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Wikipediaは「真実」の意味を変えた? 102

ストーリー by hylom
真実ってなんだろう、 部門より

あるAnonymous Coward 曰く、

本家"Wikipedia's New Definition of Truth"より。

Wikipediaの記事はボランティアによって記述・編集されているため信用に値しないと主張する識者も多いが、掲載されている記事がかなり正確であることを証明する研究もあるそうだ。Wikipediaに正確な情報が掲載されている背景には、700万人を超えるWikipediaの登録ユーザによって真実でない事柄を排除するポリシーや手順が編み出されたという点があるだろう。

しかし、Wikipediaコミュニティの真実の判断方法は数学や科学のように一貫性や可観測性に基づいたものではなく、また常識や直接の経験に因るものでもない。そのような客観的真実はさほど重要ではなく、採用に値するかどうかという判断は他ソースで発表された内容かどうかという点にある。Wikipediaの記事の三大方針の一つである「検証可能性」では、「信頼できるソース(情報源)を参照することにより『検証できる』」点が重要であるとしている。

(つづく...)

他ソースを参照した内容であったとしても、世の中には検証が全く行わなわれていない記事が溢れている。また、検証したとしていても、単に当事者に内容が正しいか確認したというレベルであることも多い。また「独自研究を載せない」という方針も、直接それを記述している記事がないがために「真実」が記述されないという可能性を生む。

Wikipediaは世界で最も読まれている参考文献であり、そこでの「真実」が人々の「真実」の基準となってしまったかもしれない。Wikipediaにおける「真実」とは「ある題材に関する大多数の見解」というものであるが、Wikipediaは「真実」の意味を再定義してしまったのだろうか?

なお、本家/.のストーリーはTechnology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth」が元ネタとなっています。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • verifiability, not truth (スコア:5, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward on 2008年10月23日 14時55分 (#1442997)
    …本家でも指摘されてるけど、Wikipedia:検証可能性を引いておきながら、最初の一文すらまともに読んでないのだろうか? と思わせる意見になってる。

    >ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。

    ウィキペディアでは、このようにそもそも「真実は何か」という、しばしば泥沼にはまりやすい議論から距離を置いたスタンスを取ることで、実利的に「使い物になる」ことを目指しておりこそすれ、「真実の意味」を変えようなどとはしていないのだが。

    #集合知ということからは、現代哲学的な「真理」の捉え方の一つと無関係ではないのだろうけど、少なくともその考えを積極的に啓蒙しようというスタンスではない。
    #ウィキペディアが認知されることで、このような「真理」に対する考え方が(対話主義的に)世界中に広まりつつある、という主旨ならば、まぁそう言えなくはないかも。

    そもそもウィキペディアでは「真実」とは何か、なんてものを追求しようとはしていない。ある分野での「真実」の探求は、その道の専門家がするべき仕事であって、百科事典編纂者の仕事ではない。「どちらが真実か」で紛糾するようなケースでは、その分野内で結着を付けてくれることが望ましい(その結着が公表され検証可能になったところで掲載する)し、分野内で結着が付いていないのであれば「両論並記」にする。並記されたうちの片方は「真実でないこと」かもしれないが、「両論があり、結着していない」という、その時点での事実を記載することで、「百科事典としての実用性」を優先する、というスタンスを取っている。

    「検証可能」なものを読んで、それを「真実」だと誤解するのは読者の自由だが、だからと言って「真実が書かれてない!」と騒ぐのは馬鹿げてるし、得てして、そういう馬鹿げた主張をするヤツが認識してる「真実」とやらが、本当に「真実」とは限らないのだが。
  • by hokuto (16888) on 2008年10月23日 15時02分 (#1443004) ホームページ
    一つ確実なのは、Wikipediaの記述に信頼できない部分があれば、我々はいつでもそれを書き直すことができる、ということです。

    「真実」という言葉の重みほどには、Wikipediaの記述は確固として存在するものではなく、
    むしろ悪意ある屁理屈によって容易に編集合戦に持ち込まれてしまうような、脆弱な存在であるように見受けられます。
    (もちろん、真実という言葉の定義にもいろいろあるのはわかっていますが)

    Wikipediaの編集ルールに沿った、新しい形の真実が、ネット上に再定義されつつある、という見方は魅力的ですが。
    問題の本質は、もう少し違ったところにあるように、僕には思えます。

    例えば、Wikipediaが利用者自身によって書き換え可能であることを、利用者の何割が閲覧時に意識しているか、とか……
    • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 15時58分 (#1443056)
      ひとつ慣習的なのは、Wikipediaの記述のうち信頼できない部分を我々が書き直すと、執筆者のなかにはそれを権利侵害だと感じる方がいることです。
      あなたが議論で「大声」を出す勇気や手間暇がないなら、修正には手を出さない方が賢明です。
      ・・・なんて状況が少なからずあるよなあ。
      親コメント
  • 真実と事実 (スコア:4, おもしろおかしい)

    by nekopon (1483) on 2008年10月23日 15時33分 (#1443035) 日記

    真実は「まみ」と読めそうだが事実は「ことみ」とは読みづらい。

    # まったくどうでもいい発言だなおい

  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 17時28分 (#1443116)
    夏休みが始まる前あたりに、毎年10個くらい、宿題等で参照されそうなネタ/嘘記事を投稿しています。
    1割くらいは見つからずにそのまま。1年くらいすると「真実」になるようですね。

    (ジャイアント)パンダに関するネタ記事が、某雑誌のコラムに「真実」として出てきたときはさすがに驚きましたです。はい。
  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 14時13分 (#1442974)
    俺が研究してるのは事実(fact)だ。真実(truth)が知りたけりゃ隣の哲学の講義に行けと。

    #日本語で見たことないのでうろおぼえ
  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 14時21分 (#1442977)
    真実の意味を勘違いしてるような文章で、
    何を言いたいのかよくわからないが、
    世の中にはWikipediaに真実が書かれていると
    思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
    把握できた。
    世間のWikipediaに対する認識ってそんなものですか?
    • >世の中にはWikipediaに真実が書かれていると
      >思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
      >把握できた。

      違う気がする。
      スレ主は、Wikipediaの記事内容の正当性を、「他ソース」で発表されたかどうかで判断しており
      その「他ソース」の検証までには踏み込んでいない点を指摘。
      それを何と無しに見にきた人が多ければ多いほど、「多数派の知識」となり「真実」に成り代わってしまう事を
      危惧しているという内容ではないのかなぁ?

      Wikipediaを見に行っている人は、豆知識や大学の卒論の行数埋めにつかう程度にしか使ってない人が多いだろうし、
      Webページを見ている不特定多数の人に、高い認識を求める事自体がナンセンス。
      記載・編集側の検証方法について、再考すべしという事じゃないのかな?
      親コメント
      • 「スレ主」が何を指しているのかはっきりしないけど、Technology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth [technologyreview.com]」 (Simson L. Garfinkel) は、そんな感じですね。基本的には「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の三大方針の有効性を認めて、技術・法律などの分野を中心におおむね上手く機能しているとしながらも、実際問題として機能しない場合もある、と。肩書きになぜか映画監督が加えられたJaron Lanierを例にとって、次のような問題を指摘しています(以下、丸括弧内は私の補足・解釈)。

        • エントリの参照が、多くのボランティアにとって身近なものに偏る傾向にある
          参照として受け入れられるのは(英語版Wikipediaの場合)英語で書かれてウェブで自由に読めるようなものが多い。また、Wikipediaは信頼できるソース [wikipedia.org]として、まずピアレビューのある大学出版部発行のジャーナルや本、次に大学レベルの教科書、次に信頼されている出版社発行の書籍類、次に主要新聞を挙げているが、同記事の結論ではこの優先順が往々にして逆になることも指摘している。
        • 人物についてのエントリの誤りを本人が正すのが難しい
          本人による訂正は方針「Autobiography(自分自身の記事をつくらない)」に阻まれる。三大方針に抵触しやすいし、コミュニティの側としても訂正したのが本人なのか荒らしなのか判断するのが難しい。
        • Wikipedia以外の書き手に典拠を求めることの問題
          実際のところ多くの出版社が事実チェックを全く行っておらず、その多くは書き手に事実か否か確認の電話を入れる程度で済ませている(事実チェックではなく文意チェックに過ぎない)。

        Lanierの場合、彼自身が訂正しても当然ながら差し戻されて、彼自身が書いて典拠と認められるようなものは(ハイパー)リンクをたどって検証できない。そのことを彼がEdge誌に寄稿した記事で嘆くと、おそらくはEdge誌も事実チェックをやっているだろうと、やっとのことで訂正された。結局参照はEdge誌のサイトに掲載された同記事 [edge.org](ただし同記事末尾の筆者紹介には今も「Jaron Lanier is a film director.」と書かれていたりする)。その一方で、『ドクター・フー』『スター・トレック』などのフィクションに関するエントリについては(Garfinkel自身そういうものも楽しんでいるとしながらも)「検証可能性」や「独自研究は載せない」がかなり緩くなる。

        ...で、「簡単にアクセスできて検証しやすく受け入れやすい典拠に流されることについての問題提起」ではないかと思います。以下締めのお言葉。

        では真実とは何だろうか? この主題についてのWikipediaのエントリによれば、「この用語には、専門性のある哲学者や学者の大多数が一致するような単一の定義はない」。だが実際問題として、Wikipediaに掲載についての基準 (standard) は、Wikipediaの真実に対するデファクト標準になってしまっており、Wikipediaがこの地上でもっとも広く読まれているオンラインの参照である以上、GoogleやYahooで検索語をタイプしたときにほとんどの人が知らず知らずのうちに使っている真実の基準になのだ。Wikipediaにおいては、真実とは受け入れられる真実――主題についての一致見解である。

        基準は単純だ。何かが新聞記事、雑誌やジャーナル、もしくは大学出版部発行の本で発表されたなら、それは真である――あるいは『ドクター・フー』に登場したなら。

        # と英文の元記事の要約・解説するようなコメントを書くことが度々あるのですが、できれば原文を読むことをお勧めします。私がデタラメを書いているかもしれませんし、検証しないとね。

        親コメント
      • 実例 (スコア:1, 興味深い)

        by Anonymous Coward on 2008年10月24日 7時45分 (#1443419)
        巫女みこナースというエロゲーがあるのですが(別に知る必要はないです)
        Wikipediaの項目は半保護になるほどの編集合戦があったにもかかわらず、

        主人公の名前がいまだに間違ったままです。

        これはメーカーのサイトにいきなり誤植があるのも原因のひとつと思われます。
        過去の特集ページでは正しいのでリンクを張りなおすときに間違ってそのまま
        になっているのでしょうが、それをそのまま引用して、誰も気が付いていない
        ようです。

        Wikipediaの文章に
        「ゲームの内容は知らないが主題歌は知っているという人も多い」
        とあるのが、まさにそのまんまじゃないか、という気が。
        親コメント
  • 中の人をやってると (スコア:2, すばらしい洞察)

    by Sukoya (33993) on 2008年10月23日 14時50分 (#1442995) 日記
    間違ってはいないけど、正しくない表現を見かける事も多々

    どこどこのメーカーのシステムを使用している
    →実際は試用で、一部の営業所にいれただけで、多くは他社のシステムを使用していたり

    ……まあ、確かに使用はしてるよね

    本当の中の人は下手に書き込め無いだろうし、真実ってのがどのレベルでの真実なのかは疑問
    • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 15時53分 (#1443049)

      「レピュテーション2.0」——Wikipediaとメディアが生む「デマの悪循環」に要注意 [impressrd.jp]に、こんな解説がありました。

      1. 何者かが(悪意を持って、あるいは勘違いで)、君や君の会社に関するWikipediaのページに、事実に反する(または中傷する)記事を書く。
      2. 大手メディアが(インターネットで「この事実を確認」して)この話題を取り上げる。
      3. 事実に反する話が大手新聞のサイトに掲載される(もちろんWikipediaには触れない。自分たちで調べた情報のように見せたいからだ)。
      4. Wikipediaの記事で、その大手メディアの記事が参照先として紹介される。



      Wikipediaの現状をよく表していると思います。

      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 17時41分 (#1443130)
        大手メディアは出典情報を「洗浄」してしまう場合が多いですからね。
        (最初からWikipediaを言及の対象に取る場合を除いて、)
        その情報がWikipediaからの引用である事や、
        Wikipediaに記されていたはずの出典元までは言及しない。
        (あるいは、Wikipediaに掲載された時点で出典不明であった事には触れない。)

        更に週刊誌やテレビの情報バラエティなんかだと、
        「業界観測筋のA氏は」等と情報提供者の捏造までする。

        特に大手メディアに多い「ソース不明」に無頓着な人達の事を考えると、
        「メディアは『検証可能なソース』に含めません」と言う事にした方がいいのかも。
        親コメント
  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 15時31分 (#1443033)
    何かの作品や偏執的なファンが多いアーティストを引くと
    一目で「思い入れ全開だなあ」と思う記事があって、
    ああいう文章書く人を弾かなきゃいけないのは当然にしても
    実害はそうないのよね。

    問題はもろ学究用語やホットな研究事象の項目で。
    「検証可能をうたうことで」と声高に言っちゃいるが
    検証可能なんてのは現代科学が持ちえた唯一の良心みたいなもんで
    それをうたったことで独自なスタイルを持ちうるというものではない。
    検証と称してイカサマな実験や考察が行われるからこその混沌なわけで、
    それは一般の辞典においても変わらないわけだから。

    Wikipediaが怖いのは結局この「検証」を「参照」と読み違えつつあることじゃないのかと。
    信頼できる情報筋なんてこの世のどこにもありゃしない分野には
    つまり「手を出せないはず」なのに、既にそのこと決着済み、みたいなかたちで記事が書かれる。
  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 15時49分 (#1443047)
    > Wikipediaは「真実」の意味を変えた?

    このタイトルではWikipediaが作用を
    働きかけているように聞こえないでしょうか。

    Wikipediaは作用する側ではなく
    読み手、個々の側で発生する受け止めかたのバラツキ、
    ひいては読み手のリテラシーを問えないところが問題である、
    ってのがトピックスの真の要点じゃないかと。

    例えば

    Wikipediaと読み手の狭間で変質する「真実」
    読み手の審美眼を問えないWikipediaはどうあるべきか?

    などの方が適切では。
    正直、マスコミの煽りタイトルみたいで
    タイトル選びの精査が不足していると思います。
  • by Anonymous Coward on 2008年10月23日 18時41分 (#1443165)
    2chと同じ使い方すれば良いだけの話。
  • 少なくとも日本のWikipediaでは、

    事実でなくても「こうだ」といっている文献があればその記述は採用され、
    事実であっても文献がなければ、独自研究とされ削除される。

    また、文献中の都合のいい記述だけを集めて己の妄想をぶちあげているの記事も散見される。
    そういうものは編集しても執拗に元に戻され、徒労に終わる。

    さらには中の人のイデオロギーで書き換えられたり編集できなくされているもだし、
    とてもじゃないが辞典と呼べるほど信用できるものじゃない。

    しかし最近は/.jだけでなくあちこちでWikipediaに依存する記事等も増えてきていて、ちょっと危険な傾向だと思いますね。
    --

    ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
    • > 事実でなくても「こうだ」といっている文献があればその記述は採用され、
      > 事実であっても文献がなければ、独自研究とされ削除される。

      日本語版より英語版の方が厳しいですよ。例えば、英語版では、出典のない人物記事への記述は、一発でリバートされます。日本語版は「要出典」でお茶濁ししているだけ、緩いです。

      そもそも、出典を巡る話題は方法的なものであって、それが何かを規定しているわけじゃないです。出典を示せない記事の信憑性はどうやって確認出来るのでしょうか?

      > また、文献中の都合のいい記述だけを集めて己の妄想をぶちあげているの記事も散見される。
      > そういうものは編集しても執拗に元に戻され、徒労に終わる。

      これは、出典じゃなくて、「中立的な観点」でやることですね。
      親コメント
    • Wikipedia以外の参考文献、所謂メディアが、より真実かといえば
      親コメント
      • 確かに今のマスメディアには嘘や誇張が蔓延してるのは事実ですが、そこから外れたメディアの信頼性を放棄しているのも、又日本の特徴と言うか社会病理では…

        「ネットで真実に目覚め」るのも程々にした方が…と言う物がJA-Wikipediaには蔓延してる気がしますよ。

        例えば、被差別民や在日外国人への差別言説を強化するために悪意を以って立てられたのではないか。と言う報道紹介系のブログや「まとめサイト」の言説が「事実」として認定されていて、それが統計上も明らかに間違っている解釈に基づくという言説が「独自研究」などとして排斥されている状態というのを何度も日本のWikipediaでは見ていますので
        …ノートで異議を唱えると難癖つけて発言権なし。と言う形にされたことが何度もあるから敢えてこういう物言いしますが、「検証可能性」「独自研究」と言う縛りが、どう考えても多様な選択肢や解を提示する事を妨げる足かせにしか働いていないのではないか。と強く思ってしまう内容の記述や議論が日本のWikipediaには多すぎる。
        # 英語の方はここまで酷くないんですけどね…日本語故の閉鎖性か?
        親コメント
    • 単純にWikipediaのルールを理解していないだけのような気がします。

      特にrenjaさんのコミュニケーションの取り方は大いに問題ありです。
      他の編集者の意見は妄想で、管理者はイデオロギーで偏向というような態度では
      Wikipediaでもリアルの世界でも、意見など通るはずが有りません。

      ログインユーザーになって、じっくりとノートなどで合意形成すれば
      それほど偏った記事にはならないと思います。それがWikipediaです。

      そういう手間を省いて、編集合戦を仕掛けても勝利出来ない。それもまたWikipediaです。
      親コメント
  • 真実とは自分にとって都合のいい事象のことである。
    他には無い。
    --
    =-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
  • > Wikipediaにおける「真実」とは「ある題材に関する大多数の見解」

    真実なんて昔からそーゆーもんだと思うのですが。
    書籍の百科事典には、それ以外の真実が書いてあるとでも?
    専門家の肩書きがあれば、どんな真実でも文句は無いのでしょうか?

    アンチWikipedia論はよくわかりません。
    • きっと
      「それでも地球は回っている」
      といいたいのかも

      # 個人的には「要出典」や「独自研究」タグの万能性が悪用されないのは
      # wikipediaにおける七不思議のひとつに思えます。
      # タグ貼るのにくらべ剥がすためのリソース負荷が段違い・・・。
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      • > 「要出典」や「独自研究」タグの万能性

        タグが貼ってあったからといって、特に困りませんからね。
        反対派の必死の抵抗と言っても、所詮はそんな程度です。

        > リソース負荷が段違い・・・。

        基本的にはノートで話をするだけですから
        大した手間はかからないと思います。

        貼った人をやっつけてやろうと思わずに、普通にコミュニケーションをとれば
        案外とスムーズに解決するものです。
        親コメント
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者

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