着な人達の事を考えると、
「メディアは『検証可能なソース』に含めません」と言う事にした方がいいのかも。
Re:Wikipediaの悪循環 (スコア:1)
マネーロンダリングも隠匿ですが、ロンダリングと言うなってんでしょうか。
ネタをネタと(ry (スコア:2, 興味深い)
一目で「思い入れ全開だなあ」と思う記事があって、
ああいう文章書く人を弾かなきゃいけないのは当然にしても
実害はそうないのよね。
問題はもろ学究用語やホットな研究事象の項目で。
「検証可能をうたうことで」と声高に言っちゃいるが
検証可能なんてのは現代科学が持ちえた唯一の良心みたいなもんで
それをうたったことで独自なスタイルを持ちうるというものではない。
検証と称してイカサマな実験や考察が行われるからこその混沌なわけで、
それは一般の辞典においても変わらないわけだから。
Wikipediaが怖いのは結局この「検証」を「参照」と読み違えつつあることじゃないのかと。
信頼できる情報筋なんてこの世のどこにもありゃしない分野には
つまり「手を出せないはず」なのに、既にそのこと決着済み、みたいなかたちで記事が書かれる。
Re:ネタをネタと(ry (スコア:1, 興味深い)
もともと、反証可能性より古い考え方として、「検証可能性」という考え方があります。だが先進的な内容を扱う自然科学分野では、検証可能性では捌ききれない事例が出てきたので「反証可能性」という考え方が出てきた。ただしWikipediaではそもそも「検証可能性では捌ききれず、反証可能性でないと捌けない」ような事例は扱わないというスタンス(そのようなケースは「独自研究」として排除される)を取ることにしたので、「検証可能性」を採用してるのです。読み替えてそうしてるというわけではなくて、そもそも最初からそうしてるのです。
基本的なスタンスとして、Wikipediaでは「反証可能性」という科学の基準を絶対視はしません。それは「科学」というものの見方(POV, point of view)に偏った内容になるからです。そうではなくて極端な話、疑似科学ではどう考えているか、ということを書く事も許容されうるような方針を取っている。ただし、そのときにも「信頼できる情報源 reliable sources」が要求される、という立場(これが検証可能性 verifiablity)。この辺りに不満や不安を感じている科学者も多いけれど、「科学者はこう主張してる。一方、○○はこう主張しており、これに対して科学者はこう反論している」みたいに両論並記という形で解決を図るか、あるいは疑似科学者の主張が「信頼できる情報源」や「筋のいい情報源reputable sources」に当たらない、というところを突いて、何とか乗り切ろうとしてる項目が多いです。
単なる「参照可能性」として運用、というのは、そういう風に誤解してる利用者が日本語版にはまだ多いということと、この"reliable sources", "reputable sources"という考え方が、まだ上手く回ってない(そうできるだけの具体的事例が、特に日本語版では集積してない)という問題点があるので。この先、数年はまだ残る課題だと思います。
トピックのタイトルに疑問 (スコア:2, 興味深い)
このタイトルではWikipediaが作用を
働きかけているように聞こえないでしょうか。
Wikipediaは作用する側ではなく
読み手、個々の側で発生する受け止めかたのバラツキ、
ひいては読み手のリテラシーを問えないところが問題である、
ってのがトピックスの真の要点じゃないかと。
例えば
Wikipediaと読み手の狭間で変質する「真実」
読み手の審美眼を問えないWikipediaはどうあるべきか?
などの方が適切では。
正直、マスコミの煽りタイトルみたいで
タイトル選びの精査が不足していると思います。
早い話がノイズ、あるいは嘘もあると。 (スコア:2, すばらしい洞察)
Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:1, 参考になる)
事実でなくても「こうだ」といっている文献があればその記述は採用され、
事実であっても文献がなければ、独自研究とされ削除される。
また、文献中の都合のいい記述だけを集めて己の妄想をぶちあげているの記事も散見される。
そういうものは編集しても執拗に元に戻され、徒労に終わる。
さらには中の人のイデオロギーで書き換えられたり編集できなくされているもだし、
とてもじゃないが辞典と呼べるほど信用できるものじゃない。
しかし最近は/.jだけでなくあちこちでWikipediaに依存する記事等も増えてきていて、ちょっと危険な傾向だと思いますね。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:2, 参考になる)
> 事実であっても文献がなければ、独自研究とされ削除される。
日本語版より英語版の方が厳しいですよ。例えば、英語版では、出典のない人物記事への記述は、一発でリバートされます。日本語版は「要出典」でお茶濁ししているだけ、緩いです。
そもそも、出典を巡る話題は方法的なものであって、それが何かを規定しているわけじゃないです。出典を示せない記事の信憑性はどうやって確認出来るのでしょうか?
> また、文献中の都合のいい記述だけを集めて己の妄想をぶちあげているの記事も散見される。
> そういうものは編集しても執拗に元に戻され、徒労に終わる。
これは、出典じゃなくて、「中立的な観点」でやることですね。
Re:Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:1)
Re:Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:1)
マスゴミ(笑)(Re:Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:1)
「ネットで真実に目覚め」るのも程々にした方が…と言う物がJA-Wikipediaには蔓延してる気がしますよ。
例えば、被差別民や在日外国人への差別言説を強化するために悪意を以って立てられたのではないか。と言う報道紹介系のブログや「まとめサイト」の言説が「事実」として認定されていて、それが統計上も明らかに間違っている解釈に基づくという言説が「独自研究」などとして排斥されている状態というのを何度も日本のWikipediaでは見ていますので
…ノートで異議を唱えると難癖つけて発言権なし。と言う形にされたことが何度もあるから敢えてこういう物言いしますが、「検証可能性」「独自研究」と言う縛りが、どう考えても多様な選択肢や解を提示する事を妨げる足かせにしか働いていないのではないか。と強く思ってしまう内容の記述や議論が日本のWikipediaには多すぎる。
# 英語の方はここまで酷くないんですけどね…日本語故の閉鎖性か?
Re:Wikipediaは所詮「だれかが事実だと思いたい事の集まり」でしかない (スコア:1)
特にrenjaさんのコミュニケーションの取り方は大いに問題ありです。
他の編集者の意見は妄想で、管理者はイデオロギーで偏向というような態度では
Wikipediaでもリアルの世界でも、意見など通るはずが有りません。
ログインユーザーになって、じっくりとノートなどで合意形成すれば
それほど偏った記事にはならないと思います。それがWikipediaです。
そういう手間を省いて、編集合戦を仕掛けても勝利出来ない。それもまたWikipediaです。
真実、それは (スコア:1)
他には無い。
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
真実ってそーゆーもんじゃないの? (スコア:1)
真実なんて昔からそーゆーもんだと思うのですが。
書籍の百科事典には、それ以外の真実が書いてあるとでも?
専門家の肩書きがあれば、どんな真実でも文句は無いのでしょうか?
アンチWikipedia論はよくわかりません。
Re:真実ってそーゆーもんじゃないの? (スコア:1)
「それでも地球は回っている」
といいたいのかも
# 個人的には「要出典」や「独自研究」タグの万能性が悪用されないのは
# wikipediaにおける七不思議のひとつに思えます。
# タグ貼るのにくらべ剥がすためのリソース負荷が段違い・・・。
Re:真実ってそーゆーもんじゃないの? (スコア:1)
タグが貼ってあったからといって、特に困りませんからね。
反対派の必死の抵抗と言っても、所詮はそんな程度です。
> リソース負荷が段違い・・・。
基本的にはノートで話をするだけですから
大した手間はかからないと思います。
貼った人をやっつけてやろうと思わずに、普通にコミュニケーションをとれば
案外とスムーズに解決するものです。
言葉遊び (スコア:1)
そんなのは言葉遊びだ.
解釈や意見の趨勢は時代とともに変わっていくだろう.
屍体メモ [windy.cx]
Re:真実は不変 (スコア:1)
現実世界において、値(事象というかなんというか)自体は不変だが、参照先は変わることがある。
我々はその参照先の変化を「意味が変わる」と呼んでいる……のかもしれない。
#明確に定義できない単語についてかんがえると混乱します
Re:真実は不変 (スコア:1)
# と思っているので「真実」と言われるとなんとなく嘘くさく/ゴシップ臭く感じます。「真実は不変」とは一度週刊誌が売れてしまったら後から取り消すのが大変(不可能にちかい)ということかと。
Best regards, でぃーすけ
Re:真実は不変 (スコア:1)
事実は認定方法しだい。
the.ACount
Re:真実は不変 (スコア:4, おもしろおかしい)
事実 [wikipedia.org]
// すんません頭痛くなってきました(:>^
Re:真実は不変 (スコア:1)
# とオフトピ
ちなみに真実/事実より、「一般に言われていること」「どのようなものかの概要」「より深く知るためのリンク元」くらいで利用すれば酷い勘違いの元になることはなくてすむんでしょうか。
# 利用するのが科学の概要もしくは地理情報、あとは事柄の概要なんで、あんまり検証しなくていいやなID(あかんがな
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re:識者ってだれ? (スコア:1)
Re:識者ってだれ? (スコア:1)
常識を持つ人が識者でしょ。
the.ACount
Re:Wikipedia は事実β (スコア:1)
前提をおきながら生きているんですか?
私は何事も「事実」だとか「真実」だとか思いませんが。
生きていくのに必要なことは、ある情報の集合に対して、
どのように行動すると判断するかであって、その中で、
情報のモデル化によっては「確からしさ」はパラメータとして
出てくると思いますが、別に「確からしさ80点以上は『事実』」
とか決める必要はないですよね。80点という点数そのものが
大事なのであって、ラベルは別に。
Wikipedia に A と書いてあったら「Wikipedia に A と書いてあった」
こと自体はかなり確からしい情報ですが、「A」の確からしさは別だし、
実際には判断に必要な情報は「Wikipedia に A と書いてあった」こと
かもしれません。